特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.4 南後由和インタビュー

特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.4  南後由和インタビュー

OPENERS的ニッポンの若手建築家

Vol.4 南後由和インタビュー(1)

いま必要とされる建築家像をめぐって

建築は都市を覆い尽くし、われわれの身体のなかを流れる血や肉とおなじように、生活のすみずみにまで浸透しているものだ。だがこれまで一体どれだけのひとが、社会における建築の在り方や、そのつくり手である建築家像について、体系だて研究し、横断的に考察を重ねてきただろうか? 社会学者の南後由和氏は独自の視点から都市と建築の両方を、歴史を根拠に考察する。いま求められているのは、時代も場所も越境する広範な視点をもち、社会と建築を取り結ぶ存在だろう。今回は社会学者の南後由和氏に、いま求められる建築家像について聞いた。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

自分であると同時に個人を超えた視点

──南後さんの社会学者としての建築家や建築への同時代的な視点について、今回ぜひお話をうかがいたいと思いました。社会学が扱うものとして歴史、ひと、経済などがあると思うのですが、南後さんにとってなぜ建築であり、建築家だったのでしょうか?

最初から建築や建築家を研究対象としたわけではなくて、もともとは、大きくマスメディアや都市に関心があり、社会学を選びました。自分であると同時に自分を超えた集合的な現象に興味があったからです。

おっしゃるとおり、社会学が扱う対象の範囲は広大です。社会学には、都市社会学、法社会学、教育社会学、医療社会学など、さまざまな分野があります。建築家にコルビュジエ、ミース、ライトなどの巨匠がいるように、社会学にもエミール・デュルケム、マックス・ヴェーバー、ゲオルグ・ジンメルなどの巨匠がいて、学部時代の授業ではそれらの古典ばかりを読まされました。いまとなっては貴重な経験でありがたく思っていますが、当時はあまりおもしろいと思えませんでした(笑)。

けれど卒業論文は、自由に好きなテーマを選択することができました。そこで卒論は、もともと都市に興味があり、ちょうど『空間の生産』という本の邦訳が出たということもあって、フランスの思想家であるアンリ・ルフェーヴルの都市・空間論が、都市社会学、地理学、メディア論などにあたえた影響を探るという学説史的なテーマで書きました。

都市論から建築へ

伝統的に都市社会学といえば、1920年代にアメリカのシカゴ大学を中心として形成されたシカゴ学派を指します。簡単にいえば、シカゴ学派の都市社会学の特徴は、東京都なら東京都、文京区なら文京区という、一定の地理的範囲内の人種・民族、社会解体、逸脱行動などの事象を主にフィールドワークによって観察・調査することにあります。それに対して、60年代後半の主にフランスにおいて、それまでの都市社会学を批判的に乗り越えようとする新都市社会学と呼ばれる潮流が出てきました。いわば、シカゴ学派の都市社会学が出来事の容器として都市を扱いがちだったのに対して、新都市社会学は、それを批判し、都市を住宅、交通・輸送、教育、福祉などの集合的消費のプロセスと捉えて、都市計画が抱えるさまざまな矛盾をあきらかにしようとしました。そもそも都市という空間的枠組み自体を疑おうとしたのです。ルフェーヴルは、このシカゴ学派の都市社会学から新都市社会学への展開に大きな影響をあたえたひとです。

たまたま本屋で目にして購入したのですが、僕にとって『空間の生産』との出会いは、都市論から建築に入っていく契機にもなりました。僕は社会学の都市論をバックグランドにして建築に入ってきたので、建築系のひとたちと議論しはじめた当初は、建築だけを考えているというか、都市と建築を分けて考えるということを不思議に感じていました。新都市社会学の都市という空間的枠組みに対する問題意識とおなじように、建築という空間的枠組みは自明ではないと思っていましたので。

──個別の建築をテーマにした社会学というものは、いまだに確立されたものではないのですか?

都市社会学というのはすでに制度化されたものとしてありますが、「建築社会学」という分野は、まだ確立されていません。

社会学は個別なものより、どちらかというと集団や集合を扱う学問です。ですので従来の社会学は、建築を扱う場合でも、個別性の高い、作品としての「建築」というよりも、ハウスメーカーなどによる「建物」の群に着目してきました。実際に、街中に建っているもののほとんどはアノニマスな建物であり、いわゆる建築家が設計した建築は稀です。その希少性が価値とされてきたわけですが。

──自分たちの身のまわりを見渡してみても、見慣れた街並みの風景を構成しているほとんどの建物は、マンションなどの集合住宅や、戸建ての建物にしても設計者が匿名的な建物ばかりです。

街に建っている建物の9割以上が、匿名的な建物ですよね。建築に詳しいひとにとっては作品としての「建築」が図で、匿名的な「建物」が地でしょうが、一般のひとにとっては図と地の関係はフラットというか、むしろ後者の「建物」のほうが社会にとっての「リアリティ」としてあるわけです。それで社会学においては建築を扱うにしても、戸建て住宅と集合住宅とにかかわらず、住宅の間取り図の変遷や、そこでの家族形態の移り変わりなど、住宅の歴史社会学が主流を占めてきました。

建築家|南後由和 02

Constant Nieuwenhuys「New Babylon」(Gemeentemuseum Den Haag) Photo by Yoshikazu Nango

建築家|南後由和 03

Constant Nieuwenhuys「New Babylon」(Gemeentemuseum Den Haag) Photo by Yoshikazu Nango

なぜその対象に興味をもつのか

──都市論から建築に入ったというお話でしたが、具体的にはどのような経緯で建築に興味をもたれたのでしょうか?

学生時代から、建築を見てまわることが好きでした。僕が学部生の2000年前後は、ちょうど雑誌『カーサ・ブルータス』や『建築MAP東京』など、素人でも建築を「わかる」ようになるというか、わかったような気分が味わえるガイドブック的な書籍がたくさん出はじめたころでした。僕はそれらの模範的な読者でした(笑)。

一方、当時は社会学専攻の学生として、都市社会学の学説史を勉強していた時期でした。都市社会学というのは、どちらかというと「建築家なしの建築」のほうに興味があって、建築家は批判の対象として取り上げられる傾向にあります。たとえば、80年代にはポストモダニズム建築がありましたが、社会学からは難解な理論や高尚な思想を唱えて、もったいぶったことを言うだけで、実際には使いにくい「ハコモノ建築」ばかりつくっているにすぎないと揶揄されたりしていました。

社会学者という存在は、建築家が考えるような、空間が社会のあり方を規定するというベクトルとは真逆の考え方の持ち主で、むしろ建築家が考えたことがどんどん裏切られていく、意図せざる使い方や結果が招かれることをおもしろがる人種です。ですので、社会学者と建築家のあいだでは、プロレス的な批判の応酬ばかりが見られました。

そもそも、僕にはなぜ自分がその対象に興味をもったのか、ということに興味をもつという変な癖があります。自分では興味がなかったことでも、「なぜそのひとはそのことに興味をもっているのか」ということに興味がわくのです。建築にかんしていえば、じつは高校ぐらいまでは建物から建築を区別するまなざしすらもっていなかったのですが、そんな自分が、なぜ建築に興味をもつようになったのかということ自体に興味がわきだしたというわけです。

それはメディア環境の変化と無縁ではありません。これも、自分であると同時に自分を超えた何ものかや、自分もそこにふくまれた集合的現象への関心の一例になるかと思います。そして、文化資本として消費される「建築」やメディアをつうじて消費される建築のイメージ、あるいは建築と建物の差異が存在していることも社会の「リアリティ」であり、社会学の研究対象に十分なるのではないかと考えるようになりました。

──それはまさに社会学的なアプローチですね。建築は単体でも建築独自のスケールや、都市的なスケールをもち、人間のスケールとは異なる大きさがあり魅力的だと僕も思っています。

社会学の特徴のひとつに、鳥の眼と虫の眼というか、ミクロとマクロというか、普段僕らが営んでいる日常生活をさまざまなスケールの重層性のなかで捉えていくアプローチがあります。もうひとつの社会学の特徴に「常識くずし」というものがあります。世の中で常識や当たり前とされていることを、本当にそうなのか、と疑ってみる姿勢です。

そもそも建物と建築はどうちがうのか、建築士と建築家はどうちがうのかは、社会的には曖昧なまま流通している。その曖昧なまま流通しているものを曖昧なまま放置するよりも、そこの境界線がどうあるのかを考えたい。先ほども触れたように、建築界でいわれている建築の枠組みは、自明なものとされがちですが、それをさまざまな角度から解きほぐしていきたいというモチベーションがあります。

──南後さんのようなスタンスで社会学に取り組むことは、主流のひとつとなりつつあるのでしょうか?

いや、正統的な社会学者のひとから見れば、異端なほうだと思います。いま僕がいる情報学環・学際情報学府も、べつに社会学の本流ではなく、むしろ学際領域の研究をしている研究者や学生が集まっています。僕はわりと学際ということを真面目に引き受けて学生時代を過ごしてきたところがあって、ある確立された専門を長年研究してきてからの学際ではなく、学生のころから学際をデフォルトとしてきたのが上の世代とちがうところです。

正統的な社会学のひとたちにはできない実験的なことをやりつつも、社会学のアカデミックな系譜に貢献し得る仕事もしていきたい。また、異分野との関係において自分のモノサシが繰り返し相対化されることに耐えつづけなければならないですし、安住の地がないので体力がいることですが、こればっかりは動きながら考えつづけるしかないと思っています。学際領域って、身を落ち着けることのできる場所としてではなく、つねに途上にあるというか、可能性に向けて開かれた地平のようなものだと思っています。

僕が社会学を学びはじめたのは2000年前後ですが、当時はカルチュラル・スタディーズという分野が出てきたり、社会学をはじめ、地理学、メディア論、表象文化論などの知見ももち、領域横断的に都市論の仕事をされているひとたちが何人かいました。

──ではそのころ、建築と社会学は人文系のカルチャーのなかで、自然に結びついていた、という感じだったのですか。

雑誌では、『10+1』がそのようなひとたちが寄稿する媒体の典型で、自分の指導教員である田中 純先生をはじめ、若林幹夫さんや吉見俊哉さんなど、同誌に寄稿されていた方がたの仕事に触発されるところが大きかったです。

僕は、もともといわゆる社会学ど真ん中というよりは、「際(きわ)」と呼んでいますが、そういう境界領域をウロウロしつづけています。建築にかんしても、建築そのものというよりも、建築とメディアの関係、たとえば、建築を雑誌や写真との関係で考えるとか、そういう関係性の学問としての社会学をとおして建築を捉えてきました。

敷地でいえば、地域、東京、日本、あるいはもっとグローバルで多層的なスケールの関係性のなかで重層的に考えていく視点というか。

──南後さんがおっしゃるジャンルを越境していくような感じというのはよくわかります。そこに僕は、情報化社会以降における同時代的な問題意識を感じます。

僕自身は建築家でも社会学者でもないのですが、都市というものを僕なりに考えたときに、家や家族といった身近なスケールから、それが町になって、その集合が都市になったりと、意識や空間が、扱う規模やその関係性によって少しずつ拡張していく感じにリアリティをもちます。

誰にとっても自明であり、かつそれゆえに曖昧でもある都市や建築のようなものに対して、南後さんがそれをどう読み換えていくのかとても興味があります。南後さんが都市に興味をもつようになった背景にはどんなことがありましたか?

僕は大阪の郊外のニュータウンで育ちました。都市もそうですが、「ニュータウン」って外から見るひととそこにいるひとにとってかなりちがいがあります。典型的な「郊外ニュータウン批判」のイメージってありますよね。

──ありましたね。新興住宅街ということで、土地に歴史がないゆえに、住民同士の関係性が希薄で無機質、少年犯罪が多発しているというようなイメージです。そのように批評される背景には、おなじような街並が広がっている、ニュータウン独特の均質な風景があると思います。

でも、一概にはそうとは言えないんですよね。基本的にはニュータウンとは土地があたらしく切り開かれた上に造成された街なので、そこの住人というのは、ニュータウン完成とともに、ある時期一斉に入居してくる。僕の出身は電車の駅が3つある、大阪で2番目に大きなニュータウンでした。近所の親同士も子ども同士もほぼ同世代です。そうすると地域の子どもたちが集まる子ども会やお祭りがあって、親同士も付き合いが密になり、近隣のコミュニティがしっかりと築かれていきます。

そういう人間関係が濃密なところで暮らしていると、ニュータウンから都市に遊びに行くとあきらかに普段生活している場と空気がちがうわけです。いつもは“匿名・顕名”でいうと顕名な人間関係のなかで生活しているわけですが、都市に行くと匿名なひとたちばかりなのに、活気あるアクティビティが形成されている。知らないひと同士のあいだでコミュニケーションが成立していて、そこに高揚感を憶えるのはなぜなんだろうと疑問に思いました。ここでもまた、自分が都市に魅かれるのはなぜなんだろうということ自体に興味をもっていたわけです。

──ニュータウン独特の地形や地理については何か感じたりしましたか?

ニュータウンの多くは、都心と郊外を結ぶ鉄道の駅を中心として街が広がっています。10代のころから、その電車のなかから見える風景として、工場地帯があったり、仁徳天皇陵の古墳があったり、時代も背景もばらばらなものが同時に存在することによって、街とか都市ができていることがおもしろいと思っていました。

──本来そういった時代性というものは、地層のようにレイヤー(層)になって見えてくることが普通なのに、ニュータウンが都心から少し離れたところに造成されるがゆえに、それが都市との境目に交通手段などを使って移動するたびごとに、あたかもテクスチャーのように顕在化していくという。

そうですね。

──その身体的な体験は社会学者としての南後さんの実践的な考え方に繋がっていると思いました。そこにリアリティがある感じがしますね。