【インタビュー】KANSAI YAMAMOTOの代表作「TOKYO POP」がBE@RBRICKと初コラボレーション
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2024年7月22日

【インタビュー】KANSAI YAMAMOTOの代表作「TOKYO POP」がBE@RBRICKと初コラボレーション

MEDICOM TOY|メディコム・トイ

BE@RBRICK KANSAI YAMAMOTO “TOKYO POP” 400% / 1000%

デヴィッド・ボウイを象徴する衣装として世界的に知られる、KANSAI YAMAMOTOの代表作「TOKYO POP」がBE@RBRICKとなって登場! その裏側にある想いや開発エピソードなどを、株式会社 山本寛斎事務所 デザイナー・クリエイティブディレクター高谷健太氏に聞いた。

Text by SHINNO Kunihiko|Edit by TOMIYAMA Eizaburo

1973年に『ジギー・スターダスト』 USツアーのステージ衣装として着用し、その後もデヴィッド・ボウイの象徴となったKANSAI YAMAMOTOの代表作「TOKYO POP」がBE@RBRICKになり、MEDICOM TOY EXHIBITION '24 開催記念商品として先行販売されている。ここではその開発エピソードとともに、作品に込めた思いを株式会社 山本寛斎事務所 デザイナー・クリエイティブディレクター・高谷健太氏にうかがった。
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山本 寛斎
1944年神奈川県横浜市生まれ。岐阜県岐阜市出身。71年、ロンドンで日本人として初めてファッション・ショー 「Kansai in London」を開催し、世界の舞台へ。既成概念を突き崩すアヴァンギャルドなデザインは、時代に敏感な若者から圧倒的な支持を獲得。74年から92年までパリ・ニューヨーク・東京コレクションに参加し、世界的デザイナーとしての地位を築く。93年以降は、ファッションデザイナーの枠を超え、スペクタクルなライブイベントのプロデューサーとして活躍。世界中でKANSAI SUPER SHOWや日本元気プロジェクトを開催するほか、2008年G8洞爺湖サミットの会場・社交行事の総合プロデュース、成田新高速鉄道の特急「京成スカイライナー」新型車両の内装・外装のデザイン(2010年度グッドデザイン賞、2011年度ブルーリボン賞受賞)担当など幅広いジャンルで活躍。2020年、76歳の生涯を閉じる。
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開発には2年以上かかりました

──今回の「TOKYO POP」のBE@RBRICKはどういうきっかけで始まったものでしょうか。
高谷健太(以下、高谷) 実はこのBE@RBRICKは開発に2年以上かかっており、企画が立ち上がったのはコロナ禍の真っ只中でした。メディコム・トイの方たちとはかねてより交流がございまして、ご一緒に、世の中が元気になれるプロジェクトをやろう!! という話になったんです。
山本寛斎は1971年に日本人として初めてロンドンでファッションショーをおこないました。イギリスを代表するファッション・デザイナーであるマリー・クワント(Mary Quant, 1930年2月11日 - 2023年4月13日)さんは当時の様子を、「寛斎はがむしゃらに頑張っている。そして彼のファッションはロンドンのファッションに大きな影響を与えた」と語っていました。その影響を受けたひとりが、きっと若きデヴィッド・ボウイ(David Bowie、1947年1月8日 - 2016年1月10日)だったのでしょう。
高谷 健太|たかや けんた
株式会社山本寛斎事務所代表取締役/デザイナー・クリエイティブディレクター・イベント演出家
1975年生まれ。北海道札幌市出身。1998 年より師である⼭本寛斎とともにファッションデザイン、イベントの企画演出をはじめ、国際博覧会、地⽅創⽣事業など、ジャンルを超えたプロジェクトを国内外で幅広く⼿掛ける。寛斎氏がライフワークとしてプロデュースしてきた「日本元気プロジェクト」も2020年はコロナ禍の状況からオンラインでの開催とし、病床の寛斎氏に代わって陣頭指揮を執った。同年、株式会社山本寛斎事務所代表取締役に就任し、ブランド展開からイベントやショーの企画・演出まで同社の多彩な活動をリードする。
高谷 「TOKYO POP」は、歌舞伎の“引き抜き”(観客の眼前で一瞬にして衣裳を変化させる仕掛け)から影響を受け、前後に割れる構造になっています。寛斎が一番大切にしていたのは日本の「婆娑羅(ばさら)」という概念であり、歌舞伎の語源である「傾く(かぶく)」いう日本のアウトロースタイルでした。それがデヴィッド・ボウイのクリエイティビティと共鳴し合って爆発的なエネルギーが生まれました。
50年も前の作品なのに、いま見てもまったく色褪せない。新しい/古い、男性/女性、西洋/東洋といった概念を超越したデヴィッド・ボウイの表現を、共に作り上げたのが山本寛斎であり、スタイリストの草分け的存在である高橋靖子さん(1941年生まれ)であり、カメラマンの鋤田正義さん(1938年生まれ)なんです。
高谷 当時のことを寛斎に聞いた際、本人の言葉ですが「東でめちゃくちゃ頑張ってる若者と、同じく西でめちゃくちゃ頑張っている若者が共鳴して、互いに命がけで表現の世界を作り上げた」と話してくれました。
デヴィッド・ボウイはイギリスから海を渡ってアメリカに勝負にいくツアーが失敗したら未来がない、寛斎だってイギリスでファッションショーを行うのに全財産を費やしたことでしょうし、人生をかけてデビューしたわけで、そういうとてつもない挑戦を互いにしている人たちによるエネルギーのコラボレーションだったわけです。
この頃はアメリカとソビエト連邦が宇宙開発で競い合っていたり、ベトナム戦争下ということもあって、若者たちの反戦に対するエネルギーをはらんでいた時代でもあります。私は当時を生きていないのでその熱狂を語ることはできないんですけれども、今は当たり前になっている「音楽」と「ファッション」がひとつになった表現の先駆けだと思います。まさにその爆発的なエネルギーを、このBE@RBRICKを通してメッセージできたらという願いを込めてご一緒させていただきました。
──ロックの名盤として誉れ高いアルバム『ジギー・スターダスト』のアメリカツアーで「TOKYO POP」を着た反響はどういうものだったんでしょうか。
高谷 デヴィッド・ボウイがこの衣装を着てステージで初披露したのが1973年2月14日、水曜日。会場はニューヨークのレディオシティ・ミュージックホール(Radio City Music Hall)でした。開場は22時30分、開演が23時。平日の夜中に6000人を超えるホールで行われたわけですが、マイナス7℃という気温にも関わらず、午後から熱狂する若い人たちが会場前に並んで列をなして開演を待っていたそうです。
ショーは15分押しで始まり、23時15分に会場が暗転すると「TOKYO POP」を着たデヴィッド・ボウイがミラーボールのような球体に乗って、天井から降りてきました。1曲歌い終わり、拍手喝采で2曲目に入るところ、デヴィッド・ボウイは微動だにせず動かない。そこに黒子のような女性がスッと飛んで出てきて一気にこの服を脱がすと、ニューヨークの若者たちは大熱狂したといいます。
その場には寛斎もいました。前日の夜中の3時、寛斎のもとにデヴィッド・ボウイのステージ衣装を担当していた高橋靖子さんから国際電話があって「今すぐ来るべきよ」と言われて翌日現地に飛び、その光景を目の当たりにして涙が止まらなくなったそうです。その日からデヴィッド・ボウイが亡くなるまで交流は続きました。
──この服はもともとデヴィッド・ボウイのために作られたものではなかったそうですね。
高谷 女性用のジャンプスーツとして作った作品を高橋靖子さんがスタイリングしたものです。なので実際の作品を見るとマチを入れて布を足して、少し大きくした痕跡があるんです。身幅も非常に細いので男性で入る人はなかなかいない中、この服をデヴィッド・ボウイが着用できたのはすごいことですね。こちらにあるのは実物のレプリカですが、その時に直した痕跡もきちんと残してあります。

元気をみんなに届けたい一心で作りました

──ここからは「BE@RBRICK KANSAI YAMAMOTO “TOKYO POP” 400% / 1000%」の開発エピソードをお聞かせください。
高谷 まずはオリジナルと同じ生地探しから始めました。製作はメディコム・トイさんがおこない、私たちは素材やディテールを監修したのですが、こんな異形な服はBE@RBRICKチームの皆さんも手がけたことがないので相当ご苦労をおかけしました。特に大変だったのが白いライン。人間とはフォルムが大きく異なるので、BE@RBRICKに着せた時に、ラインが均等に流れていかないんです。特に400%はサイズが小さく、さらに模様が細かいので、これが一番大変でした。
──1000%のほうは実物と同じく前と後に割れる構造も再現しているんですね。
高谷 裏地の生地や色もそのまま再現してあります。よくここまでやってくれたっていうぐらい根気強く修正を重ねてくださってBE@RBRICKのチームの技術力の高さに頭が上がりません。
──ボディには赤をベースにKANSAI YAMAMOTOと名前が入っています。
高谷 この赤は、三重県伊勢市の二見興玉神社にある夫婦岩、夏至の日(6月21日)に登る朝日の写真から抽出した色なんです。夏至は日照時間が一年で一番長い日ですから、このBE@RBRICKに最も強い太陽のエネルギーを宿らせたいなって。開発中はコロナ禍というもあり、元気をみんなに届けたい一心で作っていたので、この色しかないと思ったんです。
──「TOKYO POP」という名前の由来についても教えてください。
高谷 この作品に「TOKYO POP」という名称がつけられたのは発表からかなり後になります。アントニオ・ロペス(Antonio Lopez, 1943年2月11日 - 1987年3月17日)というファッションイラストレーターが、来日時に刺激を受けたものを描いたTOKYO POPというイラスト集があって。その中にニッカボッカ(裾がしぼられた膝下丈のズボン)を履いて作業している人の絵が収録されていたんです。アントニオ・ロぺスと寛斎はかねてより親交があり、一緒に歌舞伎を観に行く仲でもあったんですけれども、この服のシルエットはそのアントニオ氏のニッカボッカの絵からインスパイアを受けたことから「TOKYO POP」という名前になったそうです。
──改めて、今回コラボレーションされたBE@RBRICKについての感想をお聞かせください。
高谷 かねてより尊敬しておりまして、トイでありながら社会的なメッセージを伝えるためのひとつのメディアになっている気がします。例えば、BE@RBRICKを通して、葛飾北斎を知ったり、キース・ヘリングを知ったり、はたまたルーブル美術館や九谷焼を初めて知る人もいるでしょう。そう考えると、「TOKYO POP」が世に出て50年以上経ちますけれども、今回のBE@RBRICKを通して寛斎を初めて知る方、デヴィッド・ボウイを知る方も確実にいると思うので、BE@RBRICKってすごい媒体だなと思います。
──今後、株式会社 山本寛斎事務所ではどのようなことをやってみたいですか。
高谷 2013年にイギリス・ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム(以下V&A)で、デヴィッド・ボウイの世界観やキャリアを総括した大回顧展『DAVID BOWIE is』がスタートしました(同館の最大入場者数を記録し、その後は世界各国を巡回。日本でも2017年に開催)。
1993年以降、ファッションからパフォーミングアートへと軸を移して活動を続けてきた寛斎でしたが、同展で手掛けたステージ衣装が最も注目を集めたことから、2013年11月『Fashion in Motion: Kansai Yamamoto』と題して20年ぶりのファッションショーをV&Aで開催しています。その5年後の2018年、スコットランド北部のダンディー(Dundee)という都市でV&Aの新しい分館「V&A Dundee」がオープンしました。
寛斎は「V&A Dundee」でショーをやりたいという話を亡くなる寸前までし続けていたので、今後の展開の中のひとつとして「V&A Dundee」でエキシビションをやりたいという思いはあります。
あとは、ヨーロッパのブランドの多くは過去のアーカイブをしっかり残されておりますが、私たちのブランドは山本寛斎自身のポリシーとして、過去に作ったものはもはや古いものとして残してこなかったんです。
そのため、世界中に散っている作品を一堂に会したエキシビションだったり、逆に「ない」ことを逆手にとったテクノロジーを駆使した新しい表現もあるでしょうし、面白いクリエイションができたらいいなと考えています。BE@RBRICKでコレクションが再現できるかもしれないですし、実現すれば私たちにとって大きな財産になります。
例えば「出火吐暴威(デヴィッド・ボウイ)」と漢字で書かれたマントのBE@RBRICKだったり、作りたいものはたくさんあります。おそらくこの衣装が一番再現するのが大変だと思うので、ここまで開発に時間がかかることはないと思います。
──楽しみにしております。他にもイベントの予定などございますか?
高谷 直近では、阪神甲子園球場が開場100周年を迎える8月1日、阪神巨人戦の試合開始前におこなわれる「阪神甲子園球場100周年記念式典 KOSHIEN CLASSIC ~1924.8.1 - 2024.8.1~」の総合演出を担当します。寛斎自身、ライフワークとして「日本元気プロジェクト」をプロデュースしてきましたし、私も一緒に演出を行っていたので、今後も弊社としてはファッションのみならず、人々を元気にするイベントであったり、日本の伝統文化を広く伝えるべく、地方創生型の事業などをお手伝いできればと思っております。
──今回の取材のために過去の資料を調べていて驚いたのですが、寛斎さんはデビュー前の1965年、「第2回日本シャンソンコンクール」に出場されたことがあるんですね。
高谷 そうなんです。そのコンクールの優勝賞品がパリ行きのチケットだったんですよ。まだ若くてお金に苦労されていた時期、ファッションの本場パリに行けるということで出場したそうです。そこでグランプリを受賞して、歌手デビューされたのが加藤登紀子さんだったとお聞きしております。加藤さんも世界でご活躍されておりますが、あの世代の方たちのほとばしるようなエネルギーって本当にすごいですよね。とても励みになります。
BE@RBRICK KANSAI YAMAMOTO “TOKYO POP” 400% / 1000%
サイズ|各全高約280mm/700mm
発売日|2024年7月発売予定 ※『MEDICOM TOY EXHIBITION ’24』での先行販売後にメディコム・トイ運営オンラインストア、直営各店舗にて販売いたします。
価格|[400%] 2万8600円(税込) / [1000%] 14万800円(税込)
※数量限定商品につき、在庫が無くなり次第、販売終了とさせていただきます。予めご了承ください。
©️KANSAI SUPER STUDIO
BE@RBRICK TM & ©️ 2001-2024 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
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『MEDICOM TOY EXHIBITION ’24』
会場:スペース オー[表参道ヒルズ 本館地下3F]
場所:東京都渋谷区神宮前4-12-10
期間:2024年7月23日(火)~ 2024年7月28日(日) ※会期中無休
開場時間:11:00 ~ 20:00 ※入場は閉場の30分前まで 
入場料:無料
お好きな時間に自由に展示をご観覧いただくことが可能です。
※ご来場人数によっては、入場を制限させていただく可能性がございます。
問い合わせ先

メディコム・トイ ユーザーサポート
Tel.03-3460-7555(平日11:00~18:00)

                      
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