UNITED ARROWS|創業25周年 重松 理スペシャルインタビュー(1)
Fashion
2015年4月24日

UNITED ARROWS|創業25周年 重松 理スペシャルインタビュー(1)

ユナイテッドアローズ創業25周年スペシャルインタビュー(1)

重松 理が語る、ユナイテッドアローズ

1989年10月、渋谷区神宮前2丁目に、株式会社ユナイテッドアローズが資本金5000万円で設立──ユナイテッドアローズが10月2日(木)に創業25周年を迎える。6月24日に開かれた株主総会をもって、ユナイテッドアローズの創業者である重松 理氏が取締役を退任し、名誉会長となった。これまでユナイテッドアローズの指揮を執ってきた重松氏が、その25年を振り返る。

Photographs by SUZUKI SimpeiText by KAJII Makoto (OPENERS)

25周年記念サイトでは“恩人たち”との対談を掲載

ユナイテッドアローズでは、創業25周年を記念したスペシャルサイトを開設。そのなかには25年間を支えてくれた“恩人たち”との対談ページがある。その第1回目が重松氏と、当時ワールドの代表取締役社長だった畑崎廣敏氏(公益財団法人畑崎財団 理事長)だ。

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「畑崎さんはユナイテッドアローズの恩人ですね。創業のバックアップをしていただいたのですが、畑崎さんは天才型で、勘も鋭いし、数字にも強いし、きわめて商売センスが高いレベルにあるひと。お客さまが何を欲しいのかを徹底的に追求し、市場を掘り下げ、あたらしいマーケットを創った経営者です」と重松氏は語る。

「25周年の感想は、早いな、というのが一番の印象ですね。以前、ユナイテッドアローズが10年を迎えたときに、自分はビームスに13年在籍したので、“まだビームスの方が長いんだよね”と言っていましたが、それからもう15年も経ちました」

外に出て、自分が社長になればいい

ユナイテッドアローズが設立された1989年は、まさにバブル時代のまっただ中(一般的にバブル崩壊は1991年3月から)。当時を「私たちにとって最高のタイミングだった」と言う。創業に踏み切った理由を聞いた。

「当時の自分のなかの不足感、何かをどうにかしよう、というところからはじまりました。ビームス在籍時代から自己啓発セミナーが好きで、あるときのセミナーでマンツーマンセッションのお相手が60代の女性経営者で、自分は当時38歳のいわば番頭的役職。何かをどうにかしたくて、日々悶々と悩んでいると打ち明けたら、彼女は『あなたそれは簡単よ、外に出て、自分が社長になればやりたいことができるわよ』と。それを言われて、霧が晴れたんです」

その後、ワールド(畑崎氏)のバックアップを得て、1989年10月に会社設立、翌1990年の7月に、渋谷区神宮前6丁目の明治通り沿いに「ユナイテッドアローズ渋谷店」を第一号店としてオープンする。

「建築家のリカルド・ボフィルが設計する原宿本店(フラッグシップショップ/1992年10月オープン)ができあがるまで3年かかる予定だったので、先行して、パイロットショップ的な位置づけで渋谷店がオープンしました」

当時はまだ、“セレクトショップ”という呼称も存在しなかった時代に、「十貨店」というコンセプトを掲げ、渋谷店は華々しくオープンした。

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「私たちの提案したいものは、当時の既存の百貨店にたとえると9割が不必要で、1割しか残らない。それを表現した言葉が『十貨店』でした。渋谷店のスタートはすごくよかったんですよ。1990年7月20日のオープンで、8月の売り上げが5000万円。路面の初めてのお店では当時、破格の売り上げを記録しました。

まわりからの期待やプレッシャーはありませんでしたね。もうやりたいことをやる。リスクも感じていなかった。それまで行きたくても行けなかった出張に行って、自分の目で見て回った。洋服以外の家具や建築などライフスタイルの展示会もよく行ったし、それが『ユナイテッドアローズ』の提案する“衣食住遊知”のライフスタイルにつながっていると思います」

第2回 『ユナイテッドアローズが躍進するきっかけを聞く』へ

ユナイテッドアローズ
http://www.united-arrows.co.jp/

ユナイテッドアローズ25周年特別サイト
http://www.25th.united-arrows.co.jp/

           
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