スターリング・モス、マセラティについて語る|Maserati
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2015年4月2日

スターリング・モス、マセラティについて語る|Maserati

Maserati|マセラティ
マセラティで闘った偉大なるヒーロー

スターリング・モス、マセラティについて語る

1970年代のF1を舞台にした映画「RUSH」のヒットは記憶に新しい。それより以前、グランプリの草創期を支えた偉大なレーシングドライバーが、ひとり、まだ存命だ。それが英国人スターリング・モス。マセラティ100周年のイベント会場で、インタビューすることが出来た。

Text by OGAWA Fumio

マセラティ250Fを選んだ理由

──あなたとマセラティというと、すぐに250Fが浮かびます。

スターリング・モス(以下SM) 私は最初このマシンを自費で購入して走らせました。私が買えるなかで、もっともバランスのよいマシンでした。ドライビングポジションが自分のからだに合わずに苦労しましたが、メカニックがその問題を解決してくれてからは、自分とマシンが一体になったようなすばらしい感覚を味わえました。コーナリングは、進入時はハンドル操作しますが、途中から脱出まではスロットル操作で車体をコントロールするんです。その感覚が私は大好きです。

──56年は、この2.5リッター6気筒エンジンを搭載したグランプリマシンで、モナコとイタリアという2つのグランプリで1位を獲得していますね。

SM 56年のモナコは記憶に残るグランプリでした。私は「250F」でオープニングラップの先頭に立ち、レースをリードすることが出来たのです。いっぽう、54年のイタリアグランプリはほろ苦い記憶です。メルセデスのファンジオと、フェラーリのアスカリを押さえて走ったあげく、250Fがフィニッシュラインを目前にしてオイル漏れを起こしストール。私はコクピットから飛び降りてマシンを自力で押しましたが、当然、優勝は出来ませんでした。

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1929年英国で生まれたモス氏、その若かりし頃。現在御年84歳

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Maserati 250F

──マセラティ250Fは54年から58年にかけて数かずのレースで優秀な成績を収めたレーシングマシンですが、どこがよかったのでしょう?

SM ひとことで言うと、とても運転しやすくてパワフル。最初、私は自費で1台購入したのですよ。歯医者の父親から別の目的と偽ってお金を借りて。250Fを選んだ理由は、コストパフォーマンスにすぐれていたからです。壊れにくく、運転しやすかった。いまではグランプリマシンを個人で購入して、しかも上位を狙うなんてことは不可能ですが、当時はそういうことが出来たんです。これと、ニュルブルクリング1000kmなどのスポーツカーレースで走らせたマセラティ「300S」は、すばらしいマシンでした。

Maserati|マセラティ

マセラティで闘った偉大なるヒーロー

スターリング・モス、マセラティについて語る (2)

恐れを感じるひまがない

──あなたは「無冠の帝王」とも呼ばれています。54年は入賞こそ少なかったけれど、さきにおっしゃったように、無念のイタリアグランプリなど、ひとびとの印象に強く残るレースが多かったですね。

SM そうです。あのときは250Fが壊れたわけですが、大きな可能性を拡げてくれたマシンでした。その意味でも私にとって忘れがたい1台です。54年の私のレースを観て、メルセデスチームの監督をやっていたヘルベルト・ノイバウアーが声をかけてくれたわけですから。

──55年はスターリング・モスの年でしたね。

SM メルセデスはすばらしいクルマでした。イギリスグランプリでファンジオをおさえて勝利を得ることが出来たのですから。メルセデス・ベンツ「300SLR」でミレミリアの平均速度新記録を達成して優勝したのも、自分では忘れがたい思い出です。私はサーキットより、公道でのレースのほうが好きです。サーキットで週末は缶詰になって、おなじコースをぐるぐる走るより、一般道を走るほうが気分的にも楽しいですから。

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Maserati Tipo 61 Birdcage

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1954年のフランスGP。メルセデス・ベンツ「W196 R」の2台の横に、マセラティの250Fがスターティンググリッドにつく

──55年にメルセデスはル・マン24時間レースで観客を巻き込んだ大事故を起こしたことからレース活動を中止します。そしてあなたはまたマセラティに乗るようになり、300S(55年発表)や、細い鋼管フレームでシャシーを組み上げたことからバードケージ(鳥かご)と呼ばれた「ティーポ60」(59年)という歴史的なレーシングマシンに乗りますね。

SM バードケージに最初乗ったとき、これはスーパーカーだとおもいました。さらに2.9リッターの「ティーポ61」は、その上を行く性能をもったマシンでした。基本的な性格はティーポ60と同じなのですが、パワーもトルクも大きく増えていたし、剛性感はすばらしかった。でも、私にとって、好きなマシンといえば、300Sなのです。250Fを彷彿とさせるハンドリングがとても気に入っていました。ニュルブルクリング1000kmレースは私の好きなレースなのですが、300Sで1回(56年)、ティーポ61で1回(61年)、優勝をものにしています。

──あらゆるレースを体験してきていますが、恐れを感じたことはなかったのでしょうか。

SM ないと思います。恐れを感じるひまがないというほうがいいかもしれません。なぜなら、レースではとても緊張していますから。なにかよくないことが起こるとか、そんなことは考えないのです。雨の日のレースはいやなものですが、なにか起こるかもしれないと考えてしまうと、よくない結果になる。そういうものなのです。

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Maserati Tipo 61 Birdcage

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Sir Stirling Craufurd Moss|スターリング・モス

1929年にロンドンで生まれたレーシングドライバー。記録に残っている最初のレースは、1949年。フォーミュラ・リブレに「クーパー」で出走し優勝している。本格的な活動がはじまったのは51年で、ジャガー「Cタイプ」で頭角を表した。54年には、マセラティを手ばなしたマセラティ兄弟が設立したOSCAの「MT4」を駆り、シーブリング12時間耐久レースで優勝した。50年代のモスは、マセラティとメルセデスとともに黄金時

代を築いた。さらに、グランプリはクーパー、スポーツカーレースはアストンマーティンで、50年代後半を優秀な成績でいろどる。60年代に入ると,ロータスとフェラーリを走らせる。「エンツォ・フェラーリはアメージングだったが、気むずかしいひとだった」と、今回のインタビューで回想してくれた。62年にレースで事故に遭い、昏睡状態に陥った。これを機に、レース活動から引退。しかしいまもヒストリックカーレースや、講演などで人気が高く、多忙な毎日を送っている。

           
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