日本画を描く感覚を駆使して、'80年代モチーフをグラフィティへと落とし込む|MEDICOM TOY
MEDICOM TOY|メディコム・トイ
福岡県出身のグラフィックアーティスト
KYNEさんに聞く(1)
モノクロでシンプルに女性を描く作風で注目を集める福岡在住のグラフィックアーティスト、KYNEさん。1980年代カルチャーの影響を受けた作品は一度見ただけでインパクト充分。若者からの圧倒的な支持を集め、昨年メディコム・トイのテキスタイルブランド「FABRICK」のアイテムの数々が、あっという間に完売となったことも記憶に新しい。今回はBE@RBRICK KYNE 400% / 1000%が受注販売されることを記念して、そのルーツに迫りながら独特の絵柄が生まれるまでの経緯についてうかがった。
Photographs by OHTAKI KakuText by SHINNO Kunihiko
文字が溢れる街中では、ああいう顔のモチーフがすごく目立つ
――小さい頃から絵を描くことはお好きだったんですか?
KYNE 好きでした。運動もあまり得意じゃないし、音楽も聴くのは好きだけど演奏するのは向いてなくて。絵を描いているときが一番楽しいから、デザイン科がある高校に進学して、専門の勉強を始めたんです。油絵とか陶芸とか美術全般をひと通り教えてくれる学科で、僕は人物を描くのが好きだったので人物画を中心に描いていました。
――大学では日本画を学ばれたそうですね。
KYNE 油絵のように絵具を重ねて立体的に描く表現方法が自分に合わないと思ったんです。日本画は岩絵具(鉱石を砕いて作った粒子状の絵具)という特殊な絵具を膠(にかわ)で溶いて和紙に彩色していくんですけれども、膠で溶いているときと乾いたときでは色が違ってしまうので立体的に描写するのが難しいんです。なので日本の伝統絵画は陰影のない平面的な表現が大きな特徴なんですけど、日展や院展、平山郁夫さんの作品などをいろいろ見ていくうちに線の描写が綺麗だなっていうことに気づいて。
――グラフィティアートを始めたのも同じ頃ですか?
KYNE もともと美術と同時進行でストリートカルチャーにも興味があって、高架下に描かれた絵の写真を撮りに行ったり、洋書を扱っているお店に行ってグラフィティの写真集を探したりはしていました。実際にスプレーで絵を描き始めたのは18歳ぐらいです。最初は文字とかリアルなポートレートを描いていたんですけれども、ある程度までいくと、どうやったら自分らしい個性を出せるだろうと考えるようになって。
そうした中で、グラフィティの表現のひとつにステッカーやポスターを街中に貼るカルチャーがあって。
――現在のKYNEさんの活動の出発点ともいえる、モノトーンで描かれた女性のステッカーですね。
KYNE 普段から文字がいっぱい溢れている街中では、ああいう顔のモチーフってすごく目立つんです。しかも立体的なものより、平面でコントラストが強い絵の方が、インパクトがあるというところまでたどり着いて。それまではまったく別物として考えていたんですけれども、意識的に日本画を描く感覚でグラフィティっぽいデザインに落とし込んだ作品を描くようになりました。
――お話をうかがって改めて作品を見ると、確かに日本画の影響が感じられます。同時にKYNEさんの描く女性は、'80年代のアイドルを彷彿とさせますね。
KYNE '80年代の音楽が好きなんです。当時のアイドルレコードジャケットは正方形にトリミングしているのでインパクトのある構図が多いんです。しかも背景は単色っていうのがすごくいいなと思って。'70年代、'80年代の女性ジャズシンガーのレコードも、フォント使いとかすごくお洒落でカッコいいですよね。
――'88年生まれのKYNEさんが、'80年代カルチャーに興味を持つきっかけはなんだったんですか?
KYNE 中学生のときに姉が借りてきた氣志團のメジャーデビュー前のミニアルバム『房総与太郎路薫狼琉』を聴いたことが大きかったです。綾小路翔さんは'80年代のカルチャーに精通しているので自分たちの作品の歌詞、タイトル、ジャケット写真の構図に至るまで過去の作品にオマージュを捧げているんです。元ネタを知るとさらに面白いので、氣志團を入り口に、パンク、昭和のポップス、漫画、映画……たくさん吸収しました。当時はまだ今みたいにネットで調べればすぐ分かる環境ではなかったので、自分の足で中古CD屋や古本屋に行っては"この曲のタイトルはたぶんこれから来てるんじゃないかな?"みたいな感じで探していました。
――'80年代カルチャーに影響を受けたイラストレーターは数多いですが、KYNEさんは日本画とグラフィティというふたつのバックボーンが非常に強みになっていますね。ご自身のスタイルが確立できたなと思ったのは、いつ頃でしたか?
KYNE うーん……もっと自分らしさを出せないかなと常に考えているので、まだまだ確立できたとは。「◯◯っぽいね」とか言われると、ああ、そう見えるんだなっていうのは感じます。名前を挙げていただくアーティストの中には大好きで尊敬している方もいますが、そこを通ってきたというよりは、いろんなところから吸収した結果アウトプットが似てきちゃったという感じですね。
――企業とのコラボアイテム、雑誌の表紙、CDのアートワークなど活躍の場も広がりました。個人的には5lackさんの「Feelin29 feat. Kojoe」のジャケットが印象的でした。
KYNE 5lackとは絵を描く前からの知り合いなんです。Olive Oilさんという福岡在住のトラックメーカーと一緒に曲を作っていたこともあって、しょっちゅう福岡に遊びに来ていて。街中でまた会ったね
みたいな感じで顔を合わせているうちに「今度こういう曲を出すからジャケットを頼みたいんだけど」って言われて。
――5lackさんはいま福岡に住んでいるんですよね。KYNEさんも昨年、イラストレーターのNONCHELEEEさんと共同でアトリエ兼ギャラリースペース『ON AIR』をオープンしました。福岡はいろいろなカルチャーがクロスオーバーしながら全国に発信する場所になっていますね。
KYNE そうですね。福岡は狭いので、原宿くらいのスペースに渋谷も新宿も全部入っちゃってるみたいな感じです。
Page02. 自分の作品のサイズをどんどん大きくしていきたい
MEDICOM TOY|メディコム・トイ
福岡県出身のグラフィックアーティスト
KYNEさんに聞く(2)
自分の作品のサイズをどんどん大きくしていきたい
――昨年、メディコム・トイのテキスタイルブランド、FABRICKから、KYNEさんオリジナルのバッグやキャップなどさまざまなアイテムがリリースされました。
KYNE たまたま共通の知り合いを介してメディコム・トイのスタッフの方につないでもらう機会があったんです。僕の作品を見て「FABRICKで出したら面白いんじゃない?」って、その場で担当の方に連絡してくれて。
――それまでメディコム・トイのことはご存じでしたか?
KYNE もちろん知ってました。最初に買ったのは中学生の頃、コンビニで売られていたJerry BrllyのBE@RBRICKです。同じ頃、「カルピスウォーター」のキャンペーンでちっちゃいBE@RBRICKが付いていて(「カルピスウォーター」オリジナル夏コイBE@RBRICK)、それも友達と一緒に集めた記憶があります。その後もファッション誌に載っているKAWSのフィギュアやSTASHのKUBRICKの写真を眺めながら、カッコいいなあと思っていました。
――KYNEさんのFABRICKシリーズには電話をかける女性のアートワークが使用されています。この絵にはどんなバックグラウンドがあるんでしょうか?
KYNE 福岡で和モノのDJイベントをたまにやっていて、その告知用に描いたのが最初なんです。'80年代の資生堂とかのCMって、なぜか女の人が電話をかけているシーンがすごく多いんです。おそらく受話器を持つことによって向こう側を連想させてるのかなと思うんですけど。自分でも気に入っている絵なので、「FABRICK」では少し手を加えて調整したものを使いました。
――今回メディコム・トイからリリースされるBE@RBRICKは、昨年12月に発売されたBE@RBRICK SERIES 35のシークレットとして話題を呼んだモデルの400% Ver.と1000% Ver.です。まるで背中にステッカーを貼っているかのようにKYNEさんの絵がプリントされています。
KYNE 自分でもこのボディに自分の絵をどう表現していいのか、なかなかわからなくて。試行錯誤した結果、FABRICKからの流れでこうなった感じです。
ボディのカラーも自分が何かを作るとき結構パープルとかミントみたいな中間色を使うことが多いので、この配色にしました。
――こういうパステルカラー風の色遣いは、
日本画を描いていたこととも関係するんでしょうか?
KYNE 逆に日本画ではこういう色は使いたくても、なかなか使えないんです。岩絵具は色によって値段が全然違って、天然の青とか緑はすごく高いんです。平山郁夫さんの真っ青な作品なんて、たぶん絵具だけでものすごい金額になると思います。そういう理由から若い学生が描く日本画は茶色っぽいものが多いです。安いから(笑)。日本画で使えなかったぶん、FABRICKやBE@RBRICKでふんだんに使ったというのはあるかもしれないです。
――即完売が相次いだFABRICKのアイテム同様、今回のBE@RBRICKもたくさんの方が応募されると思います。
KYNE そうなったら嬉しいですね。
――KYNEさんのファンはどういう方が多いですか?
KYNE 20代から30代前半、それから30代後半の人も結構多いです。というのも最初に僕の絵をいろんなところで紹介してくれたのが、俳優の村上淳さんなんです。なので淳さんを好きな世代の方が、興味を持ってくれはじめました。
――村上淳さんとはどういうきっかけで知り合われたんですか?
KYNE 淳さんが半年ごとにDJの仕事で福岡に来ていて、街中に貼ってあった僕のステッカーを見て興味を持ってくれたそうなんです。イベント先のクラブのスタッフさんのスケボーにも貼ってあったので、「ずっと気になってるんだけど、この絵は誰が描いてるの? ぜひ紹介してほしい」という話になって。
そのとき自分はまだ純粋にステッカーを街に貼るのを楽しんでいた時期で、有名な人だし会うのが怖いから断ってもらっていたんですけど、1年ぐらいしてもまだいろんな人から会いたいと言ってるらしいよっていう話を聞いて。ついにグラフィティ仲間からも言われはじめて、そこまで本気で思ってくれるならということでお会いしました。いまから5年ぐらい前です。
――どうしても会いたかったんですね。
KYNE 最初はちょっと構えていたんですけど、会った日にいきなり「このCD、作業場で聴いてください」みたいな感じでCDをくださって。すごく粋な人だなぁと思いました。そのまま自宅まで来て絵を3枚買っていってくれたんです。その絵を写真に撮っていろんなところで紹介してくれたり、一緒にTシャツを作ろうと言ってくれたり。オーバーグラウンドでの活動のきっかけを作ってくれたのが淳さんでした。
――そこからは密度の濃い5年間でしたね。
KYNE そうですね。とても濃かったと思います。
――今後やってみたいことはなんでしょう?
KYNE せっかく関わりを持てたので、メディコム・トイとまた何か一緒にやれたらいいなと思います。先日、アンドレのボール(2018年3月発売「VCD ANDRE SARAIVA MR. A BALL」)を買ったんですけれども、ああいう立体物は自分だけの力では作れないので。
あとは作品のサイズをどんどん大きくしていきたいです。いままでは大きな絵を描きたくても売れるかどうか分からない状態ではなかなかチャレンジできなかったんですけど、ようやく描ける状況が整ってきたので。昨年は100号(1620×1300mm)の絵を描いたので、それより大きいものを描いてみたいですね。時間はかかってしまうと思うんですけれども。
――最後にKYNEさんがコラボレーションしてみたい方がいらっしゃれば教えてください。
KYNE やっぱり僕が'80年代カルチャーに興味を持つきっかけを作ってくれた氣志團の綾小路翔さんですね。いつかご一緒できる日が来るように頑張りたいです。
――そちらもぜひ実現する日を楽しみにしています!