第5回 「フランク・ミュラー グループの未来」
第5回 「フランク・ミュラー グループの未来」
天才時計師、フランク・ミュラーを頂点に擁するフランク・ミュラー グループ「WATCHLAND(ウォッチランド)」。その活動範囲は年々広がりを見せている。ピエール・クンツ、ECW、そしてクストス。果たしてグループはどこに向かおうとしているのか。
文=広田雅将
辣腕起業家、シルマケスの存在
フランク・ミュラーの成功を考えるとき、忘れてはならないのがヴァルタン・シルマケスの存在だ。アルメニアに生まれた彼は、ジュネーブの宝石商で見習いを経た後、宝石商として身を立てた。
1989年、フランク・ミュラーと出会った彼は、その成功を確信。92年、フランク・ミュラー ブランドの会社を立ち上げ、97年には新オフィスと工房をジャントゥにつくるにいたった。
いまでこそ著名なフランクだが、当時はまだ一介の時計師としか見なされていなかった。そこに目をつけ、投資を惜しまなかったシルマケスの慧眼には、改めて驚かされる。
またシルマケスの知られざる功績には、トノウケースの量産化がある。91年、フランク・ミュラーはトノウケースを開発したが、量産は不可能と思われた。手に取るとわかるが、フランクのトノウケースは極めて複雑な造形をもつ。とりわけ風防にあたる硬いサファイアクリスタルは、三次元状にカットされている。
当時これを実現できるメーカーは、スイスに存在しなかった。あったとしても、彼らは新興メーカーには極めて冷淡だった。フランクとシルマケスは、優れたケースメーカーであるエコフェから技術を習得。ケースの内製化に成功した。
現在さまざまなケースバリエーションを誇るフランク・ミュラー。その一因には、自社でケースをつくれる体制があることを、決して無視してはいけないだろう。
フランクとシルマケス、両輪がもたらしたもの
フランク・ミュラーの名声が高まるにつれて、多くの時計師たちが彼のもとに集った。そのひとりに、ピエール・クンツがいる。
パテック フィリップなどでコンプリケーションウォッチを手がけた彼は、フランクのもとでたちまち頭角をあらわした。彼の才能に目をつけたフランクは、やがて彼に独立の許可を与える。
2002年、フランク・ミュラー グループの新ブランドとして、「PIERRE KUNZ(ピエール・クンツ)」が創業。「レトログラードの魔術師」として、彼の名は広く知れわたるにいたった。
シルマケスもまた、広い人脈をもっていた。そのひとりにロベルト・カルロッティがいる。フランク・ミュラーのイタリア代理店をつとめた彼は、優れた審美眼の持ち主だった。彼のデザインセンスと、ウォッチランドのケース製造技術がミックスされたのが「ECW(ヨーロピアン・カンパニー・ウォッチ)」である。00年創業のECWは、個性的な時計づくりを行うブランドして、ウォッチランドのなかでも異彩を放っている。
ケース技術を得手とするウォッチランド。そのノウハウの集大成ともいうべきブランドに「CVSTOS(クストス)」がある。創業者はサスーン・シルマケス。ヴァルタンの息子だ。フランク・ミュラーなどで培ったケースづくりの技術が、その複雑な3Dケースに投じられている。
フランク・ミュラー・グループ、その未来
優れたウォッチメーカーであるフランク・ミュラーと、優れたケースメーカーであるヴァルタン・シルマケス。両者があってこそ、いまのウォッチランドの成功はもたらされた。
その拡大はこれからも続く。06年、「RODOLPHE(ロドルフ)」と「BARTHELAY(バルトレー)」がウォッチランドに参加。07年には「BACKES & STRAUSS(バックス&ストラウス)」、「MARTIN BRAUN(マーティン・ブラウン)」などが参入。08年には新ブランド「CHRISTIAN HUYGENS(クリスティアン・ユゲン)」、「PIERRE MICHEL GOLAY(ピエール・ミシェル・ゴレイ)」も立ち上がった。
瞬く間に拡大してきたフランク・ミュラー グループ。自社製ムーブメントも完成し、いよいよ一大時計グループとして時計業界に乗りだそうとしている。