サウジアラビアはなぜ眩しいのか?
LOUNGE / MUSIC
2024年12月19日

サウジアラビアはなぜ眩しいのか?

Marvels of Saudi Orchestra|マーヴェルス・オブ・サウジ・オーケストラ

2024年11月22日、 サウジアラビアが誇るオーケストラ『Marvels of Saudi
Orchestra』が東京オペラシティにて、日本の雅楽オーケストラ(宮内庁式部職楽部)をゲストに迎え、東京音楽大学オーケストラアカデミー、そして布袋寅泰氏との共演による一夜限りのコンサートを開催した。

Text by SUZUKI Fumihiko

روائع الأوركسترا السعودية | الحفل كامل A masterpiece by the Saudi Tokyo Orchestra

マエストロ・ヒロ

思想や信念が時に暴走し、その熱狂が悲しい連鎖を引き起こすことを私たちはすでによく知っている。しかし、だからといって、思想も信念も取り上げられた人間の生き方が美しいだろうか? 私は初対面にも関わらず、指揮者・吉田裕史さんと話しているうちにそんな思いを抱き
「健全なナショナリズムとでも言うべきものをよく考えてもいいんじゃないか?」
という質問とも言えない発言をした。すると吉田さんはこんな風に応じる。
「それはナショナリズムじゃなくてパトリオティズムでしょう。音楽に国境はない、という言葉に私は同意するけれど、この言葉をそんなにやすやすとは使ってほしくはない。人間にも音楽にも生まれ故郷がある。アイデンティティがある」
それほど思考を巡らすような時間があったわけでもないやりとりだったので、これはこのマエストロにとって、日常的な感覚なのだろう。
「音楽家にはアイデンティティがある。だって、誰かのマネなんて、そんなの面白くないじゃないですか」
さて、何の話かといえば、11月も終わろうとしているある日のこと、東京・新宿のオペラシティでは、サウジアラビアのオーケストラ団「サウジアラビア国立管弦楽団・合唱団」によるコンサート『マーヴェルス・オブ・サウジ・オーケストラ』の公演があり、このイベントの実現のために協力、あるいは尽力した吉田裕史さんを、私は短い時間インタビューできることになったのだ。一夜限り、3部構成で繰り広げられたサウジアラビアと日本との音楽交流は、2025年の外交関係樹立70周年を記念して、たった半年ほどの準備期間で実現したという。このスピード感を受けて立った日本側のキーパーソンが吉田さんなのだ。
公演で指揮を執ったのはサウジアラビアの指揮者 リーブ・アーメド。その後ろに並ぶ東京音楽大学オーケストラ・アカデミーは吉田裕史さんも学んだ東京音楽大学に2022年に開かれた若手音楽家の育成機関だ
「2017年にサウジアラビアでオーケストラによるコンサートの指揮をしたのが、私とサウジアラビアとの関係の始まりです。最初は……正直言って怖かったですよ」
なにせメッカを抱くサウジアラビアでは、そもそも音楽イベントのような娯楽はクラシックであろうがパンクであろうが禁止という状況が長く続いていた。
そんな状況を改革し、文化を解放、異文化との交流によって国を立てようという動きが生まれたのがちょうどその頃だった。サウジアラビア皇太子兼首相であるムハンマド・ビン・サルマーンのビジョンに沿って「サウジビジョン2030」という名の戦略フレームワークが生まれたのが2016年。偉大な日本人マエストロのコンサートも、この潮流のなかでサウジアラビアに招待された、という経緯で実現したのだった。しかし、国の新しい指針を、国に根付いた宗教と文化が歓迎するかは別問題だ、という意識が吉田さんにはあったようだ。
「でもね、すごいんです。音楽への、文化への渇望が。私たちのオーケストラの演奏で観客が立ち上がって、わーっと歓声が上がって、指笛が鳴って。クラシック音楽のコンサートでそんなことってありますか? 私は経験したことがなかったですよ」
吉田さんは熱っぽくなる。
サウジアラビア国立管弦楽団・合唱団が組織されたのは、それから2年後の2019年。そんな若き音楽隊がわずか数年で、パリ、メキシコシティ、ニューヨーク、ロンドンで現地のミュージシャンを交えた海外公演を行っていて、5都市目として東京へ。とてつもない勢いだ。だって考えてもみてほしい。国を代表するミュージシャンといえば、幼少期から訓練するもの。例えばバイオリンの世界的奏者が、わずか5年程度で誕生するだろうか? けれど、吉田さんは
「明治維新ってこんな感じだったんじゃないか? とおもうんです」
と目を輝かせるのだ。
サウジアラビアにおける音楽界のキーパーソンで、サウジアラビア音楽委員会 CEOを務めるポール・パシフィコ氏。サウジアラビア音楽の発展に寄与した一人で、次世代アーティストの育成にも精力的に取り組んでいる。
「いわゆるクラシック音楽の歴史がアジア圏で最も長いのは日本ですが、100年以上前、西洋のクラシック音楽に初めて触れた日本人は、きっと貪欲に本物を追い求めたんだとおもいます。本気で追いつき、追い越してやるというつもりで。でも、その熱はやがて冷めていって、ドメスティックなルール、方法、流儀を生み出していったんじゃないか? 世界は世界、日本は日本というダブルスタンダードができてしまったんじゃないか?」
さらに吉田さんは、オペラの本場としてのイタリアについても同じことが言えるのではないか? と問を重ねた。私は、そういう状況を世間では「成熟したマーケット」と言うのではないか? と反駁してみると
「成熟したけれど、それでじゃあ世界一なんですか? そうじゃないでしょう。成熟という言葉で諦めるんですか?」
「それにね、マーケットと言うならサウジアラビアこそマーケットです。日本人にとってクラシック音楽はやっぱり外国から学ぶもの、盗むものです。学ぶ場所と自分のマーケットは別に考えるべきです。私たちはサウジアラビアに求められている。明治維新で、日本が技術や文化を学ぶために海外から多くの外国人を招いたように」
雅楽オーケストラこと宮内庁式部職楽部による舞楽「陵王」

とべ!グレンダイザー

吉田さんとの会話から2日後のコンサート当日も、マエストロの炎に引火した私の心はくすぶっていた。最初の部、第1部は雅楽で、これはマエストロの肝いり。サウジアラビア側には、これがもう何世紀も前に死んだ芸術ではないことを、日本側にはいまここで公演する意味を語って実現したのだそうだ。
ここで面白いのは観客のうち、サウジアラビアからやってきたとおもわれる面々がなんだかうるさいことだ。静かにじっとして音楽を聞く、というのはサウジアラビアではそんなに重要なことではないのか?
この興味深い現象は第2部のサウジアラビア国立管弦楽団・合唱団による演奏になるとさらに顕著になった。
白いローブにターバンという、なかなか他所ではお目にかかれない盛装に身を包んだ男女が、あるいはヴァイオリンやチェロといった西洋の楽器を、あるいはウードとかカヌーン、ネイ、リックというらしいアラブの伝統楽器を操る演奏は、奏者たちの表情は厳かなのだが、奏でられる音楽がとにかく騒がしかった。
空隙・静寂は許さない、音の絶対量は常に最大値に保つべし、といわんばかりの演奏と歌。観客たちはいよいよ、ざわざわ、そわそわしてくる。
未知なる楽器、未知なるリズム、そして何を言っているのかはわからないけれど、頌歌らしきものを浴びせかけられているのではないか? と感じていると
「ゆけゆけ デューク・フリード とべとべ グレンダイザー」
聞き覚えのあるフレーズがアラビアンなリズムに乗って飛び出してきた。なるほど、そうか! サウジアラビアでは日本で1975年から放映開始したアニメ・グレンダイザーが人気だと聞いていたが、ここでそれを持ち出すというのなら、日本人たる私も黙ってはいられない。一緒に英雄デューク・フリードを称える歌を歌おうじゃないか!
その後しばらく、日本のアニメソングが続く。そして「ポケモン!ポケモン!」というシャウトのあと、楽曲は再び彼らの国のそれへと戻っていった。
東京音楽大学オーケストラアカデミーがサウジアラビア国立管弦楽団・合唱団に加わり、コンサートは第3部に入る。
第2部から感じていたことだけれど、いずれの楽曲も、曲のユニットひとつひとつは短い。それこそアニメソングやゲームミュージックのように3~5分程度でひとまとまりをなす音楽が連続していく。
第3部の演奏は勇壮な物語の序曲といった雰囲気のものから始まり、英雄の旅路を物語るかのように次々と変化、あるいは流転する。そして「サウジアラビアの名曲メドレー」なるパートへとプログラムが移ると、舞台上だけでなく観客席の面々も、先ほどは私がグレンダイザーを口ずさんだように、馴染みの歌を歌うのだった。
続いて、布袋寅泰さんが現れ、何を演奏するのかとおもえば、映画「キル・ビル」の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」。その後、サウジアラビア国家歌「アンマー・ヤ・ダルナ」の演奏によって、このコンサートは幕を閉じた。

21世紀の熱狂

「それまでローカルで発酵・熟成された文明は、黒船が来て一気に花開いた」
コンサートのあと、以前インタビューしたことがある、とある世界的アニメ映画監督の言葉を私は思い出していた。吉田さんは明治維新と言ったけれど、私にはこれは開国のほうが近いのではないかと感じられたのだ。
サウジアラビアは文化的鎖国状態にあったのではないか、とおもえた。そこでは、祖国の伝統音楽も、西洋のクラシック音楽も、ロックも日本のアニメソングもゲームミュージックも、あるいは、音楽以外のものも、何もかもが一つのダムの前に集まって、なんとか決壊だけは防ごうと圧縮・濃縮されていたのではないか。そのダムの堰が切られたら? すべては渾然一体の奔流となって放出されるはず。古いとか新しいとか、ジャンルとかカテゴリーとかそういったものは、そこでは意味をなさないだろう。すべてが今、ここ、この時なのだ。そういう風に感じられた。
吉田さんの、私の、観客たちの心を問答無用に揺さぶり、もはやじっとしてなどいられなくしたのは、つまり熱狂だ。文化への、解放への、異国への。そして熱狂こそが、音楽の、芸術の、文化の根源にあるものなのではないだろうか。
この激しさはいつかは失われるものかもしれない。サウジアラビアの観客も、いつの日か、客席に大人しく座って、静かに音楽を聞くようになるのかもしれない。立ち上がって叫ぼうとする者を咎めるようになるかもしれない。奏でられる音楽は、静寂を描くようになるかもしれない。しかし今はまだまったくその時ではない。サウジアラビアの音楽家たちは燃え上がる炎のごとく、氷を溶かし、枯れた大地に草木を芽吹かせる。21世紀の文化の首都がサウジアラビアになることだって、ありえる。私はそんなふうに感じた。
                      
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