モエ・エ・シャンドン モエ アンペリアル150年アニバーサリー(1)| MOËT & CHANDON

モエ・エ・シャンドン モエ アンペリアル150年アニバーサリー(1)| MOËT & CHANDON

モエ・エ・シャンドンとシャンパーニュの276年

MOËT & CHANDON|モエ・エ・シャンドン

モエ・エ・シャンドンとシャンパーニュの276年

モエ アンペリアル150年アニバーサリー(1)

モエ・エ・シャンドンは「世界で最も愛されているシャンパン」を自認する。それはシャンパンのカテゴリーで世界売上No.1と言われているから。モエ・エ・シャンドンはシャンパンを代表するブランドだ。それは、モエ・エ・シャンドンの本拠地、フランス シャンパーニュ地方エペルネから東に1万km弱のここ日本でも、モエ・エ・シャンドンの名とそれがシャンパンの造り手を指すことを多くの人が知っている事実からもうかがい知ることができる。ではシャンパンって何なのか? なぜ、これほど有名なのか? シャンパン代表として、モエ・エ・シャンドンの歴史を紐解きながら、あらためて、発泡性ワインの王者、シャンパンのことをおさらいしよう。きっと、シャンパンがもっと楽しくなるはずだ。

Text by SUZUKI Fumihiko(WINE-WHAT!?)

シャンパンの魔法

発泡するワインとして、今日、誰もが真っ先に思い浮かべるであろうシャンパンとはどんなお酒なのか。モエ・エ・シャンドンの話をするにあたっては、まずシャンパンの歴史からおさらいしたい。それが、モエ・エ・シャンドンの現在にもかかわってくるから。

シャンパンの起源はフランスよりむしろ、イギリスの証言に求められがちだ。というのは1670年頃、発泡するシャンパーニュ地方のワインがイギリスで好評を博したらしいのだ。

もともと、おもにピノ・ノワールというブドウから赤ワインを造っていたシャンパーニュ地方。ワインの銘醸地ではありながらも、北方に位置して寒い。今ほど温暖化しておらず、トラクターもなければ科学的栽培・醸造ノウハウもないような時代には、熟した良質なブドウを育てづらく、他の産地と比較した場合は不利だった。とりわけ、そこはワインの聖地、フランス。シャンパーニュ地方から南に200kmほど下るとブルゴーニュという強力なライバルがいる。そもそもピノ・ノワールは、16世紀にヨーロッパの気温が3-4度下がったことがあって、そのときシャンパーニュのブドウは壊滅的な被害をうけ、ブルゴーニュから樹をもらってきたのがはじまり、という説もある。

同じようにワインを造っていたら分が悪いシャンパーニュ地方のワインの造り手たちは、ピノ・ノワールを搾って白ワインのようなものを造ったそうだ。これは薄いピンクのワインで、人気を博し、イギリスにも輸出された。樽で輸出されたこのワインは、イギリスでは、ガラスのボトルに移し替えられ、コルクで栓をされたという。しかし、シャンパーニュ地方より温かいところにいくと、実は寒さで活動がとまっていただけの酵母が目覚め、完了していなかったアルコール発酵を再開してしまうことがあったようだ。

酵母は糖分を食べてアルコールと炭酸ガスを出す。普通のワインであれば、発酵時のガスは口をあけた発酵槽から抜ける。そして、発酵完了後に樽に移され、ボトリングされるけれど、ボトルに密閉されたワインで再度発酵がはじまると、ガスは逃げ場がない。かくしてガスはワインに溶け込む。こうして生まれたのが、初期の発泡ワイン、そもそものシャンパンだ、という説が、いまのところ有力だ。このボトルのなかで起こる2回目の発酵は後に瓶内二次発酵と呼ばれ、いまもシャンパン造りを特徴づける技術だ。

この独特の発泡ワイン、シャンパーニュ地方と結び付けられて、シャンパーニュのワインといえばこれ、と人気を博したものの、1600年代の後半には造り方がよくわからなかった。発泡するものもあれば発泡しないものもある、という状況で、安定生産は望めず、希少ゆえに高価。つまり、限られた人々、王侯貴族の飲み物だったという。

シャンパンをより安定的に造りたい。そう考えたシャンパーニュ地方の造り手たちは、1700年代、ボトルに入ったワインに加糖して瓶内二次発酵を確実に起こす技術、そうして発泡し、圧力が高まったせいで爆発しないボトルとコルクが飛び出さないように押さえつける麻の紐、さらに、ブドウの出来に応じてボトリング時期を調整するノウハウや貯蔵に温度が安定した地下のセラーを使用する知恵、二次発酵後、瓶内にたまる酵母が変じたものである澱を除去する技術など、いまも続く数々の発泡ワインを安定的に、美しく、おいしく造るための技と道具を生み出していく。

モエ・エ・シャンドンのセラーにて。瓶内二次発酵後、ボトルの口に澱を集める動瓶台。動とつくのは、斜めに刺さったボトルを少しずつ回転させ、澱を移動させるため。1800年代のシャンパーニュでの発明品のひとつ。現在はこの作業を自動化したものもある。

この時期のシャンパンの父というべき人物のうちで、とりわけよく知られているのがドン・ピエール・ペリニヨン。ベネディクト会の修道士で、そもそもミサで使われていた赤ワイン用のブドウから澄んだ果汁を得る技術や、ことなる産地のブドウを混ぜて使うことで品質を高める、アッサンブラージュの元となる技術を生み出したとされている。

そして、もうひとり、極めて重要なのが、フランス国王だ。ドン・ペリニヨンと同じ時代を治めたフランス国王、太陽王ルイ14世から王位を継いだ孫、ルイ15世は、新時代のフランスの飲み物としてシャンパーニュ地方の発泡するワインに注目した。1728年、他のワインが樽での輸送を義務付けられているなかで、シャンパーニュのワインは瓶で流通させることを許可したルイ15世。これのおかげでシャンパンのワインはフランスでも流通した。現在、名の知れたシャンパンの名門の造り手の創業年が1700年の後半から1800年の前半に集中しているのは、シャンパンが安定的に生産できるようになり、またボトルで流通させられるようになったのがこの時期だから、という理由による。

クロード・モエ(1683-1760)

そして、王は、1743年にシャンパーニュ地方にワイナリーを登記したシャンパーニュの重要なワイン商、クロード・モエのワインに魅了された。このクロード・モエが、シャンパーニュ地方で発泡するワインだけを専門的に造る先駆者であり、モエ・エ・シャンドンの創業者だ。

ちなみに、多くの愛人をもったルイ15世。その治世に大いに影響した愛人、ポンパドゥール夫人が「飲んだあと、女性を美しくするのはシャンパンだけ」とシャンパンを称賛したのは有名だけれど、夫人はクロード・モエのワインの庇護者であり、愛好家だった。

モエ・エ・シャンドンはいまも、「シャンパンの魔法を世界に(SHARE THE MAGIC OF CHAMPAGNE WITH THE WORLD)」という表現をつかうことがあるけれど、魔法とは、女性を美しくする、というこの夫人の言葉に原点がある。

他のワインとは違うワインとして、シャンパンの原型が出来上がった。シャンパンは、世界に打って出る。そして、時代の寵児として、シャンパンは愛される存在になってゆく。

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