連載・柳本浩市|第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る

連載・柳本浩市|第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る

How to see design

第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(前編-1)

今回は、老舗メーカーのリ・ブランディングなどを手がけている田子 學さんの登場です。“デザイン・マネジメント”という観点から、プロダクトから広報や経営戦略を、地域性や時代背景と結びつけながらアプローチしています。モノづくりにかんして個人的に今注目すべき職種だと感じているので、具体的な事例をもとに聞いてみたいと思います。

(後編は10月25日(木)公開)

Text by YANAGIMOTO Koichi

社内では好きなことをやっていました(田子)

柳本 まずは田子さんの経歴からお聞かせいただけますか?

田子 大学でデザイン・マネジメント(デザインはもちろんのこと、組織、経営、戦略等もふくめ、複合的に関係性を構築すること)を専攻した後、1994年に「東芝デザインセンター」に就職し、プロダクトデザインをしていました。そのような現場で「何が足りないか、どうすればもっと良くなるか」ということを考えるようになり、デザイン・マネジメントの視点でデザイナー自身も取り組む必要があると思うようになりました。
デザイン・マネジメントの理念は、企業なり団体なりが、「なぜモノをつくるのか? ブランドとは何か?」それをみんなが理解した上で行動を起こし、社会に貢献するというものです。インハウスとして何ができるだろうともがきながら、いろんなチャンスも巡ってきて……というのが現在の活動にいたるバックグラウンドですね。

柳本 当時、デザイン・マネジメントの部署はなかったんですね。

田子 (現在はどうかわかりませんが)なかったんです。私が退社する2、3年前に「ブランド」という部署がようやくできましたが。

柳本 それでしばらくはプロダクトデザイナーとして勤務していたと。

柳本浩市|田子学 02
柳本浩市|田子学 03

田子 はい。とはいえ社内では好きなことをやっていました(笑)。東京デザインセンター主催の展覧会に、東芝でかかわったアドバンスドデザインを個人的に出品したことがあります。もちろん会社の許可を得てですが。アドバンスドデザインが社外に持ち出されること自体稀なことですが、ただ出展しても面白くないなと思って、デザインに対する自分の考え方を一冊の本にまとめました。ある時期に自分の考えと行動を振り返ることは、その後の活動において大変有意義なことでした。

家電業界の様子がおかしくなったと感じはじめたのは1997年ごろから。全国には、いわゆる街の電器屋さんが点在しているのですが、このころから徐々に量販店での販売がメインになってきた。それまでは地域や生活者に密着してモノを売っていたのに、だんだんとその距離が遠くなっていったんです。その結果「価格競争」による販売戦略へと突入していくんですね。となると「ブランドとはなんなのか」「メーカーのアイデンティティとは何か」という以上に、世界を握るための戦略を傾向していくわけで……こうした煽(あお)りのなかで、東芝の家電セクションも分社化しました。

しかし幸いなことにデザインセンターは本社直轄という環境を維持し、デザイナーたちは各事業所の方針に縛られずにデザインをつづけることができました。これは東芝の良いところのひとつだと思っています。そんなときに東芝はスウェーデンのストックホルムに本社を置く「エレクトロラックス社」とパートナーシップを組むことになりました。これで世界の大きなパイを狙える。エレクトロラックス社としては、情報機器メーカーとして世界で認知されている東芝の技術と、自社の家電の技術を組み合わせることでパイを大きくできる……というような目論みがありました。
ちなみに現在、話題となっているロボット掃除機ですが、もともとはエレクトロラックス社がはじまりです。つぎの時代はロボットということで、東芝からの部品供給があり、世界的に転がせれば、すばらしいコラボレーションになる可能性を秘めていました。こうして「Electrolux by TOSHIBA」というブランドが誕生(2006年に終了)しました。

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YANAGIMOTO Kouichi

幼少のころ、植草甚一に影響を受けジャズと古本に目覚め、その後小学校1年生のときに発売された『Made in USA cartalog』でアメリカ文化の虜に。 そのころから古着と家具などを集めはじめる。その後、現在に至るま …