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2020年5月9日
B's INTERNATIONAL(ビーズインターナショナル) 代表取締役会長 皆川 伸一郎氏インタビュー
MEDICOM TOY|メディコム・トイ
B's INTERNATIONAL(ビーズインターナショナル)
代表取締役会長 皆川 伸一郎氏インタビュー
「XLARGE(エクストララージ)」や「X-girl(エックスガール)」などのファッションブランドの企画・販売、ヴィンテージ家具の販売、アーティスト・アニメ・ゲームとのコラボレーション商品の企画、映画の配給・宣伝など、様々なアプローチで文化を発信し続けているB's INTERNATIONAL(ビーズインターナショナル)。今回は1990年代初頭からストリートカルチャーにいち早く注目し、数々のブランドを日本に紹介してきた同社会長の皆川伸一郎氏に、これまでの歩み、これからの展開についてメールインタビューでうかがいました。
Text by SHINNO Kunihiko|Edit by KAWASE Takuro
──少し早いですが、30周年おめでとうございます。まずは今のお気持ちをお聞かせください。
あっという間だったな、いろいろあったなという二つの思い、そして関わってくれたすべての皆さんに感謝という気持ちです。
──創業のきっかけは、カナダの会社から委託されたカウチンセーターを扱ったことだそうですね。
幼い頃から祖父が創業した呉服店と婦人服店を経営する会社を継ぐつもりでしたので、商業高校に通い、大学も経営学科に進学しました。将来が決まっていたので、まずは販売を覚えようとオッシュマンズ ジャパンに就職したんです。ところが24歳の時、家業の社長だった叔父に自分の代で終わりにするから好きな仕事をしなさいと言われました。
高校時代からのアルバイトを通じて、働くことにかけては人より上手くこなす自信があったので、自分に出来る仕事を見つけて独立しようと決心しました。学生時代に2度旅行したアメリカには商売のネタがたくさん転がっていると感じていたので、それを仕事にするためのコネづくりに渡米しようと決めたのです。
しかし、アメリカに渡るにはビザが必要です。そこで見つけたのが、1年間有効のカナダのワーキングホリデービザでした。カナダ西海岸のバンクーバーに行き、日本人観光客相手の土産屋「東京堂」と免税店「オールダーズ」の二つを掛け持ちで働きました。
東京堂と免税店ではそれぞれ違うメーカー2社のカウチンセーターを扱っていたので、計4社のセーターすべてを「これが一番」と売るセールストークを身につけることが出来ました。休日には観光客のふりをして、違うメーカーのセーターを扱う他の土産屋で接客を受け、彼らのセールストークを覚える。バンクーバーで売られているセーターほぼすべての長所・短所を把握したことで、お客さんの満足度も購買率も上昇したのです。勤務先での信頼も上がって東京堂ではバイイングも任されるようになり、免税店を辞めて専任となると、スキーリゾート“ウイスラー”の支店長も任されました。
帰国後しばらくは、独立のための資金を貯めるため複数のアルバイトを掛け持ちしていましたが、会社員時代の先輩から原宿のアメリカンカジュアルの専門商社を紹介してもらい、独立に向けての勉強をさせてほしいと伝えたうえで社員にしてもらいました。すると営業に行けば、「お宅にカウチンセーター無いの?」。電話番をしていれば、「お宅でカウチンセーター仕入れられないの?」と取引先から言われる。
その時日本では、カナダのカウチンセーターが大ブームになっていたのです。会社には無いけれども、そのセーターは私がカナダで仕入れを担当していた商品。そこで、東京堂の社長とバンクーバーで私に目をかけてくれた別の土産屋の社長に電話してみると、二人とも「一度バンクーバーに来い」という。「やりたいけどお金ありません」と私が言うと「送ってやるから、売ってから返してくれればいい」と委託取引を提案してくれました。
届いたカウチンセーターは、すべてカナダ製の本物。カナダでそれを毎日売っていた私にとって、ブームになっている日本でそれを売るのはとても簡単なことでした。すぐに支払いを済ませ、追加のオーダーをするに至りました。それから自分で登記書類を作成し、法務局に書類を提出、法人化したのです。独立のための資金作りのつもりだったカウチンセーターが、私の最初の扱い商品になりました。
──B's INTERNATIONALという社名の由来についても、お聞かせください。
私は商家に生まれたせいか、利益を得ることに子供の頃から強い関心を持っていました。高校時代はいろいろなアルバイトをして、自分の労働がお金に変わることが楽しくて仕方ありませんでした。アルバイトや就職活動の履歴書の趣味の欄には「働くこと」と書いていました。ちょっと自虐的に「働きバチみたいだな」と思いました。でも、将来の目標に向かって飛んでいるのだから、無駄ではないと。
カナダにいた頃から「働きバチ」を社名に使うイメージは出来ていたので、帰国後に本屋で「スラング英和辞典」を購入して名前を考えました。その辞典には働きバチ=「BEE」、BEE=「働き者、HONEYとMONEYの音が近いことから転じて、金を集める者」とありました。「おお、これって僕にピッタリ」と思ったのです。BEEとBは発音が同じだから表記はBだけにして、働き者がアメリカから売れそうな物を持ってくる会社という意味でB’s INTERNATIONALとしたのです。
──アメリカでは各都市を回ってRALPH LAURENやL.L.Beanなどのブランド物を買い付けられていたとか。
買付は身体的にはとてもきついのですが、その宝探し的な楽しさは創業来、一番ですね。当時、日本の小売店で売られている海外ブランドの価格は、現地と大きな開きがありました。ちょうど同じ頃、アメリカの大都市から1~2時間離れた場所に「ファクトリーアウトレットモール」という商業施設がどんどん出来ていたんです。日本のアメカジブームとアメリカのアウトレットモールの盛り上がりが私を後押ししてくれました。
最初は3か月に一度1週間くらい出張に行けばいいだろうと考えていたんですが、買い付けた物がどんどん売れるので、頻度はほぼ毎月。月の半分はアメリカで買い物している状態になりました。
成田からサンフランシスコに着くと、レンタカーを借りて郊外のTHE NORTH FACEやSIERRA DESIGNSの工場脇の直営売店で買い付けをスタート。ダウンタウンのBANANA REPUBLICの路面店ではアニマル柄のTシャツなどを買って、空港近くの日通へ向かい、買い付けた物を日本の自分のアパート宛に出荷。すぐさま、クルマを返却して夕方便で東海岸のボストンへ飛ぶ。
23時、ボストンに着くとレンタカーを借りて、マサチューセッツ州のフリーポートという町を目指して2時間走る。そこにある24時間営業のL.L.Beanの巨大な直営店で、取引先から頼まれていたチャンピオン別注のスエットシャツなどを、段ボール箱4~5個ぶん購入したら、車で数分の距離にあるL.L.Beanのアウトレット店舗前に車を停めて、朝8時の開店まで仮眠。開店したら、傷など確認しつつ売れそうな物をショッピングカートに放り込み、9時にオープンするRALPH LAURENのアウトレットに移動。その後も眠気覚ましのドリンクを飲みながら、運転と買い付けを夜まで続けました。
こんなことを10日繰り返すのです。スケジュールは殺人的。でも自分で組んだスケジュールだし、自分の会社だから楽しみながらやれました。あんまりにも楽しいから、実は今になってもヴィンテージ家具の部門でバイイングを続けているんです。
──1992年12月、米国XLARGE社と日本総代理店契約を結び、原宿に日本1号店『XLARGE STORE』を出店。1995年5月には原宿に日本1号店『X-girl 原宿』を出店されました。
XLARGE社との関係において3つのステージがあります。日本総代理店契約、彼らの世界戦略のパートナー契約、ブランド買収契約です。
XLARGEに総代理店の希望を伝えに行く出張の前に、「原宿で店を共同経営する提案」を当時の卸先だった原宿の経営者の先輩からもらい、それに「東京に店を持ちたい」と言っていたXLARGEの創業者たちに再提案したことが大きなターニングポイントです。創業者たちを東京に呼んでその場所を見せて、合意。XLARGE TOKYOのオープンが決まると同時に日本総代理店になりました。
その後、XLARGE社が仲間たちとX-girlというブランドを立ち上げるから、そちらも代理店になってくれないかと言ってきました。ラフォーレ原宿から出店の提案をもらったことで、X-girlのブランド展開に本気で取り組みました。ラフォーレ原宿から提案をもらえたのは、学生時代の友人でラフォーレ原宿にブティックを持っていたミュージシャンの渡辺俊美(TOKYO No1Soul set)が私を紹介してくれたから。彼は創業期、ファッションビジネスについて時々アドバイスをしてくれた恩人です。
日本総代理店契約を結んで3年後、XLARGE社から世界戦略の企画書を渡され、日本を任せるから出資に参加してほしいと打診されました。数年後、創業者の一人であるアダム・シルバーマンから、「陶芸に専念したいので自分の株を買ってほしい」と打診され、それに応じました。そして、2008年に他のパートナーから買い取り、XLARGEを弊社のブランドにしました。
X-girlはキム・ゴードンが音楽制作に専念したいと言い出したので、弊社は洋服づくりをX-girl社の共同株主でビジネスパートナーのXLARGE社(買収前)と分業し、彼らがデザイン、こちらは生産を担当。その1年後にブランドを買い上げました。日本人に合うフィット感になったことで、卸先からもX-girlは大好評で、中でもビームスさんからのオーダーは全生産量の半分を占めていました。
当時ビームスさんの仕入れ先の中でトップの仕入高だったと後から聞き、驚きましたが、それよりびっくりしたのが、大阪梅田のHEPファイブのオープン時に施設側からクレームが入るほどの行列でした。私は行列の整理に当たっていたのですが、ビームスの設楽社長から「あの日、僕も娘のために並んで買った」と言われたのです。品薄なのでビームスさんでは社員販売を禁止していると聞いていましたが、社長自ら、並んでくださるとは! 一声かけていただければ無論対応しましたが、それを良しとしない設楽さんの公平さを見習うべきと思いました。
──メディコム・トイとはこれまでBE@RBRICKなど様々なコラボレーションアイテムをリリースされてきました。赤司社長、須賀副社長とのプライベートなお付き合い、印象に残るコラボレーションプロダクトなど、これまでの関係の中で思い出深い出来事について教えてください。
18年前から続くメディコム・トイさんとのお付き合いは、カルチャーにアンテナを張っているスタッフが担当し、私は後から完成品を見せてもらうだけでした。担当者の退職や担当替えなどがあり、一時期メディコム・トイさんとの親密さが失われかけていたのですが、NANZUKAギャラリー所属の空山基さんのコラボをきっかけに、メディコム・トイ エキジビションへの参加や、年にいくつかのコラボを発表するなど、かつて以上の頻度で打ち合わせは進行しています。
赤司社長と須賀副社長は、私の自宅でのBBQに来ていただいたり、NANZUKAギャラリー主催のイベントでお会いしたりしています。赤司社長はいつお会いしても落ち着いていて、話し方も上品。成功した経営者なのに偉ぶった素振りを見せない姿にいつも感心してしまいます。威張ることはとても簡単ですから。赤司さんの謙虚さや知的な感じはとてもエレガント。学ぶことが多いです。
弊社のモダンファニチャーショップの屋号は、Mid-Century MODERN(ミッドセンチュリー・モダン)ですが、以前はSTITCH(ステッチ)という名前でやっていました。2005年に発表した「Eames 400% KUBRICK」と2007年の「Alexander Girard STARS BE@RBRICK」が去年、私が家具の買い付けで参加したシカゴのモダニズムコレクションのオークションに出品されているのを見て驚きました。海外では販売していないものがアメリカのモダニズム家具コレクターのところにあり、世界トップクラスのオークションハウスが扱うとは!
メディコム・トイが世界のトイコレクターだけでなく、高額アートをコレクションする現代アートコレクターの支持を得ていることは知っていましたが、ジャンルはそれだけでないと知り、ますますすごいと思いました。先日、家の中を片付けていたら、未開封のコラボベアブリックが出てきたので、今度コレクションの並び替えで前に出そうと思っています。
Eames 400% KUBRICK(STITCH MODEL) 2005年5月発売
©️ 1947,2004 Eames Office LLC
KUBRICK TM & ©️ 2000-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
KUBRICK TM & ©️ 2000-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
AG STARS BE@RBRICK 100% / 400% 2007年11月発売
©️ Alexander Girard
BE@RBRICK TM & ©️ 2001-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
BE@RBRICK TM & ©️ 2001-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
──2017年9月、代表取締役会長に就任し、会長となったことでご自身の心境、会社の展開にどのような変化がもたらされたのでしょうか?
アメリカから日本でウケそうなものを何でも持って来る会社をやるつもりで25歳の時に創業しましたが、気が付くとヤングファッションに特化した会社になっていました。私は自分自身がターゲット層と離れた年齢になっても「これがイケてる」なんていうことへの違和感があったので、出来るだけ早く、社長を後進に譲ろうと決めました。
アメリカかぶれの世代ですから、アメリカの成功者が若くしてリタイヤする姿に憧れを持っていました。まだまだトップを張れるうちにリタイヤを宣言して、周りから「なんで、辞めるの? まだまだ働き盛りじゃない!」って言われる。それが私の目標のひとつでした。その目標のために早くから「人に任せる」ことを意識してきました。しかし、私の想定していた以上に会社が成長し、それが実現しないまま20年以上が経ってしまいました。年商数千万円、スタッフ数20人くらいの企業規模なら、後継者のやる気次第で何とかなるでしょうが、年商70億円、スタッフ数250名となると責任の度合いが違いますから、ビジネススキル、経営者適正を無視した人選は出来ませんでした。
私は規模の拡大を志向せずにやってきました。現在の店舗数や売上規模は「自然増」です。「あんなにいいコンテンツを持っているのに何でもっと店を出さないの?」と思った同業の経営者さんも多かったと思います。しかし、私は「身の丈経営」にこだわってやってきました。それが正解だったかはわかりません。もっとアグレッシブに投資をしていたら、うまくいって1000億円以上の売上規模になっていたかもしれないし、何かにつまずいて倒産していたかもしれません。
現社長になった西方雄作くんは商社での経験を活かして、時代にあった様々なチャレンジをするでしょう。私は口出しせず、彼がアドバイスを求めてきたときにだけコメントします。経営について提案やリクエストはしますが、指示や命令はせず、彼にかじ取りを任せます。創業経営者がよくやる院政を敷くつもりはないのです。私は代表権を持ったままですし、議決権を持つ筆頭株主ですから、法律的には会社の意思決定を単独で行使できる立場ですが、基本的にそれを留保し、西方社長に任せています。
西方社長は彼自身がバイリンガルであることや、アメリカ駐在経験、世界中への出張経験を生かして海外市場と向き合うでしょう。そのためにすでに複数のトリリンガルスタッフを採用しました。世界に通用するブランドであると私も自負していますから、彼の方針に賛成し、応援しています。社長交代してすでに売り上げは倍になっています。やはり、優秀な奴がかじ取りをすると結果は違うなというのが正直な感想です(笑)。
──近年、XLARGE、X-girlは、SF映画の名作「エイリアン」、さらに「ドラゴンボールZ」「エヴァンゲリオン」といった人気アニメなど、これまでにないコラボレーションが盛んに行われ、注目を集めています。こうした企画について教えてください。
20年以上前は「別注」という言い方でした。弊社は、同業他社より少し早く、少し頻度が高く、いろいろな会社と取り組み、注目されるアイテムを発表し、好評を得ました。言い方が「コラボレーション」に変わり、ブランドやメーカーではなくライセンスカンパニーとの取り組みが増え始めた頃、私は「他社がうらやむようなコンテンツが自社にあるのに、他社にライセンス料を払う取り組みなど不要」と否定的に見ていました。しかし、現在は、それぞれのブランドが安易な取り組みでなく、ブランドファン以外からも「すごい」と言っていただけるコラボレーションを実現してくれているので、私もとても評価しています。
アニメや漫画、映画といった企画については、私は全く関与していなく、それぞれのブランドで発売まで担当しています。私がその企画を知るのは、コラボの契約書にサインするときだったり、発売後だったりすることもあります。世界的なアーティストとのコラボだけが私の出番で、それ以外はすべて、ブランドチームが担当します。今回のBE@RBRICK X-girl 2020 100% & 400% / 1000%もX-girlの担当者たちが進めました。
BE@RBRICK X-girl 2020 100% & 400% / 1000%
サイズ|各全高約70mm/280mm/700mm
価格|[100% & 400%] 1万5000円(税別)/ [1000%] 5万8000円(税別)
発売日|2020年5月発売予定
取扱店舗|メディコム・トイ直営店舗及びオンラインストア各店、X-girl オフィシャルオンラインストア、他一部店舗
価格|[100% & 400%] 1万5000円(税別)/ [1000%] 5万8000円(税別)
発売日|2020年5月発売予定
取扱店舗|メディコム・トイ直営店舗及びオンラインストア各店、X-girl オフィシャルオンラインストア、他一部店舗
※監修中のサンプルを撮影しております。発売商品とは一部異なる場合がございます。
BE@RBRICK TM & ©️ 2001-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
BE@RBRICK TM & ©️ 2001-2020 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.
前後して、私も別件でメディコム・トイさんと商談を重ねていましたが、X-girlのコラボがどんな物になるかはほとんど聞かされていませんでした。私が担当していたアートコラボが没になったタイミングで、X-girlのプロトタイプを見ました。その出来の良さに、うれしいやら悔しいやら。次は私も負けないアイデア出さなくては!
創業期から知り合いの海外のグラフィックアーティストがキャリアを進化させ、ストリートアーティスト、さらにはファインアーティストになっていく姿を見てきました。単に友達として彼らの仕事を見ていたのですが、ストリートアートについての知識が自然と自分のものになりました。仕事とは関係のない私のプライベートコレクションの方向性も変化し、自社で代官山にアートギャラリーを持ったこと、仕事を通じて作家の村上隆さんや奈良美智さん、ギャラリストの小山登美夫さんと出会ったことなどが重なり、徐々にアートへ傾倒していくようになりました。
それが2017年の草間彌生さんとのコラボをきっかけに仕事とリンクし始め、今では「アート関連事業推進部」という部署で、アート系のコラボパートナーを見つけるのが、現在の私の担当業務のひとつです。私自身も20年前より多少進歩しているので、今はそのポジションを楽しみながらやっています(笑)。
──創業30周年を迎え、ご自身としてこれからやってみたいことを教えてください。
創業30周年という節目で人生の目標だった「早期リタイヤ」をはっきり視野に入れられている状態をうれしく思います。もともと社名を前に出さずにやってきましたから、一般消費者には弊社の名前は知られていません。ビジネス的にプラスになるとは思えないので、アニバーサリーだからと言って会社が何かする必要はないと考えています。
XLARGEも2021年が30周年です。会社やブランドのアニバーサリーは自分たちにとって感慨深いものであるかも知れませんが、お客さんや取引先には関係のないこと。「感謝」の意を込めた企画はありだろうけど、アニバーサリーだからと言ってそれを銘打っただけの代わり映えのしない企画はナンセンスだと以前から社内で話しています。それをスタッフがどれだけ理解してくれているか、これから上がってくる企画を見るのが楽しみであり、怖くもありますね。
──現在、新型コロナウィルスの状況はファッション業界にも影響を与えていますが、皆川会長はどのようなことを考えていらっしゃいますか。
長くやってきたので「勘」が働いたのでしょうか、これは大きなことになると感じ、在宅勤務や店舗休業の指示を出すように西方社長に提案したのは、行政の動きより早かったですね。現在すべての直営店が休業しており、この状態は3か月以上続く可能性があると思っています。スタッフとお客さんを被害者にも加害者にもしないため、コロナ禍を早く終息させるよう企業の社会的責任を可能な限り果たします。コロナ禍が終息してからのことをあれこれ考えるより、今、優先すべきは、会社とブランドを継続させるための行動をすることだと思っています。
店舗の休業を受けて、EC売上は予算を大きく超えた状態を続けています。ブランドが多くの方に支持されている証としてとてもうれしく思います。今回の出来事がファッション業界で長く続いている、シーズン先取りしすぎのスケジュール、実際の販売力以上の大量生産の結果によるセールや廃棄での処分という流れを終わりにするきっかけになってほしいと思っています。仮に業界がそっちに向かなかったとしても、その先駆けの一社のひとつになってほしいと西方社長にリクエストしています。
──最後に、世界中で「#STAY HOME」が呼びかけられていますが、皆川会長がご自宅で楽しく過ごされるため実行していることがございましたら教えてください。
オフィスから徒歩5分弱に住んでいるので、スタッフから声を掛けられたらいつでも対応出来るようにしながら、家の中で長年集めたコレクションの整理を毎日しています。20代の頃からいろいろな物に手を出してきましたが、「探して買うまでが楽しい」性分なので全然整理されていないんです。
現在も続いているコレクションはアートですが、その絵をいつ誰からいくらで買ったという資料をきちんとファイルしておかなきゃ!と思いながら10年以上経ってしまっているので、何とかしようと悪戦苦闘中。整理を始めると、買ったことを忘れていた作品が出て来たり、現在人気のある作家の作品の値段が笑ってしまうほど安かったり、家の中で宝探しをしているみたいに楽しんでいます。
皆川伸一郎
1964年新潟県生まれ。東京都在住。XLARGE・X-girl・MILKFED.・SILAS・Stylesなどを展開するビーズインターナショナルの創業者。ストリートブランドの日本総代理店を経て、それらブランドを買収し世界展開を押し進めている。空山基・D*Face・ERIC HAZEなど世界的に著名なアーティストとの親交から生まれる多くのコラボレーションはファッション業界のみならず、アート業界からも注目されている。