HAMILTON|ハミルトンの歴史を生誕の地ランカスターに訪ねて
HAMILTON|ハミルトン
時代を牽引しつづけるパイオニア・スピリット
ハミルトンの歴史を生誕の地ランカスターに訪ねて(1)
アメリカはペンシルバニアにある街、ランカスター。ニューヨークから車で片道2、3時間ほどの場所にあるこの街が、ハミルトンが生まれ、そしてその歴史を積み重ねていった土地である。ここであらためてブランドのルーツ、そしてそのパイオニア・スピリットにふれる。
Photographs by MOCHIZUKI Michika
Text by KUROBE Eri
街とブランドを象徴する、時計塔のもとへ
緑のなかにそびえる煉瓦作りの時計塔。アメリカ東部の歴史を感じさせるその光景が、ペンシルバニア州ランカスターの街には残っている。18世紀に作られたランカスターは、米国のなかでも古い歴史をもつ街だ。
この威風堂々たる建物は、かつてハミルトン社の工場だったという。現在は高級レジデンスに変わっているが、たたずまいは当時のままだ。門柱にいまも残るハミルトン・ウォッチの頭文字「H」。ハミルトン社が作った時計塔の前に立つと、その大きさに心打たれる。なんと巨大な工場であったことか。
現在ではスイスに本拠地を置くハミルトンだが、そこに息づくのはアメリカン・スピリッツだ。その栄光の歴史をたどってみよう。
時計の歴史とは、時間を民衆の手にわたす過程だった
ハミルトン社の創業は1892年。19世紀末にさかのぼる。
「当時のランカスターはさまざまな移民から成りたち、技術のある時計職人たちを擁していました。ドイツからの移民が多く、さらにイギリス、イタリア、フランスなどさまざまな国からの移民で成りたつ街だったのです」
そう説明するのは、ペンシルバニア州コロンビアにある時計博物館のキュレーター、ノール・ポアイエ(Noel Porier)氏だ。この時計博物館には、なんと1万2000もの時計にまつわる品が保管されていて、人類における時計の歴史を包括的に展示している。
「当時そうした都市はいくつもありました。なぜランカスターがハミルトンを生み出し得たのか、その明確な回答はないのです。ランカスターが特別だったというより、ハミルトン社が歴史に消えずに残ったというべきでしょう。ランカスターの人々は、祖父母が働いていたとか親族が持っていたというように現在でもハミルトンに郷愁を感じているはずですよ」
またランカスターは大きなアーミッシュ・コミュニティが多いところとして知られている。電気を使わずにいまだに馬車に乗るアーミッシュだが、ハミルトンのクレストマーク(家紋)にはアーミッシュが使うバギー(馬車)があしらわれているのがおもしろい。
時計博物館には当時を彷彿とさせる、邸宅に置かれていた巨大な柱時計が多く展示されている。
「これだけ巨大な時計を置ける居間があることは、その家が富裕であることを示しています。柱時計を持つことは当時の紳士たちにとってはステータスシンボルだったのです」
それが時代をくだるにつれて、時計は小さくなり、一般家庭のなかにも浸透していく。そしてヨーロッパにおいては家内制手工業であった時計が、アメリカでは工場で大量生産するようになったことが大きな変革をもたらした。庶民にも時計が手に入るようになったのである。
「時計の歴史は、時間の民主化の歴史でもあるのです」とノール氏はいう。
「古代にあっては時間を計ることは神官や王の仕事でした。時代がくだるにつれて貴族のものになり、さらにブルジョアのものになり、各家庭に行き渡っていく。時間を民衆の手に行き渡らせること、それがまさしく時計の歴史であり、人類の発展の歴史なのです」
かくして自由と開拓の国アメリカで、時計は瞬く間に広がっていった。
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ハミルトンの歴史を生誕の地ランカスターに訪ねて(2)
鉄道のタイムキーパーとして名声を轟かせたハミルトン
ハミルトン社がその名を轟かせたのは、鉄道の発展による。
19世紀半ばになるとアメリカ全土で急速に鉄道網が整備されていき、その時に必要となったのがより正確な時計だったのである。わずかな時間の狂いが大きな事故につながることは、それまでの輸送手段にはないことだった。そこで多発する事故に対処すべく、鉄道業者が創業間もないハミルトンに要請して、高精度の懐中時計が生み出される。
「ハミルトンの時計はアメリカ鉄道会社の公式時計として採用されることで、列車のタイムキーパーとして評判を得ていったのです」
ハミルトンの工場は5万3000平方メートルもある広大な敷地を備え、一大産業となった。当時の写真を眺めると、巨大な工場のなかで多くの職工たちが働いていたようすがわかる。
1910年代になると、第一世界大戦の戦火が近づいてきた。1914年、アメリカ陸軍の名将パーシングの要請で、ハミルトンは軍隊用の懐中時計を献上。これがミリタリーウォッチのはじまりとなる。
そして1920年代初頭までには腕時計を発売。それはちょうどアメリカが参戦する時期と重なり、たちまち需要が高まった。
「腕時計は兵士にとって両手が自由になるために必要不可欠であったわけですが、これが実際に腕時計を使ってみると便利であり、急速にポピュラーになっていったのです」とノール氏。
博物館に展示された第一次大戦当時の腕時計には文字盤が壊れないようにワイヤーガードがつけられており、戦場を兵士とともにサバイバルしてきた迫力を感じさせる。
そして1919年アメリカではじめて定期航空郵便が飛びはじめた時に、公式時計として採用される。1930年代になると、航空機が発展をとげて、民間の航空会社が次々と生まれる。そこでTWA、イースタン・ユナイテッド、ノースウエスト航空のオフィシャルウォッチとして認定される。
鉄道から大空を翔く時代へ。ハミルトンはアメリカの発展を支えてきたのだった。そこにまた大きな歴史の転換期が訪れる。第二次世界大戦の勃発である。
ミリタリーウォッチとして戦場を駆け抜けた不屈のスピリッツ
「ハミルトンの時計がなぜ市場に出回らなくなったか」
時計博物館の展示物には、その事情を説明する告知が残っている。第二次世界大戦とともにハミルトンはアメリカ政府の要請を受けて軍用時計を生産することになり、一般的な商業用時計の生産をストップする。
海軍から要請を受けて、船舶用のマリンクロノメーター、すなわち揺れに影響されない船舶用特殊時計を製作。要請を受けたのは数社であったが、「精度の高さ」を理由に採用されたのはハミルトンだった。
さらに空軍での航空時計、陸軍に支給された軍用時計などを次々と供給して、なんと100万個以上という驚異的な数の軍用時計を海外に送りだした。ハミルトンの時計は米軍の必需品だったのである。
博物館には、さらに興味深いものも展示されている。ハミルトン製の弾丸発射ヒューズだ。戦時において正確な時を計るというのは生死をわけるものであったのだ。
戦場では兵士たちが時間を合わせるときに、いっせいに「Hack」と合図を出し、いったんリューズ操作で秒針を止め、声と同時に秒針をスタートさせたという。現在も人気モデルであるカーキ・シリーズには、ミリタリー・ウォッチのエレメントをそこここに見ることができる。ハミルトンの時計には、男たちの戦いでともにサバイバルしてきた不屈のスピリッツが宿っているのだ。
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ハミルトンの歴史を生誕の地ランカスターに訪ねて(3)
世界初のエレクトリック腕時計、そしてデジタルウォッチの開発
そして戦いが終わり、世界に平和が訪れた時に、アメリカは自由と繁栄の時代を迎える。
「世界各地に行ったアメリカ軍兵士たちが身に着けていたことで、ハミルトンの名前が世界に広まっていったのです」(ノール氏)
世界をリードするようになったアメリカで、ハミルトンは進取の精神を発揮していく。1957年には初の電池式腕時計「ベンチュラ」を発表。リチャード・アービブがデザインしたユニークな三角形ケースはフューチャリスティックで、いまなおその革新性を失わない。
さらに1970年には世界初の発光ダイオード(LED)式デジタルウォッチ「パルサー」を 発表。現在に換算すると100万円ほどの高額で売り出され、セレブたちにとって垂涎のアイテムになった。さらに1971年には、初のクロノグラフムーブメント搭載モデル「パン ユーロ」を発表。次々とあたらしいことに挑戦する、そこにはアメリカのフロンティア精神が溢れている。
「その時代、ハミルトンの時計といえば、大学の卒業時にプレゼントとする、あるいはクリスマスや記念日、退職時に贈られるような特別なものとして認識されてきました」(ノール氏)
ハミルトンはアメリカ人にとって人生の節目を飾る時計だったのだ。鉄道から航空機、ミリタリー、そして最新テクノロジーと、ハミルトンはアメリカ近代史とともに歩んできたのである。
幸せな輝きに彩られたタイムピース──女性の憧れの腕時計として
また、ハミルトンの魅力は、メカニカルな側面やパイオニア・スピリッツだけの話にとどまらない。女性にとっては、幸せを象徴するアイテムでもあったのだ。
ハミルトンが初のレディースウォッチを発売したのが1908年のこと。それはアメリカの女性が選挙権を獲得した年より12年も前のことで、そのことからもハミルトンがいち早く女性のニーズに目を向けていたことが分かる。
さらに時が進んで1940~50年代になると、アメリカでは夫から妻へ、そして妻から夫へ、愛と感謝の気持ちを綴ったラブレターとともに贈られたのがハミルトンだったのだという。愛するパートナーからハミルトンを贈ってもらうこと、そしてそのようなすてきな男性と出会うことは、当時の女性の憧れだったと言われている。
華やかで凛とした輝きを放つハミルトンのレディースウォッチは、時代とともに変化する女性の美意識や価値観に応え、現在でも世界中で愛されつづけているのだ。
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ハミルトンの歴史を生誕の地ランカスターに訪ねて(4)
伝統を現代に受け継ぐあらたなハミルトンの魅力
アメリカの歴史を共有してきたハミルトンだが、現代でもその魅力は多くのアメリカの男たちを魅了している。
「もしハミルトンの時計のなかから好きなものをひとつ選んでいいとしたら? ずばり
ベンチュラですね。あの独特のキャラクター、ほかにはない個性に惹かれます」とノール氏。時計キュレーターの心も掴む、ベンチュラの独創的なフォルムは現在でも輝きを失わない。アメリカでは『メン・イン・ブラック』三部作でウィル・スミスが着用したために、「あの映画の」時計として認識されている。
高級時計店トルノーに務めるエド・ロイドさんが選んだのは、ジャズマスター オープン シークレットだ。
「今でもハミルトンは就職祝といった記念に贈る方が多いですね。ジャズマスターはやはりアメリカンクラシックだと思います」
おなじくトルノーに勤め、“スーツを着る時に、時計をつけないとスタイルが完成しない”というジョン・リースさんが選んだのは、イントラマティックのブラックカーフストラップ。
「シンプルでどんなスーツにも合う、それでいて特徴のある文字盤のデザインに魅力を感じます」
アメリカではハミルトンは、都会に住んで洗練されていて、スポーツ好きでアクティブな男性に支持されているという。
また米国でもっとも人気のある時計ブログ『AblogtoRead』の編集長であり、時計クリティック(評論家)であるアリエル・アダムス(Ariel Adams)さんは、ハミルトンの時計についてこう分析する。
「まずラグジュリアスな品質に対してプライスがリーズナブルというところでは、なかなか匹敵するところがありませんね。昔の世代のひとにとってはスイス製と並ぶ時計だと認識されていて、アメリカで生まれたことを知っている人たちもいるかと思います。若い世代にとってはスイス製でありながら、ミリタリーテイストとアクティブなスタイルがあって、なおかつ手頃であるのが魅力だと思います」
アメリカでの人気商品であるジャズマスター オートクロノ、ジャズマスター ビューマチックはその機能性に比べてプライスがリーズナブルなので、社会人になる世代にとって大きな魅力だ。
「ハミルトンの時計は優れたデザインと、ミリタリーや航空機で使われてきた実績が噛
みあっているところが魅力といえます。のみならず、洒落たドレス・ウォッチも充実している。さらにいえばハミルトンは、おなじデザインを繰りかえし使うのではない、あたらしい魅力的なモデルを毎年出しているといえます」
アリエルさん自身はハミルトンのカーキ フィールド メカとジャズマスタークッションを所有しているという。
「お気に入りをひとつに絞るのは難しいですが、もしなんでも手に入れられるならヴィンテージと現在のベンチュラ、そしてオリジナルのカーキ フィールドが欲しいですね」
時計クリティックをも魅了するカーキ フィールドのシリーズは、ハミルトンの真髄であった軍用時計の伝統を現代にそのまま受け継いでおり、アメリカでも非常に人気が高い。
アメリカ生まれの魂をもち、スイスの技術と精度を誇るハミルトン。そこには鉄道から空に、そしてミリタリーに採用されてきた確かな信頼に裏打ちされている。本物を知る者たちにとって、ハミルトンはけっしてその輝きを失わない。
ハミルトン/スウォッチ グループ ジャパン
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