UNITED ARROWS|重松 理が語る、ユナイテッドアローズの躍進
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ユナイテッドアローズ創業25周年スペシャルインタビュー(2)
重松 理が語る、ユナイテッドアローズの躍進
1990年7月に第一号店の渋谷店でスタートし、92年10月、待望の本店が渋谷区神宮前3丁目にオープン。時代はバブル崩壊で大騒ぎだったが、96年、ユナイテッドアローズにとって大きなチャンスが訪れる。俳優の本木雅弘が富士銀行(現・みずほ銀行)のコマーシャルに3つボタンスーツで颯爽とあらわれたのだ。
Photographs by SUZUKI SimpeiText by KAJII Makoto (OPENERS)
3つボタンスーツとクラシコイタリアで大躍進
今振り返ると、2つボタンから3つボタンへの変化なのだが、当時、本木雅弘が着てあらわれた3つボタンスーツは鮮烈で新鮮な印象に残った。
「ビームス時代は雑誌『ポパイ』とともに、そして『ブルータス』に取り上げられるなど、雑誌を見て服を買いに来る人が多かったのですが、時代が変わり、ユナイテッドアローズでは、人気芸能人がドラマやCMなどで着ている服が売れることが多くなった。とくにドラマはクレジットを出していなかったので、知る人ぞ知るで売れていったこともあります」と重松 理氏。
富士銀行のポスターの影響で3つボタンスーツが爆発的に売れたのと同時に来たのは、いわゆるクラシコイタリアブームだ。
「当時、スーツの米英スタイルを紹介しているセレクトショップはありましたが、イタリアのクラシコイタリアのブランドを知識をもって販売するところはなかった。そのころから、“早いモノをいち早く店頭に並べて、お客さまに提供する”というユナイテッドアローズの姿勢は変わっていません」。
スタイルを確立し、もう少し幅広い層にきちんと伝えていきながら、さらにオリジナル商品に落とし込んでいくというユナイテッドアローズの商売の基本が90年代の大躍進の時代に確立する。
「バイイングでは、バルギーのアントワープのデザイナーをいち早く取り上げて紹介するなど、欧米を含めたブランド提供ももう一つの柱になって、ユナイテッドアローズの発展に大きく寄与しましたね」。
社長から会長へ、そして再び社長に復帰
ユナイテッドアローズは順調に業績を伸ばし、2003年に東京証券取引所第1部に上場。そして、重松氏は2004年に社長から代表取締役会長に就任するが、2009年に代表取締役会長を退任し代表取締役社長に復帰する。
「僕は、責任感は強いけど、俺が先頭に立つという性格ではなく、つねにつぎの代にバトンタッチをしていくべきだと思っていて、早めに社長を交代しました。しかし、業績を落としてしまったので、社長に戻って再スタートを切りました。創業者としての責任で戻ったんですね」。
社長に復帰し、いわゆる業務改革を推進して、組織と商品計画の改善から、業績を立て直した。「私たちは世界中からいいものをセレクトしていますが、セレクトだけでは他店とのバッティングも起こる。ユナイテッドアローズとしてのオリジナルのものづくりが真の差別化につながると思っているので、ものづくりの精度は高めていかなければらない」と語る。
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