メディコム・トイ インタビュー連載 第2回 有賀幹夫さん|MEDICOM TOY
DESIGN / FEATURES
2017年9月6日

メディコム・トイ インタビュー連載 第2回 有賀幹夫さん|MEDICOM TOY

MEDICOM TOY|メディコム・トイ

メディコム・トイ インタビュー連載
第2回 カメラマン有賀幹夫さん(1)

Photographs by Ohtaki KakuText by Shinnno Kunihiko

祝“Amplifier”成功記念。フォトTで’80年代の日本のロックを再評価

01

02

03

04

05

すべて“Amplifier”第1弾 忌野清志郎ⓒ MIKIO ARIGA

――“Amplifier”第1弾は有賀さんが撮影された忌野清志郎さんのポートレートTシャツでした。まずは清志郎さんとの思い出からお聞かせください。

有賀 そもそも僕がカメラマンになるきっかけは清志郎さんに憧れて、いつかRCサクセションを撮りたいと思ったからです。なので、’86年にレコード会社の依頼で日比谷野音(8月16・17・23・24日開催の「4 SUMMER NITES」。同年10月にライブアルバム『the TEARS OF a CLOWN』として音源化)のステージをオフィシャルで撮ることができたときは、夢が叶って嬉しかった。

そのあと『COVERS』(’88年)のレコーディング風景を撮らせていただいたんです。三浦友和さんや泉谷しげるさんなど、いろんなゲストが日替わりで参加するので撮れる範囲で撮ってほしいって。

――『COVERS』の制作風景に密着できるなんて貴重な体験です。

有賀 ええ。さすがにライブまでは撮れてもRCのレコーディングの現場を撮れるなんて後先ないことですから、自分の財産だと思って大事にしてきたんです。

それで清志郎さんが2009年5月に亡くなられたときはいてもたってもいられなくなって、それまで撮った写真をプリントして関係各位にお送りしました。そうしたら、大きな出来事があって。

ロッキング・オンが追悼号(『忌野清志郎1951-2009 ROCKIN’ON JAPAN特別号』)を作っているので、過去に僕が撮った写真を掲載したいという連絡が5月半ばに来ました。それ

02

『the TEARS OF a CLOWN』
(ユニバーサル ミュージック)

03

『COVERS』
(ユニバーサル ミュージック)

04

『忌野清志郎1951-2009
ROCKIN’ON JAPAN特別号』
(ロッキング・オン)

で一点未使用で、清志郎さんが1990年にミック・ジャガーと記念に撮った写真(※リンク先の最上段・最左)があることを思い出して。オフィシャルでは世に出てないものですが、どうですか、って言ったら編集部の人もたいそう驚かれてました。

――日本でただ一人のザ・ローリング・ストーンズのオフィシャルフォトグラファー有賀さんだからこそ撮ることができた写真です。

有賀 ただし、それを掲載するには清志郎さんとミックサイドそれぞれの許諾が必要。もちろん清志郎さんサイドは快諾、そこでミックの当時のパーソナルアシスタントにメールしたところ、ミック本人に確認するからちょっと待ってくれという返事がきました。ストーンズは写真も含めて権利関係が非常に厳しいので、僕はこれは、ていのいいお断りかなと思ったんです。それに追悼号は6月の頭に出るから、締め切りに間に合わないかもしれない。ところが2日後に奇跡的にオッケーの返事が届いて、思わず鳥肌が立ちました。

僕はストーンズとオフィシャルで仕事させていただいてるけど、

イレギュラーな形で連絡をとることはそうそうないんです。それもすべて清志郎さんが後押ししてくれた気がしました。“ちょっとお前、あのミックとの写真、出そうぜ?”って。

――貴重なツーショット写真が世に出るまでにそんな舞台裏があったとは知りませんでした。

有賀 ミック・ジャガーまで動かすような出来事があったわけですから、これは僕も何かしなければいけないと思い、友人の高橋ROCK ME BABYさん(清志郎さんの宣伝担当をされていた外部スタッフの方)に「写真展やりたいんだけど、どう思う?」って相談して。2010年3月から1年間、全国規模でやらせていただいたんです(『忌野清志郎+有賀幹夫写真展 NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL』)。そのとき会場限定で販売するためのフォトTシャツを作ったんですけれども、終了から久しく経ってからも「もう手に入らないんですか?」という声が絶えずあって。そこにメディコム・トイの赤司社長とデザイナーのヒラカワレンタロウさんがプランされているフォトTで’80年代の日本のロックを再評価するラインと、僕は僕で6年前に終えた清志郎さんの写真展で再販を望む声が結びついたんです。

Page02. Pass it on(受け渡す)

MEDICOM TOY|メディコム・トイ

メディコム・トイ インタビュー連載
第2回 カメラマン有賀幹夫さん(2)

Pass it on(受け渡す)

有賀 赤司さん、ヒラカワさんとは知り合いの森内淳さんというライターの方を介して去年の6月に初めてお会いして、その1カ月後にはもうサンプルが出来ていました。メディコム・トイさんも、それまで清志郎さんの事務所とやりとりをされていたと思うんですけれども(BE@RBRICK 忌野清志郎/ZERRYが’14年9月に発売)、そこに写真展を1年やらせていただく中で信頼関係を築けていた僕が合体したことで、すごく話が早くまとまりました。

――完成したTシャツについては、いかがですか?

有賀 フォトTを作るとき、いつもボディに関して不満を感じることが多くて。その辺、僕がすごく神経質になっていたから、最初の打ち合わせのときにうるさく言って。それでヒラカワさんもちょっと困った顔されたと思うんです。でも、写真を任せる以上はこっちも主張しないといけないじゃないですか?

06

BE@RBRICK 忌野清志郎/ZERRY © Babys
BE@RBRICK TM & © 2001-2017 MEDICOM TOY CORPORATION. All rights reserved.

07

でも、仕上がりが想像以上でびっくりしました。丈の長さもちょうどいいし、素材も、プリントもいい。安いプリントだともっとベタっとインクを盛りがちなんです。参ったなあ、さすがプロだなと思いました。不満はまったく無いです。

――清志郎さんの表情もリアルに伝わってきますね。

有賀 やっぱり写真の力ってあると思うんです。日本ではアーティストに対して写真家の立場が弱い部分もあるんですけど、海外では写真家の作品という意識があってフォトTは文化になっています。例えばセックス・ピストルズを撮っていたデニス・モリスの写真展に行くと、ピストルズ時代のジョニー・ロットンのフォトTを販売していたり。僕もフォトTは好きなので、写真展に行って売っていれば買います。

―― “Amplifier”のオフィシャルサイトでは、若いミュージシャ

ンたちが着ている姿を見ることができます。

有賀 あれはヒラカワさんがディレクションしているんですけれども、やっぱり嬉しいですね。キース・リチャーズの格言で「Pass it on(受け渡す)」というのがあります。俺たちは先代のブルースマンから引き継いだ音楽を、次の世代に受け渡す。そうやって音楽は継承されていくんだっていうのが彼の哲学なんですけど、まさにそれです。30年前に自分が撮ったものを次の世代に渡す感覚。身に着けてくれるのはなによりだし、それで清志郎さんを聴いてもらえれば最高じゃないですか。

――そして2017年9月発売の「忌野清志郎シリーズ3 Photographers Select」は、7人の写真家(阿部高之、有賀幹夫、大川直人、おおくぼひさこ、鋤田正義、杉山芳明、広川泰士/五十音順)自らセレクトした写真をプリントしたものです。

A

ⓒ TAKAYUKI ABE

B

ⓒ MIKIO ARIGA

C

ⓒ NAOTO OHKAWA

有賀 今回、おおくぼひさこ先生が参加されたことは本当に素晴らしいことですね。『THE RC SUCCESSION』(’83年・ロッキング・オン)の表紙を飾った、ポラロイドを撮っている清志郎さんの写真。

僕はまさにあの写真と、ストーンズの歴代の写真、ペニー・スミスが撮ったクラッシュの『Before & After』という写真集を見て、ロックバンドを撮る人になりたいと思ったので。

だから僕はむしろ自分の写真を引っ込めたいくらいなんです。いいのかな? みたいな(笑)。

ただ、第1弾を僕がやらせていただいて成功したことで、おおくぼ先生も納得して承諾してくださったと思うので、よかったなと。メディコム・トイさんというものすごく遊び心がある、なおかつ大成功されている母体があるからこそだと思うんですけれども。

――“Amplifier”でなければ実現できない貴重なアーカイブですね。今後の展開についてはいかがでしょうか?

有賀 清志郎さんに関しては、自分の役目はもう果たせたと思うので、今後はヒロトとマーシー(甲本ヒロト、真島昌利)のフォトTを1種類ずつ作ったように、単発で提供させていただくかたちで参加できればいいですね。

僕以外の写真家の方が撮られたモッズさん、ルースターズさんなど、どんどん加速している“Amplifier”の姿を見て、よかったなと。それもメディコム・トイさんの地場と、ヒラカワさんのプロデュース力があってのことだから、どこから初めてもうまくいったと思うんです。

――最後に“Amplifier”シリーズに望むことをお聞かせください。

有賀 僕がロックを聴き始めた’70年代半ばの日本には村八分、キャロル、サディスティック・ミカバンドといった素晴らしいバンドがいる一方、まだまだロックのマーケットというものはちゃんと存在していなかったわけです。

そこにバンド化したRCが登場して、ロックバンドでもヒット曲を出せることを実証してくれた。先人の開拓精神のもとに日本のロックはいろんな意味で花開いたし、商業的にもジャンル的にも充実した時代なので、いまのロックにつながる部分を再発見してほしいですね。

これは決して懐古主義じゃなく、いいものは絶対的に変わらずに存在している――赤司社長もヒラカワさんも“Amplifier”で示したい一番の思いはそこです。

おふたりとも心から音楽を愛している人たちですから。

D

ⓒ HISAKO OHKUBO

E

ⓒ Sukita

F

ⓒ YOSHIAKI SUGIYAMA

G

ⓒ TAISHI HIROKAWA

           
Photo Gallery