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2025年1月29日
「ととのい」を科学する ─ カシオが挑んだ“ニーズからスタートする製品開発”
CASIO|サウナウォッチ
2024年12月2日正午、カシオ計算機が設定したクラウドファンディング開始からわずか9分。2300個分の支援受付枠は即刻完売となった。「サ時計」と名付けられたこの新製品は、サウナに特化した機能を持つアナログ腕時計だ。
Text by TSUCHIDA Takashi
「今日もサウナでととのいたい!」
近年のサウナブームを象徴するキーワード「ととのう」。理想的な心身のリラックス状態を表すこの境地は、サウナで身体を温め、水風呂で冷やし、外気浴で休憩するという一連のプロセスを通じて得られる。そして、このプロセスには適切な時間管理が欠かせない。サウナ5~12分、水風呂1~2分、休憩7分以上――。この時間配分を守ることで、より効果的に「ととのう」ことができる。
しかし高温多湿のサウナ室で時間を計るのは意外に難しい。一般的な腕時計は熱で故障する可能性があり、スマートフォンの持ち込みもできない。多くの施設に設置されている12分計も、サウナ室の暗がりや視力の問題で見づらいという声が多かった。
「この課題を解決できるのではないか」
カシオの若手社員、山田真司氏はそう考えた。入社5年目の彼が提案したアイデアは、自身のサウナーとしての体験から生まれたものだった。
カシオ流製品開発の新機軸
モノづくりには、大きく分けてふたつのアプローチがある。新しい技術から生まれる革新的な製品と、既存の市場ニーズに応える製品だ。スマートフォンに代表されるような革新的製品が注目を集める一方で、確かな実需に基づく製品開発もまた、重要な意味を持つ。特に日本のメーカーは、このニーズ対応型の開発で高い評価を得てきた歴史がある。
デジタル化が進み、金融経済が優位な時代にあって、実需に基づくモノづくりの価値が見えづらくなることもある。しかし現実の課題を着実に解決していくアプローチは、今なお製造業の重要な役割だ。この「サ時計」は、そんなニーズ対応型開発の典型例と言えるだろう。
実際、この開発プロセスは、日本的なモノづくりの特徴を色濃く反映している。カシオでは「IBP(Idea Booster Program)」という仕組みを通じて、社員が新規事業の創出に挑戦できる環境を整えている。これは、マーケティング視点で顧客価値を生み出せる人材育成を目指すプログラムだ。
4人の若手が挑んだサウナ専用設計
山田氏を中心とした入社同期4名のチームは、このIBPを活用して開発を進めていった。外装設計の小林義弘氏、デザインの鈴木千裕氏、ソフト開発の百貫将吾氏。それぞれの専門性を活かしながら、サウナ施設での調査や検証を重ねていった。
製品開発において最も重要だったのは、高温・高湿環境での耐久性の実現だった。カシオ初となる耐熱電池の採用、透湿性の低い特殊樹脂の使用など、サウナという過酷な環境に耐え得る設計が求められた。
「当初は社内からも『本当に大丈夫なのか』という不安の声が多かったですね」と小林氏は振り返る。「実際の検証では、サウナ室と同等の高温環境を再現できる温度槽を使用し、何度も出入りを繰り返してテストしました。最終的には、開発メンバー自身が実際のサウナで実験を行い、人間の方が先にギブアップすることを確認できました」。
カシオの社員諸氏は、けっこう面白い(笑)。ところで興味深いのは、あえてアナログ表示を採用した点だ。当初のプロトタイプでは、心拍数や体温など、より多くの数値情報を表示するカシオ得意のデジタル式も検討された。しかし、サウナ施設でのヒアリングを重ねるうちに、シンプルな形状、機能を意図的に絞り込む方がいいという判断に至った。
「サウナは、デジタル社会から一時的に解放される空間でもあります」と、デザインを担当した鈴木氏は説明する。「多機能化は、かえってリラックスの妨げになる可能性がありました。そこで、時刻表示と12分計という最小限の機能に特化し、ボタン2つという極めてシンプルな操作性を実現しました」。
デザイン面でも、サウナならではの工夫が随所に見られる。特徴的なのは、温浴施設でおなじみのカールバンド。ロッカーキーのストラップからヒントを得たという。「サウナの世界観に溶け込むデザインを目指しました」と鈴木氏は語る。
市場の反応は、開発チームの予想を大きく上回るものだった。クラウドファンディングでは、カシオオリジナルモデル2色とサウナ検索サイト「サウナイキタイ」とのコラボレーションモデル、計3モデルを展開。わずか9分で完売という驚異的な反響を得た。
さらに、全国12のサウナ施設で体験会を実施。サウナ大好き芸人で熱波師のマグ万平氏は「サウナは温めて冷やすだけと思われがちですが、その効果を最大限に引き出すには適切な時間管理が重要です。このような専用の時計があることで、より多くの人が正しく『ととのい』を体験できるようになるでしょう」と、評価する。
若い感性が切り拓く、日本の製造業の未来
この「サ時計」は、市場のニーズを丁寧に拾い上げ、既存の技術を最適な形で組み合わせることで、新しい価値を生み出した好例と言える。
「私たちの世代は、デジタルネイティブと呼ばれます。でも、だからこそ、アナログの価値が見直せるのかもしれません」と山田氏は語る。「サウナという非日常の空間で、アナログ時計の針を眺めながら時を刻む。そんな新しい体験を提供できたらと考えています」。
サウナ人口は、コロナ禍での一時的な落ち込みを経て、2023年には約1779万人まで回復。その中でも特に20代の若年層の増加が顕著だ。カシオの社内調査によると、20代男性の約5人に1人、女性の約10人に1人が、月1回以上サウナを利用している。
「今回のプロジェクトで印象的だったのは、若手社員たちの市場感覚の確かさでした」と、カシオIBPの担当者は評価した。「彼らは自分たちと同世代のニーズを肌感覚で理解していました。それを形にする過程で、カシオの持つ技術力を最大限に活用できたのです」。
現在、「サ時計」の追加生産や一般販売については検討段階だという。しかし、この製品が示唆するものは大きい。デジタルトランスフォーメーション(DX)が進む中、ともすると従来型の製造業は時代遅れとみなされがちだ。しかし実需に基づく製品開発、特にアナログ技術とデジタル技術を適切に組み合わせた「ハイブリッド型」の開発は、日本企業の新たな可能性を示している。
それは、革新的な技術開発と並行して、既存の技術を組み合わせながら、確実なニーズに応えていく道だ。そして、その担い手として期待されるのが、デジタルとアナログの両方の価値を理解する、彼らのような若い世代なのかもしれない。
問い合わせ先
カシオ計算機 お客様相談室
Tel.0120-088925(時計専用)
プロジェクトリーダー 山田真司氏(カシオ計算機)
「最初は『サウナで使える時計があったら便利だな』という単純な発想でした。でも、プロジェクトを進める中で、『ととのう』という体験をより深いものにできる可能性を感じました。今後も、使う人の気持ちに寄り添った製品開発を続けていきたいです」