Diary-T 211 ざわついている。
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2015年4月15日

Diary-T 211 ざわついている。

Diary-T

Diary-T 211 ざわついている。

文・アートワーク=桑原茂一

背後から女の声がした。
気のせいか…どうもさっきから心がざわついている。
それにしても、さっきから聞いてるこのRadio局の選曲はなかなかいい感じだ。
セルビアのラジオの選曲がいいなんて、どんなにうれしい時代だ。
つまりさ、選曲で、その街のことが分かるというもんだ。
Mi Swing Es Tropical Quantic & Nickodemus
随分前にPIRATE RADIOで回した曲じゃないか、
セルビア Serbiaだぜ。うん?
いったい俺がセルビアのなにを知ってるっていうんだ。
ブルドーザー革命 [編集]

詳細は「ブルドーザー革命」を参照

2000年10月5日、ユーゴスラヴィア連邦共和国大統領スロボダン・ミロシェヴィッチが退陣した。そのさいの一連のデモ活動はその後に続く暴力を伴わない革命の最初の例とみなされることが多い。しかしながら市民が原動力となって投票を促す運動が起こり、また野党が連帯したという点では、それより以前である1998年のスロヴァキアや2000年のクロアチアでの議会選挙で見られた動きである。全国規模の抗議行動においては色などの特定のシンボルは用いられなかったが、事後に抗議行動の完遂を祝して使われたスローガンにゴトブジェ(セルビア語で「奴は終わりだ」の意)がある。ところが共通点は多々あるものの、一連の「色の革命」の始まりはグルジアの事例であるとする意見が多い。ただセルビアでのデモ活動では学生組織オトポール!(セルビア語で「抵抗!」の意)が中心となっていたが、そのメンバーは後の他国における革命に関与していった。

ユーゴスラビアは、ユーゴスラビア解体に伴って発生したクロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争への公式な関与は中止しており、セルビアは平和を保っていたものの、経済制裁が続いて経済は疲弊した。政権内外の民族主義者は民兵組織を作るなどして紛争への関与を続けた。

1995年に両紛争は終戦を迎えたものの、1996年ごろからコソボのアルバニア人の民族主義勢力コソボ解放軍を中心に、コソボの独立を求めての武力闘争を始めた。これによってコソボ紛争が引き起こされ、1999年の北大西洋条約機構による爆撃に至った。これにより首都ベオグラードが米軍を主体とする北大西洋条約機構軍による激しい爆撃に晒される。1999年以降、セルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州からはセルビアの統治権が排除され、国際的な監視下に置かれることになった。

ユーゴスラビア崩壊以降の経済的苦境や、各種の紛争での敗北により、セルビアで強権を握っていたスロボダン・ミロシェヴィッチに対する不満が高まり、ミロシェヴィッチは2000年に失脚した(ブルドーザー革命)。

セルビアとともにユーゴスラビア連邦を構成していたモンテネグロでも1997年ごろからミロ・ジュカノヴィッチを中心に独立要求が強まったため、EUの仲介により2003年にはユーゴスラビア連邦は、より緩やかな国家連合であるセルビア・モンテネグロに移行した。人口比で大幅にセルビアを下回るモンテネグロの政治的権限を大幅に拡大し、3年後の2006年以降再びモンテネグロの独立を問う事が出来る事を条件にして緩やかな連合国家に変更された。

セルビア共和国(セルビアきょうわこく)、通称セルビアは、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家。かつてのユーゴスラビアに属した地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国であった。

首都ベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで、一貫して連邦の首都であった。

2006年6月3日のモンテネグロの分離独立に伴い独立宣言をした。

色の革命(いろのかくめい、英:Color revolutions)、または花の革命(はなのかくめい、英:Flower revolutions)とは、2000年ごろから、中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で起こった一連の政権交代を総体的に指す。一部では革命の波とも表現される。

色の革命では、腐敗が蔓延し、あるいは独裁的である政権に立ち向かったさい、または民主主義や民族自決を求めたさいに、そのほとんどで非暴力的活動が行われ、これらの動きにおいてはその象徴として色や花が当てはめられた。色の革命では、非暴力抵抗を実行するという点において非政府組織 (NGO) や、とくに学生運動が重要な役割を果たしたことが特筆される。

これらの動きとして挙げられるのは、ユーゴスラヴィア、とくに2000年のセルビアにおけるブルドーザー革命や、2003年グルジアのバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命、そして暴力が多く用いられたが、2005年キルギスのチューリップ革命がある。いずれも問題とされていた選挙の結果を受けて大群衆が街頭で抗議行動を実施し、反体制派から独裁者とされていたそれぞれの国の指導者の辞任や打倒につながった。

一方で、それらの運動の背後では“独裁・圧政的な政権”に対する“民主化ドミノ”(=政治体制親米化)を起こさせたいアメリカ合衆国国務省の存在が繰り返し囁かれている。

色の革命 - Wikipedia いつもありがとう。

dakara,さっきから、ざわざわしている。心がさ。
でも、どうしょうもないんだよ。
でも、生きてるって、そういうことだろう。
Just like a music だってよ、そうラジオが歌っている。
あすも生きてると良いよな、みんながさ。
俺も、生きていたいよ。まだやりたいことがあるからさ。
heyheyhey,そうやって自分を励ますのだよ。
死んだ奴の、分迄、生きてやるんだよ、って。
それが、それが、Just like a music…
音楽が好きってことは生きてるってことだろ、
そうか、Heart Beat Radioって泣かせるラジオ局名じゃないか。
Enjoy your life ! joyjoyjoyjoyjoyjoy…
書けないんじゃなくて、書きたくなかったんだな、

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