「ONE GRAVITY」デザイナー、猪股裕樹氏インタビュー第一回
Fashion
2015年3月16日

「ONE GRAVITY」デザイナー、猪股裕樹氏インタビュー第一回

「ONE GRAVITY」デザイナー

猪股裕樹インタビュー 第一回

FASHION DESIGNER'S FILE─『ONE GRAVITY』のデザイナー猪股裕樹 インタビューの第一回目は、ブランドコンセプトを中心に、服をつくりはじめたキッカケやデザインルーツなどについてのおはなしです。

まとめ=金子英史(本誌)Photo by Jamandfix

─『ONE GRAVITY』という、ブランド名の由来から教えてください。

わたしの場合、モノづくりの途中の過程でいろんなことを考えてしまって、どうしても紆余曲折しながら前に進んでいくんです。そのときに、そこからさらにもう一歩踏み込むと最終的にすべての考えがひとつになるんですよ。その"ひとつ考え"に惹き付けられていくという意味での『ONE GRAVITY』です。
それともうひとつ意味があって、直訳すると『1気圧』という意味なんですが、気圧には高低差があって、高い方から低い方へ流れていくんです。それも理由のひとつとしてあります。ひとつのものに魅せられ、惹き付けられ、そして吸収されるというカタチをコトバにしたときに、その名前がいちばん合っていたんですよ。

─ブランドのコンプトは?

日常生活というステージのなかでのカッコよさを表現したいと思っていて、「上質なものはラフに、カジュアルなものには緊張感を与える」という対極をブランドとしてのコンセプトにしています。

─仕事上、自分もふくめて、カジュアルなんだけれどフォーマルにちかいカッコウをする人がおおいと思うのですが、営業職だとしてももちろんデスクの仕事もしているわけですよね? その場合、いくらカジュアルとはいえフォーマルにちかいと、やはり生活しづらいんですよ。だけど、猪股さんの服は、フォーマルにかなりちかいのに着ていても動きやすいし、ラクなんですよね。

「ONE GRAVITY」  猪股裕樹

『晴れの場』と『褻(け)の場』というのはあるのですが、日本はそれほど縦社会ではないので、T.P.Oなんて発達していないんですよ。極論でいえば、出かけるときと遊ぶとき、仕事するとき、テンションさえ保てればすべておなじ服を着れたらいいわけです。だから、そのなかでカッコよさをどう感じさせるのかという部分は、ブランド側の永遠のテーマなんでしょうけれどね。もちろん"カッコよさ"という感覚もシーズンごとに変わっていきますし、その曖昧な部分を服という媒体を介してできたらいいと思います。

しかしながら、いまは自分が表現したかったのはコレだというのを、一言で表現しないといけない時代じゃないですか?
だれでも自分の枠組みのなかにはめ込みたい、はめ込まないと解釈が出来ないということなんでしょうけれども、それこそお店さん自体がブランディングのときにそうとらえていますよね。たとえば、エビス系というと売れるみたいな話なんでしょうけれど──その方がラクなんだろうな。

─何かしらの要因で、すべてがそういう文化に向かっているのでしょうね。言ってしまえば、便利になった時代だと思うんです。だけど、その便利さというのは紙一重なんですよね。だって、考えなくてもいいじゃないですか?
それに、ここ5年くらいは世の中を見てもヒトが着ている服がすべていっしょに見えてしまって仕方がないんですね。それはすくなくともインターネット・オークションの影響があるとおもうんです。売れるものカタチやブランドが決まっていて、それが分かっているからみんなそれを買って、そして売ることを繰り返しているからではないでしょうか?
だから、最近はオシャレという意味での突拍子もないカッコウをしたひとが減ったような気がします。昔はファッション的にもトガっていたひとが多かったような気がします。結局はモノが売れないという時代なんでしょうね、売れているところは売れているんですけれど──。

そうですね。売れているにしても売れ方が微妙なんですよ。メディアの影響が決してないわけではないのですけれど、いまはメディアをラクに使いすぎなのかなと感じます。もちろん商売なので、その部分も必要なんですけれどね。

─服をつくろうと思ったキッカケはなんでしょうか?

自分には生まれたときからその下地があるんです。
実家が洋服屋で、母親はいわゆるレディースの仕立て屋だったんですよ。だから洋服屋になったという理由にはならないのですが、ただばくぜんとサラリーマンはイヤだったんですね。
僕らは団塊の世代の後の世代で、彼らに対するアンチテーゼみたいな部分がどうしてもあるんです。サラリーマンとして安穏と暮らすのはイヤだなって──。服をつくり始めたのは、そのふたつの理由からですね。

─最初は、アパレル会社に勤められたのですか?

学校を卒業して、採用試験を受けてというのが通常なんでしょうけれどもね、やはり普通のレールの上を歩くのがイヤだったんですよ。だから就職活動を一切しないで、大胆にもいきなりフリーのデザイナーというカタチでやり始めたんです。ただ実際にフリーで活動できたのは半年くらいで、そのあとは就職したんですけれどね。なぜなら、ある仕事を頼まれたときに、先に70万円くらいお金が必要だったんですよ。結局、その仕事は受けなかったんですが、そのときに「大きな仕事を受けるときに先立つものがないと受けられない」と思ってしまったんです。
それで、アパレル系の人材バンクに登録して、たまたま対米輸出だけをやっている会社に採用になって、というのが就職のスタートですね。

─その後、『ONE GRAVITY』を立ち上げるまで、どのような経緯があったのでしょうか?

その会社で何年か働いたのですが、結局、そこも最終的にはつぶれたんです。それ以降は、就職をしないでフリーのカタチをとって、97年に猪股デザイン研究所を立ち上げたんですよ。『ONE GRAVITY』じたいは、シーズンでいうと2000年の秋冬からですね。

─立ち上げ当初は、猪股裕樹デザイン研究所名義のブランドは持っていなかったんですか?

持っていなかったですね。
そのときに仕事の核だったのが、地方のセレクトショップのオリジナル商品のデザインです。しかも、そこのお店さんは他の都市のお店に卸しをしていたんです。地方のお店さんが卸しをしているなんて、いまにしてみれば信じられないはなしなんですけれどね。そこのブランドのデザインを5年くらいやっていました。
その時期は、インポートブームの時代だったので、地方の専門店さんでも都内のセレクトショップより勢いのあったところがたくさんあったんですよ。

           
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