あくまでも王道の服を進化させ、ランウェイに革命を起こす! 「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.」のエレガントな服|TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.
FASHION / FEATURES
2021年10月6日

あくまでも王道の服を進化させ、ランウェイに革命を起こす! 「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.」のエレガントな服|TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.

TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.|タカヒロミヤシタザソロイスト

常識を超えた服へのアプローチはどこまでも美しく、「少年」を彷彿させるピュアな世界観を作り上げた。「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.」の2022年春夏のコレクションが2021年9月21日に行われた。素材を知り尽くし、服づくりをディテールまで追求し、どこまでも深く服と付き合う宮下貴裕の「“アンチ”常識」な服。観るものをパリのランウェイに瞬間移動させるような魔力を持ったランウェイの世界観だった。

Text by KITAHATA Toru

そのランウェイは世界への入り口のようだった。
9月21日、中秋の名月が満月の当たり日だという。中秋の名月は必ずしも満月ではないとニュースが流れていた。満月の夜、静かに、だがうちなる激しさを持って……。それは満月が静かに光りつつも地球の海の満潮干潮を支配するほどの力を持つ。その月の力のように海水を引力で引きつけるように人の心を引きつけていく。
TAHAHIROMIYASHITATheSoloist.のショーは静かにゆっくりと始まった。最初にはっきりと申し上げておきたいが、このショーの演出がデザイナーにとって恐るべきものだということを伝えたい。それは昔ながらの「タングステン」と言われる電球を足元にいくつも使い、音楽の爆音で誤魔化すこともせず、長いランウェイをどのショーよりも遅いのではないか? と思えるほど遅く歩かせている。これはもっとも服の真価がはっきりと見る者の目に映る。些細な欠点が引き伸ばされてもおかしくない状況だった。例えるなら、4Kのテレビで出演者が毛穴まで見えて困る、というのと同じくらい服の本質がはっきりと見えるランウェイでディティールまでの全体像、素材感、シルエット、部分、そして着こなしはパーフェクトと言えるショーをやり遂げた。いや、何よりも圧巻だったのはデザイナーの持つどこまでもエレガントで、格好良い男の世界観を徹底的に見せてくれたのだ。
デザイナーは30体のモデルを歩かせた。彼らの静かで優雅な歩みは明らかに日本のファッションシーンを飛び越えて、筆者の目にはパリのランウェイがまるで残像や錯覚、パラレルワールドにいるかのように映し出されていた。
Pause≒Playに込められた意味は何なのだろうか。グレーのスーツは解体され、切り裂かれ、インサイドアウトが目を引く。だが、オーセンティックなつくりは色濃く残っている。そこにPause≒Playを探ってみる。大事なことは「Pause」はあくまでも「Stop」ではない。「Play」との間に「≒(ニアイコール)」があることも見逃してはならない。つまり、音楽や映像であれば、「Pause」はあくまでも再生の途中で一時停止するものであり、限りなく「Play」の中にあるものだということだ。
果たして何を「Play」しているのか? それは紛れもなくTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.が創り続けてきた服の世界の延長線上であることは間違いない。パリコレに戻り、その直後のコロナ禍という「Pause」。悪夢のような時間まるでディストピアに一閃の光を見せるようなムービーを2シーズン世界に発信してきた。しかし、それはあくまでも静かな沈黙でしかなかったのだ。
デザイナーは「Pause」ボタンを押し続けていたのか?
あくまでも「Play」の中にいたのではなかったか? 
デザイナー自身も満足できる「Play」ではなかっただけではなかったか? 
我々の目には十分すぎる完成度の高いコレクションだったにも拘らずだ。つまりはTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.は常に進化し続けていたにも拘らず、デザイナーは満足できていなかった。その状態を満足できるところまで「Play」する覚悟で立ち向かったコレクションだったのではないだろうか。
しかし、ランウェイではもうひとつの「Pause」と
「Play」があった気がしてならない。デザイナーの中に染み付いて離れない服への想いといっても良いかもしれない。あくまでもオーセンティックな服づくりはブレていない。服の隅々から見えない部分にも手を抜かない(いやむしろ見えないところへのアプローチは驚異的とも言える!)デザインの力。1mmまで詰めるシルエットへのこだわり、アイテムにとって必要不可欠な素材を見つけ出し、使いこなす力。服のすべてを知り尽くしたデザイナーがその服がコロナ禍において進化≒「Pause」していたのを、服とは何か、をコレクションで動かしたのではないだろうか。大胆な革新的な服へのアプローチこそ「ファッションを動かす!」という意思表示に思えて仕方ないのだ。
ファーストルックから革命は起こっていた。コロンブスの卵なのかもしれないが、レヴォリューションとは誰もが考え得なかったことを、常識を飛び越えて、あるいは常識にアンチな意識を投げかけることで起こりうるのだ。
筆者は写真も撮っているのだけれど、思わず、足にレンズが向く。トラウザーズに数カ所切り込みを入れ、そこから足を出す(誰がこんな着こなしを考えられるのだ! このデザイナーをおいて他にない!)というコロンブスの卵は視点を釘付けにするだけの力を持っている。両サイドの地面からのタングステンの光も足に目を向けさせる装置であることがわかってくる。
ベストのコーディネートはピュアな少年の奏でるメロディのよう。切り裂かれたシャツは矛盾するかのように上品という言葉さえ匂わせる。ニットのビブスは枯れていく花のように美しく、儚さを思わせる。
足元まで美しく、だが、全身はこの上なく優雅であり、いく層にもレイヤードされたコーディネートにはアイテム数を超えてひとつの音となって目に届く。
「Pause」と「Play」を「≒」でつなぐというのはある意味ではパラドックスのような感じにもとれる。まるで「Back to the Future」の語感にも似ている。デザイナーは原点回帰ということも示唆して、自身の原点とオーソドックスな服へのアプローチを試みたのかもしれない。幾重にもレイヤードされたアイテムがひとつになる。ひとつになったコーディネートがランウェイを歩く。モデルも伝える。演出も伝える。音楽も伝える。デザイナーは服だけをデザインすると同時に、世界観をつくり上げるのだというメッセージが世界に発信された満月の夜だった。
昔からコレクションごとに、今の自分すべてを出し切るデザイナー。その姿勢は誰にも負けたくないという意志の現れだった。少年の負けず嫌いが今でも続くかのようにTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.はレヴォリューションを起こし続けていくのだろう。だって、「Pause≒Play」はニアイコールで繋がれている。演奏は鳴り止まないという意味にもとれて。
                      
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