BVLGARI|ブルガリの回顧展、パリ・グラン・パレに巡回
BVLGARI|ブルガリ
ブルガリの回顧展「125 年にわたるイタリアの至宝」
パリ・グラン・パレに巡回
12月9日(木)フランス・パリのグラン・パレにてブルガリの回顧展のオープニングイベントが開催され世界中からセレブリティが参加した。また、翌日より2011 年1月12 日までこの回顧展は一般公開される。
文=松尾 大
125年の歴史を巡る旅
1800年代より最高級のイタリアスタイルを提供するブランドとして知られ、昨年創立125周年を迎えたブルガリ。ジュエリーをはじめ、高級時計、皮革製品、シルクアイテム、香水にいたるまで、世界中のセレブリティに支持されている。そんなブルガリの回顧展のオープニングイベントが、パリにあるグラン・パレの中央スペースでおこなわれた。
この回顧展は、オープニングイベントの翌日、12月10日(金)から2011年1月12日(水)まで一般公開される。グラン・パレでジュエリーブランドが大規模な回顧展をおこなうのははじめてのことで、オープニングのゲストにはローマで11月に開催されたブルガリのチャリティー・ガラでライブ演奏をおこなったレニー・クラヴィッツをはじめ、ジュリアン・ムーア、クライヴ・オーウェン、ジュリエット・ビノッシュらそうそうたる面々が駆けつけた。
「125 年にわたるイタリアの至宝」と題されたこの回顧展では、ブランド史上もっとも重要とされる時代をたどりながら、ローマのシスティーナ通りに最初の店を開いた1884年から現在にいたるまでを、600点以上もの名品ジュエリー、ウォッチ、置き時計のほか、装飾美術などによって再訪できるというもの。展示品のなかには今回はじめて一般公開となる約100点の作品がふくまれている。そのなかには個人所有のものも多く展示され、モナコ公国のグレース王妃のネックレスなど、グリマルディ家が所有する3点も見ることができる。
年代順に8つのセクションで構成されたストーリーは、まず最初に独創性と鋭いビジネスセンスに富んだギリシャ出身の銀細工師だった創始者 Sotirio Bulgari(ソティリオ・ブルガリ)が、19世紀末に製作した銀細工コレクションからはじまる。ブルガリの礎を築くことになるソティリオは1884年、富を求めてローマに移り住んだ。ここで紹介される作品は、ブルガリ初期のものとして残る数少ないアイテムで、オスマン帝国やビザンティン帝国のクラシカルなスタイルがみてとれる。オスマン帝国末期のギリシャのエピルス地方から、当時まだできたばかりのイタリア王国(1861年誕生)の首都ローマへのソティリオの移住は、今日のような地中海沿岸地域を形成した主要な地政学的変化を追体験させてくれる。
ブルガリのコレクションはこの時期、中東の雰囲気をもつものからより現代的なスタイルへと急激に変化するが、同時にソティリオはシルバーからは遠ざかり、プラチナやダイヤモンドをもちいたアイテムを製作するようになっていく。つづいては1920年代と30年代のデザインにあてられたセクション。アールデコ調のダイヤモンドのシリーズは、ソティリオのふたりの息子、ジョルジョとコスタンティーノが率いた時代にブルガリがなしえた大いなる成功を示している。
つづいて40年代から50年代のセクション。ブルガリのデザインがフランスのジュエリースタイルの影響をはっきりと受けていた時代だ。そして60年代のセクション。この時代こそ、ブルガリの存在意義を明確にするうえで、もっとも重要なターニングポイントとなった10年とされている。ブルガリがその名を世界に知らしめることとなった「ブルガリらしさ」としての、その際立った特徴を推し進めた時代だ。
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ブルガリの回顧展「125 年にわたるイタリアの至宝」
パリ・グラン・パレに巡回(2)
「私はたえずBVLGARI に行きます。なぜなら、ブルガリをたずねることは、
まるでもっとも著名な現代美術館をたずねるようなものだから」──アンディ・ウォーホル
大胆で妥協のない様式化されたフォルム、そして控え目な装飾、色彩豊かな色石のコンビネーションは、他の追随を許さぬブルガリならではのスタイルとなった。そのスタイルこそ、古典的なフランスのジュエラーに比して、真の「イタリア流派」のジュエリースタイルとなったのだ。
その後の3部屋には1970年代、80年代、90年代のクリエイションが展示されている。70年代はポップアートの影響を強く受け、アンディ・ウォーホルの称賛をえた時代。
80年代はイタリア・ルネッサンスの影響を受けた、大胆かつ創意に富んだデザインの時代、そして90年代は素材の思いもよらぬコンビネーションや、ジュエリーにおける「プレタポルテ」コンセプトがみられるようになった時代である。この3時代はまた過剰と贅たくの時代でもあり、歌手グレイス・ジョーンズが何連ものネックレスを「帽子」に見立ててかぶったり、ティナ・ターナーが当時、彼女がもっとも大切にしていた“幸運のお守り”、すなわち1ペアのブルガリのイヤリングを誰も見つけられなければコンサートをキャンセルすると大騒ぎしたというエピソードまであったという。
本展ではジュエリーやウォッチにくわえ、デザイン画やデッサン、創設以来ブルガリの魅力の虜となってきたアーティスト、貴族、そして世界中のセレブリティたちの写真など、初公開となる文書コレクションも多く展示される。なかにはイタリアの古きよき“Dolce Vita(甘い生活)”の時代にあてられたセクションもあり、当時の大スターたちのポートレートや名言、伝説の女優たちがスクリーンのなかで身に着けたジュエリーのスケッチをはじめ、1940年代以来、今日までつづくブルガリと映画産業との緊密な関係を示す資料なども展示。Anna Magnani(アンナ・マニャーニ)、Monica Vitti(モニカ・ヴィッティ)、Claudia Cardinale(クラウディア・カルディナーレ)、Sophia Loren(ソフィア・ローレン)、Romy Schneider(ロミー・シュナイダー)、Ingrid Bergaman(イングリッド・バーグマン)、GinaLollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)、そしてペルシアのEmpress Soraya of Persia(ソラヤ王妃)といった往年の女優、世界的な名声をほこる美しい女性たちが身につけたブルガリのジュエリーの数々が紹介される。
エリザベス・テイラーのパーソナルコレクション
なかでも象徴的なのがフランスで初公開となる女優 Elizabeth Taylor(エリザベス・テイラー)のパーソナルコレクション。このセクションは、Richard Burton(リチャード・バートン)との関係が、彼が贈った数々のブルガリジュエリーからはっきりとみてとれ、当時の妻 テイラーに宛てた多くの言葉にもあらわれている。
「彼女が唯一知っているイタリア語は“ブルガリ”」
「私はリズにビールを教え、彼女は私にブルガリを教えてくれました」
それぞれに物語をもち、はかり知れない価値をもつ16点の比類なきパーソナルコレクション。とくに注目すべきは62年の婚約のさい、バートンからテイラーに贈られた18カラット以上もある、中心にエメラルドが配されたダイヤモンドのブローチ。64年3月15日におこなわれたバートンとの最初の結婚式で、テイラーが唯一身につけることを望んだといわれるジュエリーである。
このセクションでは彼女のジュエリーコレクションにくわえて、Joseph Mankiewicz(ジョーゼフ・マンキーウィッツ)監督作品『去年の夏 突然に(Suddenly Last Summer)』でのテイラーの功績に対し、59年に贈られたダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリアのアカデミー賞といわれる)のトロフィーも展示されている。
今回のパリ・グラン・パレへの巡回にさいし、ブルガリ・グループCEOのフランチェスコ・トラーパニはこう語る。
「1世紀以上つづくブルガリの歴史を享受する、貴重な宝石やその他オブジェからなる大いなる遺産を、パリのグラン・パレにて展示する機会をえたことは、20年初頭からブルガリとパリの街がわかちあってきた“特別な繋がり”を証明するものでもあります。当時パリはすでに国際色豊かな街として装飾美術のいわば“首都”で、私の曽祖父 ソティリオ・ブルガリや祖父 ジョルジョ・ブルガリの創作活動において、まさに、インスピレーションとあたらしい手法の源として刺激的な意味をもっていました。以来、ブルガリのデザインスタイルはギリシャ的な潮流を根底にもちつつ、はっきりとローマ様式とわかるかたちで発展してきました。パリの回顧展は昨年、ブルガリが創立125 周年を記念してイタリア・ローマのパラッツォ・デルラ・エスポジツィオーネにて開催したのにつづいて巡回するものです。イタリアンスタイルのジュエリーの125年にわたる発展とその変遷、イタリアらしい自由でパワフルな創造性をぜひご堪能ください」
回顧展「125 年にわたるイタリアの至宝」──125年、変わらぬ輝きで世界を魅了しつづけたブランドの軌跡に触れて。