150年を迎えたノンヴィンテージ ブリュット|MOËT & CHANDON
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2019年10月29日

150年を迎えたノンヴィンテージ ブリュット|MOËT & CHANDON

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モエ・エ・シャンドンとシャンパーニュの276年(2)

シャンパーニュは甘かった

現在、モエ・エ・シャンドンの生産量の約60%を占め、おそらく、単にモエ・エ・シャンドンといえば、自動的にそれを指すであろう「モエ アンペリアル」。その誕生から150年を迎えた今年、それを祝い、あらためて紹介するために、モエ・エ・シャンドンはシャンパーニュ地方エペルネのモエ・エ・シャンドンの故郷に、ジャーナリストを招待した。筆者は、そこに参加し、そして、モエ・エ・シャンドンのシャンパーニュを造る人である、最高醸造責任者 ブノワ・ゴエズに、あれこれ、話を聞いてきた。
ところで、モエ アンペリアルが今年150年目を迎えたことには意味がある。モエ アンペリアルのアンペリアルとはフランス語で皇帝を意味していて、フランスで皇帝といったら、それはナポレオン・ボナパルトだ。ナポレオン・ボナパルトは1789年、フランス革命と同じ年に生まれた。前のページに書いたとおり、シャンパーニュの、そしてモエ・エ・シャンドンの愛好家であり、庇護者だった皇帝の、誕生100年目に発売したので、モエ・エ・シャンドンはこのシャンパーニュを「モエ アンペリアル」と名付けた。いや、厳密に言うと、当時は「ブリュット アンペリアル」と名付けた。
そこでワイン業界の末席を汚す筆者としては、最初のブノワ・ゴエズに聞きたい疑問は、なんでブリュットだったのか、だ。
ブノワ・ゴエズは言う。
「シャンパーニュがそもそも甘かった、という話はワイン好きならおそらく耳にしたことがあると思います。150年前、ブリュット アンペリアルが生まれたとき、ブリュットを名乗るシャンパーニュは、まだ、シャンパーニュ全体の1%にも満たなかったといいます。世界の一般的なシャンパーニュの糖分量は、もっともドライだったイギリス向けでも100g/リットルくらい。一番甘口だったロシア向けは200から250g/リットル程度。フレンチスタイルはその中間で200g/リットル前後だったようです。ブリュット アンペリアルはその時代に、100g/リットル以下の糖分量で、ブリュットを名乗りました。私は、最初のブリュット アンペリアルを飲んだわけではありませんが、いまの基準でいえば、けっこう、甘かったと思います」
ちなみに、現代のぼくたちにとって馴染み深い、炭酸入りの甘い清涼飲料水の糖分量が、だいたい100g/リットルくらいの糖分量だ。200g/リットルあたりになると、現代のぼくたちからすると、経験したことのない甘味の世界になるだろう。
ブノワ・ゴエズは続ける。
「たしかに、ブリュット アンペリアルはブリュットを名乗った最初のシャンパーニュではありません。しかし、ブリュットのディマンド、カテゴリーをつくったのは、モエ・エ・シャンドンだと私は思っています。というのは、この当時、ブリュットに定義はないのです。AOCだってないのですから」
AOCというのは原産地呼称のことで、産地名であるシャンパーニュを商品に表示するにあたって、満たさなくてはいけないルールのことだ。シャンパーニュの場合、ほぼ産地名がイコール、ワインの種類を物語るけれど、AOCは、産地偽装を防ぐだけのルールにとどまらず、先述の熟成期間やドザージュの量のなども規定し、品質の基準にもなっている。
それがない時代ということは、つまり、ブリュットがなにかを自分たちで定義したということだし、ディマンドがそちらに向かう、あるいはディマンドをそちらに向けてゆける、という経営上の判断と計画、自信があったということになる。そして、それが成功したことは、現在、モエ アンペリアルがシャンパーニュの代表となっている事実が証明しているわけだ。

革命が起きた

それから、ブノワ・ゴエズは難解なことを言うのだった。
「ドザージュを減らす旅、革命が、そのときから始まったのです」
大げさにも聞こえる。主流である甘いシャンパーニュに逆らって、添加する糖の量を減らすことは、たしかにリスキーだろう。それは徐々に減らされていったという。だから冒険的ではあったかもしれないけれど旅とは言えると思う。しかし、革命とまで言えるのか? 革命というのはもっと劇的に、古いものと別れ、別な体制に変わることをいうのでは?
それに対して、ブノワ・ゴエズの答えはこうだ。
「アンペリアルによって、一番かわったのはスピリット、使命です。モエ・エ・シャンドンの喜びのモーメントを、広く分かち合うことができるようになったのです。モエ アンペリアルはモエ・エ・シャンドンのフラッグシップで、オーセンティシティとコンテンポラリーの間にあります。歴史、建物、畑、人、スタイル。それがモエ・エ・シャンドンの遺産でありオーセンティシティです。私はそれを、伝統とはあまり言いたくありません。そう言ってしまうと、過去に縛られるように思うから。モエ・エ・シャンドンのスピリットは、再訪問、再解釈なのです」
これを解釈すると、革命は、スピリットのところで起こった。そのスピリットとは、問い直すことだ。つまり、問い直したことが革命だった。さらに、歴史、建築、畑、人、スタイルは革命を受けなかったのだから、ドザージュを問い直し、それによって、モエ・エ・シャンドンの使命に変化が訪れ、よりモエ・エ・シャンドンを分かち合えるようになった。ということになる。
話はそこからもっと具体的になる。
「私は今のシャンパーニュのほうが過去のシャンパーニュよりバランスがよいと思います。1940から50年代、ブドウの収穫は10月でした。60から70年代は9月の遅くに収穫。80から90年代は9月中旬、と徐々に早くなっていき、2000年以降、9月初旬に収穫することが4回ありましたが、熟度と酸味のバランスはより好ましくとれています。これ以上、早くなったら、青々しい酸味が出てきてしまうかもしれない。それは私が求めるものではないので問題ですが、いまのところ、温暖化も、シャンパーニュにおいては、ポジティブに捉えられるとも思っています」
「しかし、150年前はどうだったでしょう。畑での労働は馬と人、果汁は木の樽に入れて発酵させていました。その時代に、いまほど熟度や醸造、味をコントロール出来たとは思えません。テクノジーが進歩し、トラクターやステンレスタンクが使えるようになって、私達は、フレッシュで、軽やかで、繊細な表現を、より精密にできるようになったのです」
それをモエ・エ・シャンドンはやったのだ。技術が可能にした表現に挑んだ。時代はそれを歓迎し、求めた。
「オーセンティシティとコンテンポラリーの間を、モダニティと表現してもいいかもしれない」

コンセンサスと挑戦

そこで、居合わせたジャーナリストから、時代のディマンドがブリュットにあると気づいて、モエ・エ・シャンドンがそこを読み違えなかったのであれば、将来はどうなるのか、という質問が出た。
するとブノワ・ゴエズは
「例えばファッションのトレンドにおいて、5年後の流行を正確に言い当てることができるでしょうか?」

と質問をもって返答とし、こう続けた。
「ただし、いまドザージュ40g/リットルのシャンパーニュを造って、それが主流になるとは思えません」
しかし、「ネクター アンペリアル」のような甘口(ドザージュ45g/リットル)もモエ・エ・シャンドンにはある。
「私がモエ・エ・シャンドンの優れたところだと思うのは、それでもアンペリアルの生産量は全生産量の60%程度だというところです。いまやシャンパーニュのブリュットの生産量は、全体の90%以上なのに。伝統的甘口シャンパーニュの現代の解釈としての「ネクター」、より、私達、造り手の個性、収穫年の個性があらわれるエクストラ ブリュットの「ヴィンテージ」、氷を入れることで初めて完成する「アイス アンペリアル」と、モエ・エ・シャンドンのラインナップには多様性があるのです。そのなかでアンペリアルは、コンセンサスが問われます。お客様が求めるアンペリアルを意識しないわけにはいかないのです」
筆者はそこで、ポルシェのことを思った。ポルシェといわれたとき、ぼくたちはおそらくまっさきに911のことを思う。どの911か。いまや8世代目である。初代はもう55年も前のクルマだ。にもかかわらず、911を街で見れば、それがどの世代の911であっても、911だと思わせる。そして、水平対向6気筒エンジンをリアに搭載する、という基本的なメカニズムは、55年間、変わることがない。しかもポルシェは911だけのブランドではない。ポルシェには、いま、718があり、パナメーラがあり、マカンがあり、カイエンがある。いずれも、911とはメカニズムも形もサイズも違うけれど、ぼくたちはそれらを見て、ポルシェだ、と思う。モエ アンペリアルとはモエ・エ・シャンドンにおける911のようなものなのではないだろうか。
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