連載|気仙沼便り|12月「最新マグロはえ縄漁船・第十八昭福丸に乗る」
LOUNGE / TRAVEL
2015年5月28日

連載|気仙沼便り|12月「最新マグロはえ縄漁船・第十八昭福丸に乗る」

連載|気仙沼便り

12月「最新マグロはえ縄漁船・第十八昭福丸に乗る」

2014年4月、トラベルジャーナリストの寺田直子さんは、宮城県・気仙沼市へ向かった。目的は20年ぶりに造られたという、あたらしい漁船の「乗船体験ツアー」に参加すること。震災で大きな被害を受けたこの地も、3年の月日を経て、少しずつ確実に未来へ向かって歩きはじめている。そんな気仙沼の、ひいては東北の“希望の光”といえるのが、この船なのだと寺田さんは言う。漁船に導かれるまま、寺田さんが見つめた気仙沼のいま、そしてこれからとは? 宿をあとに港へ向かった一行。いよいよ今回のハイライト、体験乗船のはじまりである。

Text & Photographs by TERADA Naoko

復興の証しとして誕生した新生「第十八昭福丸」

ツアー2日目の翌朝。参加者は8時半に宿をチェックアウトしてバスに乗り込んだ。宿の方に見送られて玄関を出ると4月の気仙沼の寒さに一瞬、息をのむ。突き抜けるような青空の文句のない快晴だが、風は切れるほどに冷たく肌をさす。春間近といえ東北の厳しい自然環境はこのわずか2日の間で私たちにもしみ込んでいた。

バスはすぐ目の前の気仙沼港へとゆっくりと入っていった。これからこのツアーのハイライトであるマグロ遠洋はえ縄(なわ)漁船「第十八昭福丸」に体験乗船するのだ。

バスを降りると岸壁にどっしりと威風堂々とした姿の「第十八昭福丸」が純白の船体をつけていた。所有するのは創業明治15年、気仙沼で約130年の歴史を持つ「臼福本店」。気仙沼を拠点とする漁業会社が新造船を建造したのはおよそ20年ぶりとのこと。それだけに地元でも大きな話題となっていた。

今回の体験乗船は気仙沼でもかつてない異例の出来事だ。この乗船のために臼福本店は臨時航行許可を取り、さらに一般の人たちを乗せる許可も得たという。それを実施したのが5代目となる臼井壯太朗社長だ。

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気仙沼の漁船としてはおよそ20年ぶりの新造船に地元の期待は高い

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今回のはえ縄漁船乗船体験を英断した臼福本店社長・臼井壯太朗氏

2011年3月11日の震災で臼福本店も社屋が全壊しただけでなく、仕事仲間たちを失った。喪失感の中で臼井社長は食の大切さ、エネルギーの大切さ、人のつながりの大切さを考えたという。震災をきっかけに多方面の人たちとのつながりも感じた。被災地だけの復興でなく漁業の復興こそが日本全体の復興へとつながる。そのカギが気仙沼や東北の第一次産業の復興であると考えたのだ。

そのため多額の費用をかけて新しい漁船を復興の証しとして作ることを決意。誕生したのが「第十八昭福丸」だ。

総トン数439トン。作業灯にLEDなどを取り入れるほか、ウォシュレットのトイレ、Wi-Fi完備など長期で漁をする船員たちが快適に作業・生活できるハイテク環境を「第十八昭福丸」は最大限に取り入れている。

ご存知の方もいるかもしれないが、漁船に女性は乗れない。漁船には「船霊(ふなだま)」という神様をまつるのが漁師たちの習わしになっている。そして船霊さまは女性だといわれている。そのため別の女性が船に乗ると船霊さまが嫉妬をし、荒天や事故などの疫禍を起こすとされ忌み嫌われている。そのため漁船に女性を乗せることはない。

しかし、今回は私も含め、ツアー参加者の中に女性たちも多い。さらにこの体験乗船は2日間にわたり気仙沼の子どもたち、市民を含め240名が乗船している。新造船のため船霊さまをお迎えする前ということも理由だったそうだが、縁起を大切にする漁業文化の因習を崩してでも今回の体験乗船をおこなった臼井社長の一歩前へと進む意志の強さと気迫を感じずにはいられなかった。

海への感謝の気持ちを形に

ライフジャケットを渡され、身につけたあと、乗船ははじまった。女性を受け入れない漁船内に入るということで少し緊張する。あたりまえだが客船クルーズとは様子はまったく異なる。板張りの甲板デッキは作業をするためのスペース。足元にはマグロを入れるための冷海水タンク。船体中心には広大な凍結室。「第十八昭福丸」は高速冷凍が可能なハイスペック凍結室を備えマイナス60℃の超低温冷凍技術で鮮度を保ったまま保冷するという。

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エンジンルームなど真新しい「第十八昭福丸」の心臓部も見せてもらった

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女性厳禁の漁船のデッキも、この日は和気あいあいと笑顔が飛び交う

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船頭の部屋の奥に鎮座する神棚

操舵室、機械室、船員たちの個室、食堂、風呂場などの設備を見ながらこの空間での生活を想像してみる。船頭室はソファなどが配置され広い。奥にまっさらな神棚が見えた。まだ船霊さまはいらっしゃらないとはわかっていたけれど礼をしてそっと手をあわせ、乗船への感謝とこれからの航海と船員のみなさんの安全を願う。

震災後の復興はもちろんだが、日本の漁業を取り巻く環境は厳しい。太平洋クロマグロなど資源量の大幅な減少、漁業後継者の減少、日本人の魚を食べる割合の変化など自然・社会環境などは劇的に変わりつつある。さらに200海里漁業水域によって漁獲量も減ってきている。日本の漁業生産量は1984年の1282トンから2012年の486トンと激減(※雑誌『ウェッジ』2014年8月号参照)。ヘルシー嗜好、日本食の世界的なブームの中にあり、実に皮肉な現実だといえる。

そんな中で長い航海をしておいしい魚を私たちの食卓に届けてくれるのが漁業者たちだ。乗船中、船員のみなさんから操業の大変さ、過酷さを聞かせてもらった。なんと長さ150キロにもなるはえ縄を海に入れる作業に5時間以上、数時間仮眠をして今度は縄の上げ作業に同じく4、5時間。一度の漁を終えるまで十数時間の過酷な作業が続くという。それが数カ月から1年近く。荒天時も多々あるだろう。漁業に従事する彼らがいるから、安定して良質な魚を食べることができるのだということにあらためて気づく。

「獲るだけでなく自らが水産資源を増やす努力をする」

臼福本社の企業理念だが、これは臼井社長の想いそのものだ。理念実現への一環として、洋上で人工授精をおこない放流する「洋上授精放流」にも積極的に取り組んでいる。天然マグロ資源の維持、回復に繋がることが恵みを与えてくれる海への感謝の気持ちだという。また、臼井社長は「気仙沼の魚を学校給食に普及させる会」というプロジェクトでもっと子どもたちに魚を食べてもらいたいと「食育」もおこなっている。

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乗船しながら日本の漁業の現状、気仙沼の復興について思いを語ってくれた

私もこのツアー体験後、スーパーで手にする魚の産地を常に気にするようになった。レストランで味わうシーフードもどこから来たのかと考える。限りある資源だからこそ適切な生産ルートであるものを選び、ありがたく食べたい。一食をいただくごとに漁師のみなさんと豊かな海への感謝の気持ちが湧き上がってくる。

約1時間の見学と乗船を終えて再び港に着岸した「第十八昭福丸」。このツアーからおよそ2週間後の2014年5月3日に気仙沼を初出航し、マグロを求めて世界の大海原へと航海をはじめている。

今はどのあたりにいるのだろうか。今もふと、そう思うときがある。

寺田直子|TERADA Naoko
トラベルジャーナリスト。年間150日は海外ホテル暮らし。オーストラリア、アジアリゾート、ヨーロッパなど訪れた国は60カ国ほど。主に雑誌、週刊誌、新聞などに寄稿している。著書に『ホテルブランド物語』(角川書店)、『ロンドン美食ガイド』(日経BP社 共著)、『イギリス庭園紀行』(日経BP企画社、共著)、プロデュースに『わがまま歩きバリ』(実業之日本社)などがある。

           
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