ルイ・ヴィトン クラシック セレニッシマ ラン (1)
Louis Vuitton or The Art of Travel|ルイ・ヴィトン、あるいは旅の真髄
序 ルイ・ヴィトン クラシック セレニッシマ ラン
4月24日から28日にかけて、モナコはモンテカルロを発し、ヴェネツィアまでの1,400kmを42台のクラシックカーが駆け抜けた。
Text by SUZUKI Fumihiko(OPENERS)
旅、自動車、そしてルイ・ヴィトン
1854年、世界ではじめての旅行カバン専門店をはじめたルイ・ヴィトンというブランドは、当初、グレーの「トリアノン・キャンバス」というキャンバス地に覆われたトランク製造ブランドだった。そのルイ・ヴィトンが1858年に生み出した、軽く、しっかりと閉まり、かつ簡単に積み重ねられるよう平らな形をしたトランクは、その後につづくあらゆる旅行用トランクが従うべき原型を規定した傑作であり、ルイ・ヴィトンというブランドの名声は誕生から数年のうちに不朽のものとなった。
ルイ・ヴィトンのアイデンティティは旅行カバンにある。だから、ルイ・ヴィトンは、自らと旅との絆を強調することはあっても、忘れることは決してない。1892年、創業者ルイ・ヴィトンがこの世を去り、息子、ジョルジュによって引き継がれたブランドは、1896年、現在もルイ・ヴィトンのカバンを特徴付ける「モノグラム」を発表。世界的なブランドへと成長していく。それとほぼ同時の1898年、馬車にかわる旅行の手段として、徐々に実用性を高めていた自動車にむけて、ルイ・ヴィトンはトランクを発表している。その発表の場は、世界初のモーターショー、パリ モーターショー。このルイ・ヴィトンのクルマ用トランクは、それまでのルイ・ヴィトンのカバンがもっていた、高い実用性にくわえて、防水性にも優れ、自動車、あるいは馬車によるグランツーリスモとよばれるような長距離旅行や、過酷な冒険の旅の途中で、欠かすことのできない道具や嗜好品を守る、優れたパートナーとして愛された。以後、ルイ・ヴィトンのカバンは、急激に性能を高めるクルマの歴史によりそいつづける──
モンテカルロからヴェネツィアへ
ルイ・ヴィトンが主催するクラシックカーラリー「ルイ・ヴィトン クラシック」は、そんな自動車黎明期からつづく、自動車とルイ・ヴィトンとの絆に捧げられる。ラリーである「ラン」と特別審査員によって選考される名車のコンクール「アワーズ」から構成され、アワーズは2005年以来、世界でもっとも価値あるカーアワードのひとつに数えられている。詳細はつづく記事にゆずるけれど、自動車のクラシック、つまり永遠に規範としての価値をもつだけの革新性と完成度をほこった、かつてのクルマと、40年の後に、おなじ評価を受けるにちがいない最新のクルマに贈られる。昨年は「タルボ・ラーゴ スーパースポーツ T150C エアロダイナミック・クーペ」と「ジャガー C-X75」が受賞した。
いっぽう、1993年の「ヴィンテージ イクウェイタ ラン」にはじまり、今回で7回目の開催となる今年のランは、「セレニッシマ ラン」と名づけられた。モナコを発し、スイスを抜け、セレニッシマ、つまり「穏やかなる共和国」(Serenissima Repubblica di Venezia)ヴェネツィアを目指す。
こちらは42台の往年の名車が参加し、フランスはアネシー湖の東、マントン・サン・ベルナール、マッジョーレ湖に面したストレーザ、中世の町並みをのこすヴェローナ、そしてルイ・ヴィトンのクツのノウハウの発祥地でもあるフィエッソ・ダルティコを経由しながら、1,400kmの距離を4日をかけて走破した。
グランプリはブガッティ Type 23
4月28日、参戦車両は授賞式のためボートでヴェネツィア島に隣接するはサン・ジョルジョ マッジョーレ島に移動した。
42台のなかから、ルイ・ヴィトン マルティエ代表取締役会長件CEO イヴ・カーセル氏、審査委員長 クリスチャン・フィリップセン氏、スポーツディレクター ルネ・メッジ氏によって、今回、グランプリを授与されたのは1923年式のブガッティ Type 23 “ブレシア改”だった。
エットーレ・ブガッティの手になるこのクルマの歴史は、Type 13に遡る。プロトタイプであるType 10を経て、1910年にブガッティ社初のクルマとして完成したType 13は、各気筒に4バルブをそなえるという、この時代では非常に先進的な1.5リッター4気筒16バルブエンジンを搭載した、重量わずか300kgの軽量レーシングカーだった。2,700rpmで約22.4kWの出力を発生するこのエンジンをはじめ、軽量合金の採用など、技術的に優れただけでなく、芸術家一族、ブガッティ家の一員であるエットーレの、リベットひとつにいたるまで妥協を許さぬ美意識が透徹した、美的にも優れたモデルだ。第一次世界大戦の混乱により、製造は難航したものの、エットーレはType 13 3台分のパーツを工場のそばに埋め、完成している一台とともにミラノに避難。戦後5台のType13を製造した。
このType13は1921年、イタリア、ブレシアグランプリで1位から4位を独占することで、その無敵のパフォーマンスを世に知らしめ、以降、ブレシアの愛称でよばれることになった。Type 23、別名ブレシア改は、そのType 13のプロダクトモデルだ。2,000台が1920年から1926年のあいだに製造され、プロダクトカーとしてははじめて、マルチバルブ式のエンジンを搭載したことでも知られる。
エレガンスとテクノロジー、その両面で時代を画する完成をみせた、まさにルイ・ヴィトン クラシックを受賞するにふさわしい一台だといえるだろう。