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「アシックス スポーツ ミュージアム」で見るオニツカタイガー栄光の歴史
「アシックススポーツミュージアム」で見る
オニツカタイガー栄光の歴史
開館したばかりの「アシックススポーツミュージアム」の順路通り、まず2階へ上がると、アシックスの歴史が観られる「シアタールーム」があり、次にヒストリーフィールド内に「コーポレートヒストリー」がある。
まず飾られているのは、オニツカ株式会社創業の1949年の翌年に、オニツカタイガー第1号モデルとして世に送り出されたバスケットボールシューズ。60年後の今、歴史と歴史的シューズは私たちにさまざまなことを教えてくれる。
Text by OPENERSPhoto by Jamandfix
オニツカタイガーの歴史は、日本のスポーツシューズの創意工夫の歴史
「アシックススポーツミュージアム」に飾られている1950年に製造された第1号バスケットボールシューズも、その誕生時には、バスケットボールという競技特性と合わず、改良改善の要求が相次いだという。
走る・止まる・ターンする・跳ぶという競技のなかで、とくにグリップ性に対する要望が多く、オニツカタイガーの創業者であり、技術者でもあった故・鬼塚喜八郎氏は、その改良に日々頭を悩ませていた。
そこであまりにも有名なエピソード「夕食の食卓のタコの酢の物」が生まれる。
ある日、夕食の食卓に出されたタコの酢の物を見て、ソールがタコの吸盤のような形状なら、バスケットボールで要求される急停止が可能になるのではないかと、吸着盤状型のソールがひらめき、実現に至る。そして、1952年に吸着盤ソールを搭載したシューズが誕生。さらに、鬼塚氏のソールの創意工夫はつづき、バスケットボール選手の憧れのシューズ/ブランドとして長く君臨する。
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次に、アシックススポーツミュージアム2階「コーポレートヒストリー」で目を引くのが、東京大会の年、1964年のところに飾られている陸上スパイクシューズ(ピン固定式)。
60年代から70年にかけてスポーツ各社は、陸上スパイクの開発にしのぎを削った。
東京大会の翌々年、1966年には、「ランスパーク」が誕生。これは、陸上トラックのコンディションにあわせてスパイクピンを取り替えることはできないのかというリクエストから生まれた、日本初のピン取り替え式スパイクシューズで、当時のアスリートたちを喜ばせた。
さらに1968年のメキシコ大会で、オールウェザー式トラックが登場したことで、陸上スパイクはさらに進化をつづけた。
現在のオニツカタイガーに脈々と流れる、歴史的名品
さらに「コーポレートヒストリー」で見逃せないのが、現在のアシックスストライプをまとった、1966年発売のトレーニングシューズ「リンバー革」。
サイドの「mexico」も輝いて、グリップ性のある凹みの深いソールのデザインにより、クッション性が向上。
メキシコ大会前後の時期、アスリートたちは、このトレーニングするためのシューズを履いてウォーミングアップでコンディションを整え、競技用シューズで記録を競った。
下の右写真は、1階アスリートフィールドで実際に触れることのできるトレーニングシューズ。並べてみると、その進化は歴然だ。
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2階ヒストリーフィールド内の「プロダクトヒストリー」には、オニツカがプロモーションのために作成してきた広告ツールやカタログ、年配者には懐かしいシューズボックスなども展示。当時の“はいから”なオニツカタイガーのグラフィックは、眺めているうちに時間が過ぎ去っていきそうだ。
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アシックススポーツミュージアム館長の藤田和彦さんが語るオニツカタイガー
私は1970年に入社し、学生時代にテニスをしていたので、オニツカに入社後、テニスの国別対抗戦「デビスカップ」などを担当。ラケット開発やウェア展開などに関わってきました。
さらに、海外企画としてのアメリカ向けシューズの企画や、グローバル企画開発を担当し、2000年からはオニツカタイガーの復刻に携わりました。「コルセア」や「メキシコ66」の復刻は個人的にもうれしいものでしたね。
鬼塚会長の思い出といえば、やはりテニス事業の開拓・開発としての“頂上作戦”ですね。
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頂上作戦とは、会長の理念として、競技のトップ選手に認められて履いてもらうことで、そのトップに憧れるイノベーター層やミドル層にも認知され広がるというもの。
デビスカップのような世界的な大会で、日本選手だけでなく世界の一流選手にオニツカを履いてもらうというこの作戦は、スポーツ業界のプロモーションの先駆けとなったばかりでなく、競技スポーツの底辺を拡大し、しっかりしたシューズや用具を提供することで、安心・安全にスポーツを楽しむことまで伝えてこられたと思います。
そういう意味でも、アシックス スポーツ ミュージアムは、そのさらなる普及に努められる新しいフィールドだと思います。ぜひご来館ください。
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アシックススポーツミュージアム
兵庫県神戸市中央区港島中町7-1-1
Tel. 078-303-1329
10:00~17:00(入館受付は16:30まで)
毎週日曜日、月曜日、祝日、夏季休、年末年始休
入館料無料 ※団体(10人以上)は事前申込必要
http://www.asics.co.jp/corp/museum