Life is Edit. #005~本当の友情って、何だろう?~
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2015年4月28日

Life is Edit. #005~本当の友情って、何だろう?~

島田 明|Life is Edit.

#005 EWAN × PARK 本当の友情って、何だろう?

ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。

文と写真=島田 明

ずっと一緒にいたって、分かりあえないことがある。10年に一度の、一瞬の出会いにだって
分かりあえることがある。フォトグラファー M.S.PARK(パーク)とデザイナー EWAN(ユアン)と久ぶりに出会い、
深夜、蕎麦をすすりながら、ふと考えた――本当の友達って、なんだろう???

銀座での撮影から約17年ぶりのオトコ3人、真面目トーク

10年ひと昔といいますが、その昔の記憶も薄れがちな17年前。しかしながら、そのときの撮影風景は何故か
いまでも鮮明に覚えています。当時、雑誌『メンズクラブ』に在籍していた私は”TOKYO IVY”という
テーマで、PARKをはじめて起用してのシューティング。そのとき、同様にはじめて起用したモデルがEWANでした。

当時、PARKはモータードライブという連続的にシャッターを切る、ライブ感溢れる写真で人気を獲得
していたフォトグラファー。一方、EWANもポパイやメンズノンノで活躍していた、まだあどけなさが残る
18歳の人気モデル。この個性的なふたりに、いまや俳優としての地位を確立した竹野内豊、そして映画監督の
岩井俊二氏に、その後、俳優としての才能を見い出された橋爪浩一(故人)など、まさに綺羅星のような
若い才能たちが集まり、いまから思うと夢のようなあつ~い撮影現場でじつに楽しかったのを鮮明に覚えています。

初めて訪れたEWANの事務所にて。最近、PARK(左)はアシスタントなしで自分でフィルムを詰め、露光を測り、すべて自分で撮影をしているとか。
EWANもスタッフ3名で服のデザインから発送、プレス、店舗デザインまでこなしているそう。人はシンプルになってこそ自分というものが分かるものだ。

私も20代でしたから若気のいたりでイケイケ・ドンドンな撮影を(笑)。数寄屋橋交差点の真ん中にEWANと竹野内ふたりを立たせ、遠くから望遠レンズで狙ってみたり、月島のもんじゃストリートで地元の魚屋さんやもんじゃ屋さんのオジさんたちに冷かされながらの撮影は、もちろんすべて撮影許可なしで(笑)。
あの当時はまだ街も人も撮影に関して寛容な、いい時代だったのかもしれません、いまから振り返ってみると……。

あれから17年の月日が流れ、PARKと私は40代半ば、そしてEWANは30歳に。
すっかり大人になった?3人でしたが、全然、変わっていなかったんですね、”芯=心”の部分は。
いまなお彼らに”熱い”ものを感じて嬉しかった。

ときに迷う自分に、的確なアドバイスをくれるPARKという存在

まるでインディアン(失礼)のような風貌のPARKは
ロサンゼルスで黒人に囲まれてもニコニコ顔で”「YO!」と声をかけるじつにピースな奴なんです。

私にとってM.S.PARKという存在は、仕事やプライベートで悩んだとき、ある種の指針をしっかり標してくれる貴重な友人のひとり。と同時に、彼には写真という天賦の才能があります。しかしながら、私と彼との仕事は17年間で10回も満たない。それは、彼のもつ才能がフルに発揮されるのは、彼を自由な状態にさせて撮影したときに開花するものであることを、長い付き合いのなかで私自身が感じているからです。ファッション撮影という規制の多いなかでの撮影は彼にとっては窮屈、これが私の結論。
そんな彼と出来た数少ない自由な?仕事のなかでの思い出深い撮影が、6年前のドイツ・ドレスデンへの取材旅行、高級時計メーカー、ランゲ&ゾーネのタイアップ取材でした。一般的に時計取材というものは高価な時計をシッカリと撮影できる物撮りカメラマンを帯同するのが常套。しかし、ありきたりのページにしたくなかった私は日本の広報担当者に「時計は撮れないですが、人を撮らせたら日本一?上手いカメラマンに撮影させてくれませんか!」と懇願。晴れてお許しが出たふたりは真冬のドイツ・ドレスデンへ向かい、第二次世界大戦の傷痕残るドレスデン市内、そしてランゲの工場を取材したのです。

いっこうに時計を撮影しない私たちに、通常の日本のカメラマンの勤勉な撮影スタイルに慣れているドイツ人スタッフは、「えっ、もう終わり? 時計、撮らないの?」と、かなり戸惑ってましたっけ(笑)。
その分、余った時間は現地スタッフ、そして、そこに住む人たちと語らう食事会=宴会にあてて。
そんな感じでの自由な撮影旅行でしたが、その写真のアガりの素晴らしかったこと! 雪に閉ざされたドレスデンに住み、勤勉に働く人々、その人間味溢れる味のある顔を映し出した作品は、まさにパークの才能を世に知らしめるのに十分なものでした。
その写真は雑誌『ドルソ』に掲載後、目黒クラスカのロビーにて開催された写真展『SNOW』にまで発展。
私はイベントのディレクションを担当し、結果、フジフィルムやドイツ観光協会からもスポンサードされ、時計関係者のみならず、クラスカに集まった多くの人々の記憶に残るものとなったのでした。

なるべくしてなったEWAN、デザイナーへの道のり

EWANを巡る、いまでも忘れられない光景があります。目黒通りの家具屋『ACME FURNITURE』で偶然見かけた彼は、夕日が差し込む店の片隅で黙々と何かをスケッチしていました。覗き込むと、ノートの切れ端に書かれていたのは1本のネジのような機械の断片図。
私が「うまいね」と後ろから声をかけると、EWANは照れ笑いを浮かべていました。
その後、彼と一緒に撮影をしたのはわずかに3回。他の雑誌に比べれば極端に少ないセッションでしたが、なぜかお互いが強く印象に残る存在に。そういえば彼の進路にも一度、相談にのったことがありました。
モデルとして絶頂期を迎えていましたが、自分の将来に悩んでいたEWAN。私は、あのときのスケッチの話を例にあげ、彼にデザイナーかフォトグラファーになることを強く薦めたのを覚えています。そのアドバイスが効いたかどうかは分かりませんが(笑)、彼は自身のブランド『PLAYFORD』のデザイナーとして今年10年のキャリアを迎えることに。10年続けるって凄いことです!

シャープな顔立ちはそのままに、キックボクシングで鍛え抜かれたごっつい体。
結婚もして子供もできたけどやっぱりEWANは純粋なままで嬉しかった。

そんな彼から、突然の電話がありました。青山にリーバイスとコラボレーションした新店、ELESCOをEWANは服だけでなく内装のデザインもした、というのです。声を弾ませてEWANは「是非見て欲しい」と。その話を聞いたとき、私は、あの時の一心不乱にスケッチをするEWANの18歳の姿がフラッシュバック!!!
オープンを祝うパーティに出席した私は、約17年ぶりの再会に、彼と熱い抱擁と握手をガッチリ交わしたのでした。

歳を重ねてくると、本当の友人はできにくい、と人はいいます。
裏切られた経験からバリアがはられ、同じ轍は踏まないという危険回避、そして人は大人になっていく。
しかし、私は、その摂理にはまりたくない。

自分がただの無力な人間であることを自覚していれば、真の友はできると思う。
そして傷つくことを恐れず、本音で接していれば自ずと真の友は集まってくる。
それは年齢には関係のないこと、と私は強く思うのです。

PARKとEWAN。たった一度だけの撮影だけなのに、この一体感は何だろう?
編集者という仕事は、実は真の友人に出会うのに恵まれた仕事なんだなあ、と
このふたりに囲まれて思うのでした。
そう、彼らは仕事を通じてできた私の”親友”なんですから。

           
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