アストンマーティン100年のヘリテージ|Aston Martin
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2014年12月29日

アストンマーティン100年のヘリテージ|Aston Martin

Aston Martin|アストンマーティン

そして、あたらしい時代へ

アストンマーティン100年のヘリテージ

昨2013年、ブランド誕生から100周年というメモリアルイヤーを迎えたアストンマーティン。ライオネル・マーティンとその友人、ロバート・バムフォードの2人によってイギリスで創業したこの世界屈指のスポーツカーブランドは、今日も多くの自動車ファンを虜にする。ここでは、黎明期から現代へ、そしてあたらしい時代に向かって世代を越え変遷を遂げるアストンマーティン、その歴史に触れたいとおもう。

Text by OGAWA Fumio

レースに勝つことが最大の目的だった

F1をはじめ、レースカーやスポーツカー作りにかけて、いまも英国は世界のトップクラスに位置している。なかでも伝統的なスポーツカーメーカーといえば、1913年に創業した「アストンマーティン」だろう。レースが大好きな青年、ライオネル・マーティンと、友人のロバート・バムフォードが設立した会社で、アストンヒルという峠道でさかんにヒルクライムレースをおこなっていたため、社名もアストンマーティンとしたのだった。

当初は、レースに勝つことが最大の目的だったため、既存のシャシーに、別のところから持ってきた既存のエンジンを組み合わせたクルマを作っていた。それでもけっこう成績はよかったようだが、1915年には自分たちで設計したクルマを作りあげた。これが本当のスタートともいえる。

Aston Martin DB2(1950)

実業家であったデイビッド・ブラウンは、1947年にアストン・マーティンを買収。今日につづくDBシリーズは、自分の名の頭文字に由来する

2つの大きな戦争のあいだに、数かずのレースで好成績を残したレースカーを送りだし、いまはコレクターのあいだで高値で取り引きされている。しかし量産車を手がけるのは、47年にデイビッド・ブラウンに買収されてからだ。この年、ブラウンは、英国の高級車メーカー、ラゴンダも買収。ベントレーの創設者、WOベントレーがラゴンダのために設計した軽合金ブロックの直列6気筒エンジンも手にいれ、これをDBシリーズに搭載した。

Aston Martin DB5(1963)

Aston Martin DBS(1967)

人生とおなじように企業にも山と谷があるとしたら、2つめの山、つまり黄金時代が、50年にDBシリーズを発売したときから始まる。デイビッド・ブラウンの頭文字をもったGTで、DB2、DBマークIII、DB4と続き、映画「007ゴールドフィンガー」に登場したDB5、DB6、そして70年代まで継続されたDBSで、大きな名声を築いたのだった。

Aston Martin|アストンマーティン

そして、あたらしい時代へ

アストンマーティン100年のヘリテージ(2)

ちょっと奇抜なスタイル

スタイリングの面でも、自動車史に残るモデルが数多く送り出された。58年のDB4GTザガートにはじまり、72年のV8へはエレガントでパワフル、かつすこしエキゾチックなフレーバーを特徴とするスポーツカーというイメージが受け継がれた。70年なかば以降は、76年の大型セダン、ラゴンダにみられるように、大排気量のエンジンと、迫力ある、ちょっと奇抜なスタイルがアストンマーティンのイメージを形作るようになった。

3つめの黄金期は、99年にフォードが作ったPAG(プレミア・オートモーティブ・グループ)に迎えられた時期だ。94年のDB7をステップボードにして、2001年発表のヴァンキッシュで、現在にいたる新世代の端緒が開かれた。

2003年以降、アストンマーティンのニューモデルに採用される独自開発のボディ構造が、VH(バーティカル・ホリゾンタル)アーキテクチャーと呼ばれる接着剤を使った軽量アルミスペースフレームだ。

Aston Martin V12_VANQUISH(2001)

デイビッド・ブラウンが会社を手放した1971年以降、資金難にあえいでいたが、ようやく大会社の傘下で息をつけたといえる。当初はBMWから引き抜かれた気鋭のエンジニア、ウォルフガング・ライツレがアストンマーティンを管理して、ポルシェに対抗できるスポーツカーメーカーを目指すことになった。

フォードがPAGを解散した際、2007年にアストンマーティンは投資家グループに買い取られ、そのときPAGの時代からかかわっていたウルリッヒ・ベツが社長として、接着剤を使った軽量化シャシーに、V12とV8の高性能エンジン、そして多品種展開で、黄金期の山をさらに高くしたのだった。

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アストンマーティン100年のヘリテージ(3)

ウルリッヒ・ベツとの別れ

ポルシェでは993など、BMWではV8の開発に携わったベツは、やがて経営権を譲渡されCEOに就任。カタールなどの投資家から資金を引き出しつつ、アストンマーティンの地盤を強化していった。

なかには、ル・マン24時間レースをはじめとするWEC参戦などのモータースポーツ活動や、中国市場の開拓にも積極的に取り組んだことがあげられる。最近では、英国ゲイドンにある組み立て工場を拡大したり、「Q」と名付けたビスポークサービスの展開など、つねにニュースを提供している。

ありとあらゆるオーナーの要望に応えることを目的とした、アストンマーティン究極のパーソナライゼーションサービス「Q by Aston Martin」

アストンマーティンは2013年夏、メルセデス・ベンツとの技術提携を発表。AMG製のV8エンジンが搭載される日も近い。

ドイツ出身の自動車人であるベツが経営を主導してきたことのメリットは、ドイツの自動車メーカーとの結びつきにある。好例が、2013年夏に発表されたメルセデス・ベンツとの技術提携だ。AMGのV8エンジンやドライブコンポーネンツをアストンマーティンの次期モデルのために供給される契約である。

開発に多額な費用がかかる現代にあって、資金調達のめどをつけ、ひいては株主への還元になる。多方面への目配りが、現在のアストンマーティンの強みなのだ。

ウルリッヒ・ベツは2013年暮れにCEOの座から降り、まもなくあたらしいCEOが発表になるという。アストンマーティンはこうして世代交代をしながら、あたらしい時代へと入っていくことになる。

           
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