ナパ・ヴァレーのイノベーター ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズの現在|EAT
LOUNGE / EAT
2024年4月22日

ナパ・ヴァレーのイノベーター ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズの現在|EAT

EAT|ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズ

カリフォルニアワインのアイコンの選択

『インシグニア』で知られるカリフォルニア、ナパ・ヴァレーを本拠地とするワイナリー「ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズ」が先だって「ブランドショーケース」と名付けたイベントを開催し、ワイナリーのプレジデント デイヴィッド・ピアソン氏が来日した。

Text by SUZUKI Fumihiko

ワインの値段

先だって、たくさんのワインを試飲しているなかで、素晴らしいワインに出会った。その味や香りといった要素と同じくらい、それが傑出していたのは、2,700円という価格だった。もしも、このワインがもっと高かったら、場合によってはもっと安くても、私はその場にあった50種類以上のワインのなかから、この一本に注目することはなかったと断言できる。この価格の商品として、造り手は出来ることを緩みなくして、他者がそう易易とは到達できない高みに到達した。その挑戦と成功を感じて「ここまでやるのか」、「ここまで出来るのか」と感銘を受けたのだ。
色、香り、味わい、生まれた土地、生まれた年……たしかに、そういったものはワインを評価する重要な要素だけれど、私はワインの価格はそれらと同じくらい、ワインを決定づける重要な要素だと考えている。
先だって、ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズのプレジデント デイヴィッド・ピアソン氏が来日して開催された、ブランドショーケースと名付けられたイベントにて、希望小売価格 53,000円(税別)の『インシグニア』というワインを味わう機会に恵まれて、私は、その2,700円のワインで感じたことを思い出した。
もちろん、ワイン通であればジョセフ フェルプス ヴィンヤーズの『インシグニア』という名前だけで、それが世界のワインの頂点のグループに入るワインだと理解するし、この円安時代にあって、それがまだこの価格で買えることに、一種の企業努力を感じるかもしれない。ただ、私が言いたいのはそういうことではない。
この時、私と同じテーブルについていた人たちは、同時にサーブされた『カベルネ ソーヴィニヨン 2021』と『インシグニア』を比較して、『カベルネ ソーヴィニヨン』の方を高く評価していた。それは、十分に理がある意見だと思う。タニックな渋味の後ろに、完熟した甘いブドウ、それを追いかけて現れる明確な酸味。凝縮した液体の充実感。『カベルネ ソーヴィニヨン 2021』はワインだけでも見事なものだったし、この時にサーブされた、赤身肉との相性も抜群に良かった。
とはいえ、それをもって『インシグニア』と比較して語ってしまうのはちょっと違うとおもう。
『カベルネ ソーヴィニヨン 2021』は16,000円。それと53,000円の『インシグニア』は、そもそも目指しているものが違うからだ。

高級ワインの条件

『カベルネ ソーヴィニヨン 2021』は、人生の色々な場面を明るく、楽しく、思い出深いものにしてくれるはずだ。ああ、あのときはあの人と一緒に、あんなものを食べて、素晴らしいひとときだったな、と、そんな時間をくれるであろうワインだ。実際、その力は、今回のイベントのテーブルでも発揮されていたとおもう。
一方『インシグニア』は、そもそも、気安くグラスに注いでいいような類のワインではない。苦労して手に入れ、人生のうちにそんなにたくさんはない、特別な時、少なくとも、じっくりとワインと向き合える時に心を決めて開栓する、そういうワインだ。
興味深いのは、デイヴィッド・ピアソン氏が『インシグニア』が属する高級ワインの条件をイベントで定義していたことだ。それを引用するとーー
・時間の経過とともに価値が上がり、第2次市場で取引される
・世界的に認知され、求められるブランドである
・熟成能力が認められる
・生産量に限りがあり、需要が生産量や販売数を上回っている
・ワイン評論家によるレビューやコメントで評価される
・長年にわたり一貫した地位を築いている
となる。
ワインが美味しいとか、食事に合うとか、そういう要素は語られていない。
『インシグニア』の名誉のために言っておくと、このときに私が味わった『インシグニア』 2019年ヴィンテージは、世界最高峰のワインにふさわしいものだった。
このワインはそもそもがカリフォルニア初のボルドーブレンド(プロプライエタリー・レッド)として1974年ヴィンテージが1978年に発売され、いきなり専門家の高評価を獲得した、という背景を持っている。ワインの歴史上重要なカリフォルニアワインがフランスワインを超える評価を獲得した事件「パリ・テイスティング」が1976年だから、同時期に、カリフォルニアでカベルネ・ソーヴィニヨンを中心に、ボルドー品種をブレンドするというスタイルを高度に成立させた歴史的存在だ。
2019年ヴィンテージもカベルネ・ソーヴィニヨン、プティヴェルド、マルベックをブレンドしたボルドーブレンド。そう言うと、ぐっと重く渋いワインを想像するかもしれないけれど、もはや高級ワインの一典型としてのカリフォルニアワインの歴史も50年近い。『インシグニア 2019』はその最先端として、カリフォルニアならではの独特な価値観を維持しながら、エレガンスという現代のトレンドも取り込んでいる。
もちろん、それでもこのワインが目指している姿からすれば、まだ荒い。10年、20年、30年と経過すれば、このワインはまさに絹のような滑らかさを重層的に獲得し、ワインが生まれた時の風景と人の営みを物語るだろう。
ただ、そういうワインの上質さだけでは、20年後、30年後に登場する新しい『インシグニア』が圧倒的な高価格を納得させるだけでなく、それ以上の値段であっても『インシグニア』が欲しいと思わせ続けるには、やや足りないはずだ。やはり高級なワインはブランドとして、それを飲んだことのない人にも尊敬され、伝説を再生産し続けなくてはならない。高価格は、そういうものであるというブランドのステートメント、あるいはワインだけではない総合的な価値の保証なのだから。

イノベーターからラグジュアリーブランドへ

ジョセフ フェルプス ヴィンヤーズが実践する再生農法と呼ばれる、微生物や真菌も含めた、生態系をブドウ畑内外で安定させ、土壌を健全に保つ農業は、もちろん優れたワインを造り続けるためではあるけれど、ブランド価値のひとつでもあるし、今回のように、ワインとともにデイヴィット・ピアソン氏が直々に日本にやってくるのは、その複合的な価値を伝達するためだ。そして、もしもあなたがワイナリーを訪れるのであれば、決して、このワイナリーは大切なゲストをがっかりさせるような真似はしないだろう。
ところで、一族経営が基本のカリフォルニアワイン産業において、デイヴィット・ピアソン氏がフェルプス姓でないことには疑問を感じるかもしれない。いや、あなたはこの人物が、かの「オーパス・ワン」のCEOとして15年以上にわたり、毎年日本にやってきていたことを知っているかもしれない。
実はジョセフ フェルプス ヴィンヤーズの創業者 ジョセフ・フェルプスの子供たちは、2005年にこのワイナリーを継いだのだけれど、2022年9月、創業50周年を前に、LVMHグループの傘下に入ることで、このワイナリーを存続させることを決断したのだそうだ。
ジョセフ・フェルプスは『インシグニア』によってボルドースタイルのワインをカリフォルニアに生んだだけでなく、同時に初めてシラーでワインを造り、1999年にはソノマコーストにピノ・ノワールとシャルドネを植えて、現在のトレンドの先鞭をつけた人物だ。こういうカリスマ的求心力をもったイノベーターの後には、企業はその価値を、組織として維持・発展させるフェーズを迎えるものだ。そういうときに、一族が一族経営にこだわらないというのは、カリフォルニアワインとしてはまだ珍しいかもしれないけれど、世界的な高級カリフォルニアワインの価値を考えれば、それほどおかしなことにはおもえない。
むしろ『インシグニア』は、今後、新作が発表されるたびに、今以上に多くのワイン好きが、ワインセラーに入れておきたいと願うワインの定番になっていくのではないだろうか?
                      
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