坪井浩尚「デザインの理」

連載・坪井浩尚|第一回 「視座」

連載・坪井浩尚|第一回 「視座」

第一回 「視座」視座とは、物事を見る姿勢や立場、カメラの画角のようなものである。文=坪井浩尚身体という乗りものを、ドライブしている感覚今回掲載する2枚の画像はスケールも素材もまったく異なるが、それぞれ相似の構造として、この画角のなかに立ち上がる表象には別段、差がないように感じられる。当たり前のようだが、僕たちは頭から足先までの輪郭を自分自身の単一のユニット(物差し)としてこの世界を認知している。身体という乗りものを、ドライブしている感覚が意識として立ち上がることがそうさせる理由かもしれないが、意識を離れてその画角を疑えば、目に見えないほどの細胞のひとつひとつや宇宙のような広い世界、はたまた『アバター』や『マトリックス』のように実体のない世界であっても、どのようにフレーミング(認識)するかによって、僕たちはまったく別世界の住人にもなることができる。「私」という意識から、気づきへ仏道の修行をしていた2004年のある日、こんなことを考えたことがあった。葉っぱ一枚一枚を人間の一人と仮定する...
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