祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.39 馬場圭介さん
FASHION / NEWS
2019年5月30日

祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.39 馬場圭介さん

Page. 1

今回のゲストは、雑誌や広告、ブランドのカタログなど、幅広いフィールドでスタイリストとして活躍する一方で、ブランドのディレクターとしても才能を発揮する馬場圭介さん。生粋の英国通としても知られ、東京・千駄ヶ谷には英国ヴィンテージショップ「COUNCIL FLAT 1(カウンシル フラット ワン)」を構えています。お店の話を中心に伺いながら、スタイリストになったきっかけなど、当時の思い出話にも花が咲きました。

Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by TANAKA ShungoText by ANDO Sara (OPENERS)

英国で買い付けてきた古着を販売するカウンシル フラット ワン

祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真)お店ができて何年ですか?

馬場圭介さん(以下、馬場) 今の形にしたのは去年だけど、自分のいらないものを売るというガレージセールのスタイルから始めて、5年ぐらいになるかな。最初の頃は営業時間もいい加減だったし、そもそも店というテイではなかったけどね。

祐真 つまりはガレージセールを毎日やっていたというわけですね。

馬場 そう。今は12時から19時までオープンしていて、定休日は今のところなし。クレジットカードも使えます。

祐真 すごい!ちゃんとお店になってるじゃないですか(笑)。カウンシル フラット ワンとはどういう意味なんですか?

馬場 イギリスでいう公団だね。安いアパートのことをカウンシルフラットっていうの。

祐真 そうなんだ。では、なぜその名前をつけることに?馬場さんはロンドンに住まれていましたけど、何か思い入れがあるんですか?

馬場 いや、たまたまThe Style Council(スタイル・カウンシル)※1を聴いていて、“カウンシル”っていう響きがいいなって。それに日本だとあまり使わないじゃない?で、カウンシルといえばフラットだろ、ということでそのままお店につけたというわけ。

祐真 なるほど。スタイル・カウンシルはカッコいいですよね。僕も好きです。ガレージセールから、この店にイギリスらしさみたいなものを取り入れたのはどういういきさつで?

馬場 今、置いているもののほとんどがイギリスの古着。戸塚で古着屋をやっているやつがいて、場所柄、イマイチ売れないって言うから、じゃあうちで売ればいいじゃんっていうのが始まり。

祐真 その方とは昔からの知り合いだったの?

馬場 いやいや、ひょんなところで知り合ったの。彼は横浜高校で松坂(大輔氏)の一つ下で、甲子園にも出ていたというバリバリの野球少年。大学からも野球の誘いが来たらしいけど、それを断って文化(服装学院)へ行ったんだって。元々洋服が好きだったんだろうね。そして、今、古着屋を戸塚の自宅でやっている。でも駅から遠くて不便だし、イギリスものが好きな人しか来ないらしくてさ。

祐真 ツウの店なんですね。

馬場 うん。でもなかなか人も来ないから、うちで販売代行を始めたという流れ。

Page02. 無骨なイギリス人は今も昔も色気のあるものに憧れる!?



※1 スタイル・カウンシル
1970年代後半から80年代初頭にかけて絶大な人気を誇ったバンド「THE JAM(ザ・ジャム)」のリーダーだったPaul Weller(ポール・ウェラー)氏が、1982年、元「Dexys Midnight Runners(デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ)」のオルガニスト、Mick Talbot(ミック・タルボット)氏とともに結成したイギリスのポップ・ロックバンド。ポップだけでなく、ジャズやソウル、ファンクなどあらゆる音楽を取り込んでスタイリッシュに昇華させ、絶大な人気を誇った

Page. 2

無骨なイギリス人は今も昔も色気のあるものに憧れる!?

祐真 仕入れはその彼が?

馬場 そう。ロンドンは物価が高いから、1ヶ月ぐらいかけてマンチェスターとか、サウザンプトンとかノーザンプトンとか田舎の方をまわっている。全然値段が違うんだよ。

祐真 馬場さんは仕入れに関してはリクエストするの?

馬場 こういうのがあれば仕入れてきてとか、こういうのが売れそうだよ、とかね。

祐真 この店の中で馬場さんが特にいいと思うのは?

馬場 一番すごいのはこの3つ。なかなか見つからないと思うよ。アメリカの軍ものは日本でも多いけど、イギリスの軍ものだからめずらしいかもね。それから、あのカモフラとかは結構面白いんですよ。

祐真 今ではイギリスの古着を売っているということですが、当初馬場さんがガレージセール的な気分で売り始めたものはまだあるんですか?

馬場 もうないね。

祐真 (店の奥を指差して)あっちにあるのは?

馬場 売らないし、あげないし、捨てないシリーズ(笑)。

祐真 馬場さんが売りたくないっていうものはなんですか?価値のあるもの?

馬場 価値があるかどうかわからないけど、珍しいものとか、探しても手に入らないものとかかな。ほとんどイギリスものだね。

祐真 馬場さんがロンドンに住んでたのっていつでしたっけ?

馬場 1986年から88年までだったかな。

祐真 僕が東京に出てきたのが86年だから、馬場さんはちょうどその頃ロンドンへ行ったんですね。

馬場 そういうことになるね。音楽もアメリカよりUKのほうが好きだったから、行ってみたかったんだよね。

祐真 70年代後半〜80年代前半のロンドンは、ニューウェーブもパンクもロックもすごかったっていうイメージがありますね。86年あたりはどうでした?

馬場 ちょうどその頃って端境期で、ファッションにもスタイルがあんまりなかったんだよね。イギリス人でNIKE(ナイキ)を履いているやつなんていなかったよ。そもそもアメリカのものが一切手に入らなかったし。

祐真 手に入らないというのは、物理的にないというのと意図的に買わないというののどっち?

馬場 両方じゃない?興味がなかったんだろうね。イギリス人ってイタリア人に憧れているからね、今も昔も。

祐真 食も女も服も。なんなんですかね。

馬場 イギリス人って無骨だから、色気のあるものに憧れるんだよね。

祐真 僕、2002年にPaul Weller(ポール・ウェラー)※2さんにお会いしたんですよ。「服には関心がない」と言いながら、adidas(アディダス)の“イタリア”っていうマニアックな限定モデルを、わざわざイタリアから取り寄せたと自慢げに見せられました。その時、彼が着てきたシャツがETRO(エトロ)だった。

馬場 へー!意外。

祐真 でしょ?こっちはモッズルックなんかを期待していたのに、いきなりエトロで登場して、(野口)強さんも一緒だったんだけど、「え?まじ?エトロ?」って(笑)。「君たちがファッションの人っていうから、僕、オシャレしてきたんだよ。4番目の奥さんに選んでもらって買ったんだ」って。

馬場 イタリアに憧れるイギリス人の典型だよね。今の若い子は海外コンプレックスがないけどさ、おれたちは憧れだよね。一生染み付いてるんだろうな。

Page03. スタイリストの世界に飛び込むきっかけとなった出会い



※2 ポール・ウェラー
イギリス出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。パンク・ロックバンド「ザ・ジャム」として活動後、「スタイル・カウンシル」のフロントマンを経て、ソロに。イギリスで過去40年間に渡り最もクリエイティブであり続けるシンガー・ソングライター/フロントマンの一人

Page. 3

スタイリストの世界に飛び込むきっかけとなった出会い

祐真 いいなーって思うからね。そういえば、昔、馬場さんとミラノに行った時、PRADA(プラダ)でたくさん買い物したよね。馬場さん、ハラコのジャケット買って。

馬場 買ったねー。

祐真 それから、白いバックスキンだったかな……白の靴も買ってたんだよね。プラダかGRANELLO(グラネロ)だったな。そのあと行ったパリで、その服と靴をおろしてバスティーユあたりを歩いていたら、突然雨が降ってきたのを覚えてる?「降んなよー!」とか言って、馬場さん走ってさ(笑)。え!走るの?ここで?みたいな(笑)。

馬場 新しい服をおろすと絶対雨降るんだよな〜。特に靴。あれ、なんなんだろう。

祐真 僕も白いパンツを穿くと必ずソースが飛ぶしね。

馬場 前、どこかでパンツに何かこぼして、こっちが話してるのにそっちのけで、ずーっとシミ取ってたことがあったな(笑)。

祐真 オイスターソースですよ。これ、落ちないんじゃないかなってそのことばかりで話が入ってこない(笑)。スタイリストっていうのは厄介なところがありますね。

馬場 気になるからね。テレビとか映画を観てても、ネクタイが曲がってたりすると気になるでしょ?

祐真 そうそう。内容なんてどうでもよくなっちゃって。スタイリストってみんなそうなんじゃないかな。そもそも馬場さんはどういうきっかけでスタイリストになったんでしたっけ?

馬場 服は好きだったけど、意識してスタイリストになったわけじゃなかった。ロンドンへ行ったのもただ住んでみたかったからで、帰国したらどうするとかも考えてなかったし。そもそものきっかけは、ロンドンに来ていた大久保さん※3の撮影を手伝ったこと。斎藤さん※4に紹介されてさ。

祐真 大久保さんはなんの撮影で来ていたんですか?

馬場 maxell(マクセル)のCMでCuriosity Killed The Cat(キュリオシティ・キルド・ザ・キャット)※5のスタイリング。こちらはスタイリストなんてやったこともないから、言われるままに動いて。大久保さんって若い時から『an・an(アンアン)』※6とかもやっていて、誌面にも出ていたじゃない。

祐真 唯一男の人で『アンアン』のスタイリストとして出ていましたね。

馬場 だから最初はちょっと緊張したけど、途中から、「あ、この人、バカだな」って(笑)。

祐真 (笑)

馬場 普通に付き合えるぞ、これは、っていう意味ね(笑)。

祐真 どのあたりでそれに気づいたんですか?ノリがよかったの?

馬場 そう。その撮影の時も、昼飯の時間に「パブ行こうぜ」って大久保さんビール飲んでるし(笑)。えっ、ビール飲んでいいの?って親しくなった。ロケが明けて、休みの時にいろんなところへ連れて行ったりしていたら、「おまえ、帰ってきたらどうするの?」って聞かれて、決めていないと言ったら「じゃあアシスタントやる?」って。「やります」ってかるーい感じですよ(笑)。

祐真 そのような誘いを受けたから、日本に帰ることにしたんですか?

馬場 学生ビザなんかも持っていなかったから、長くて2年ぐらいがロンドンにいられる限界かなと元々思ってたの。その時28歳で、30も近いしそろそろ考えないとなって。ていうか、感覚的に、ロンドンから熊本に帰るの、キツくない(笑)?しかも30で(笑)。

祐真 今なら普通かもしれないけど、当時はね(笑)。馬場さんに初めて会った時、びっくりしたの覚えてるもん。

馬場 いつだっけ?

祐真 当時僕が編集をしていた『POPEYE(ポパイ)』※7で、大久保さんに仕事を依頼した時、最初の打ち合わせに大久保さんが遅れてて、先に馬場さんが来たの。覚えてないでしょ?マガジンハウスの横の喫茶店で、馬場さん30歳だって言ってて。すごいなこの人、30歳でアシスタント?って驚いた。

馬場 懐かしいなー。

祐真 当時、大久保さんのファッションと、実際馬場さんの好きだったものってカブってた?

馬場 カブってはいなかったね。でも、この人だったらいいかなと思った。面白いじゃん、大久保さん。あの頃、年上のスタイリストっていうと、大久保さんぐらいしかいなかったし。

祐真 大久保さんは馬場さんの何歳上でしたっけ?

馬場 3つ。

祐真 近いですね。で、そこからどれぐらいで帰国したんですか?

馬場 半年ぐらいだったと思うな。88年の年末に帰ってきたんだよね。

祐真 その頃、大久保さんのところにすでに強さんはいたんですか?

馬場 強は3日ぐらい前についてたから、ほぼ一緒だね。強は昔からモデルもやってたし、スタイリストの手伝いみたいなこともやってたから慣れてた。大久保さんがいて、強がいて、面白かったなー。

祐真 楽しそうだったよ。一緒に仕事した時楽しかったもん。なんかこの人たちいいなーと思ってた。それから約30年経ちましたけど。

馬場 独立したのが30歳だからちょうど30年だね。

祐真 時代の移り変わりをどう思います?

馬場 年を取ったからかわかんないけど、今の若者は独特だね、感覚が。洋服に対しての考え方が、おれたちとは全然違うんだろうな。

Page04. 時代の流れとともになくなっていった“あがる”という感覚



※3 大久保さん
日本を代表するスタイリストの一人で、馬場圭介氏と野口強氏の師匠でもある大久保篤志氏。北村勝彦氏に師事した後、平凡出版(現マガジンハウス)の『POPEYE(ポパイ)』、『an・an(アンアン)』のスタイリストとして活動開始。1980年代以降は雑誌、広告、CM、タレント、ミュージシャンなどのスタイリングを始め、テレビ番組やステージ衣装も手掛ける。2006年には自身のブランド「The Stylist Japan(ザ スタイリスト ジャパン)」を立ち上げた

※4 斎藤さん
「TUBE(チューブ)」代表兼チーフデザイナーの斎藤久夫氏。1979年に立ち上げた自身のブランド、チューブのデザイナーとして活躍する傍ら、大手セレクトショップや老舗ブランドなどのディレクションを手掛けてきた、メンズファッション界の重鎮といえる存在

※5 キュリオシティ・キルド・ザ・キャット
1980年代から90年代にかけて活動していたイギリスの4人組ポップバンド。最大のヒットとなったセカンドシングル「Down To Earth」はUKチャート3位を獲得し、デビューシングル「Misfit」は日本でmaxell(マクセル)のCM曲に起用されるなど、短いキャリアながら多くのヒット曲を生み出した

※6 『アンアン』
マガジンハウス(旧・平凡出版)が毎週水曜日に発行する女性週刊誌・ファッション雑誌。1970年3月創刊。誌名は創刊当時モスクワ動物園で飼育されていたパンダの名で、パンダ好きで有名な黒柳徹子氏によって名付けられた

※7 『ポパイ』
マガジンハウス(旧・平凡出版)が毎月10日(日祝日の場合は8・9日)に発行する男性向けファッション雑誌・情報誌。漫画の主人公ポパイをキャラクターに、1976年6月に創刊された

Page. 4

時代の流れとともになくなっていった“あがる”という感覚

祐真 たとえば?

馬場 色の組み合わせとか。もう独立したけど、うちのアシスタントとか紫に黄土色のパンツを合わせてたんだよ。それがイケてるのかって驚いた。

祐真 そういう人、いますね。

馬場 あと、どう見てもサイズがでかかったり。オーバーサイズとはちょっと違うんだよなぁ。でも、まぁ、ファッションは自由っていえば自由だからね。

祐真 でも僕らも若い時にそういう変な、今思えば勘違いしてたなみたいな色の合わせとかしちゃってましたよね?

馬場 やってたね(笑)。18、9の頃、ペーパームーン※8ってお店があったんだけど、そこでブルゾンを買おうと思って、ベージュと黒とオリーブと藤色の中からなぜか藤色を買っちゃったことがあった。なんでこの色買っちゃったんだろ、みたいな(笑)。

祐真 店に入るとあがる(=緊張する)っていうのが昔はあったからじゃない?

馬場 確かにね。ハリウッドランチマーケット※9へ行っても、あがってね。ついいらないもの買っちゃうんだよね。

祐真 ランチはお土産みたいなものがたくさん売られていたからね。ヨーヨーとか買ってたもん、間違えて(笑)。

馬場 いらないのにね(笑)。おれたちが感じてた、ああいう店って、今ないよね。

『ミスター・ハイファッション』1992年1月号より ©文化出版局

祐真 あがる店、ないですね。

馬場 でもハイブランドの店へ行ったらあがるんじゃないの?

祐真 あがると思う。昔、骨董通りにあったコム デ ギャルソン・オム プリュスとか、ものすごいあがったもん。ワイズ・スーパー・ポジション(現ヨウジヤマモト青山店)もそうでしたけど。

馬場 緊張して落ち着かないんだよね。

祐真 スタイリストになってからはさすがに楽になりましたけど、あがるっていう感覚が日常的にありました。

馬場 海外にもあがる店ってないかもね。

祐真 ないね。世界的にやめたんだと思う。collette(コレット)※10から始まったフレンドリーでウェルカムな店のスタイルをどこも追求しだしてさ。

馬場 わかる。あれじゃだめなんだよね。あがりたいなー(笑)。

祐真 そういうのがファッションに必要なことかなって思う。

馬場 最近はほとんど毎日店にいるんだけど、今の若い子ってまず、「試着していいですか?」って聞かないんだよ。勝手に着るの。びっくりでしょ。ほかの店はどうかわかんないけど。

祐真 そういう時はどうするの?

馬場 叱るよ。一言聞いてって。「いらっしゃい」って言っても目も合わせないし、勝手に着るし、勝手に写真撮る。まぁ、文句言うけどさ。

祐真 今、みんな携帯で写真撮るから昔と状況は違うけどね。でもこういうことを言ってるとオッサンのぼやきになっちゃうんだよね。

馬場 ぼやきじゃないよ。正しい教育だと思うよ。昔はちょっとでも触ると「勝手に触るな!」って怒られることがしょっちゅうあったでしょ。

祐真 確かに、なくなったよね。さっきのフレンドリーな店の雰囲気じゃないけど変わりましたね。

馬場 カジュアルなんだよね。

祐真 そうするとファッションショーまでカジュアルになっちゃって。ショーを見たいと思って行っていたのが「私を見て」って見に来てる人がメインになっちゃった。

馬場 確かに、観客を見ているほうが面白いね(笑)。

祐真 そうなんですよ。そういうイベントになっちゃいましたね。

馬場 今の若い子たちにとってはああいう形態がファッションショーなんだろうね。でもショーはモードじゃないと価値がないと思うけどな。

祐真 私もそう思います。ショーが始まる前に写真を撮り合って終わっちゃう。だからこそ、先日のエディ※11のCELINE(セリーヌ)には感動しました。

馬場 よかったね。

祐真 演出もエレガントでしたね。

馬場 どこもセレブを呼んでお金をかけて派手にやってるけど、そういう意味ではやっぱりギャルソンはカッコいいな。小さい会場でコンパクトにやっていて。

祐真 招待客も厳選してますしね。正しいファッションショーのあり方な気がする。

馬場 誰でも入れちゃつまんないと思うんだけどな。まぁ、インスタグラマーとかインフルエンサーとか、見ていて面白いんだけど。

祐真 確かに。最近若くて面白い子は見かけますか?

馬場 少ないね。クラブとかでもあまり見かけないかな。

祐真 クラブ活動されてるんですか?

馬場 昔ほどじゃないよ。わがまま言える店にたまに行くぐらい(笑)。

祐真 渋谷のビジョンで派手に還暦のパーティをされてましたもんね。久々に盛り上がりました。でも、ああいう時に会う人たちも同じ顔ぶれだもんね。

馬場 平均年齢高めのね。年取ったっていうのもあるけど、みんな昔ほど顔合わせないじゃない?久々に会う人だらけだとテンション上がってすぐ酔っ払っちゃうよ(笑)。

祐真 (笑)でもまぁ、みんな変わらなくていいよね。タケ先生※12とか本当に若いよ。

馬場 もう80歳だって。繰上さん※13も若いよね。

祐真 ワコマリアのカタログ持ってたよ、インスタで。実際に着てるしね。

馬場 見た見た。あの年代の人たちはすごいな。団塊の世代。元気だよね。

祐真 元気だし、いろんなことに対して興味がある。そこに時間も割いているし、エネルギーも出している感じがしますね。そういうのが大事だしカッコいいなと思う。

馬場 あの若さには、負けるよ(笑)。

祐真 20歳前後の子たちからはそういうエネルギーを感じたりします?

馬場 あんまりないかな……。宮下※14以降、面白いデザイナーも出てきていない気がするし。それに、ジョニオ※15がもう50歳なんだよね。

祐真 若手と言われていたのにあっという間ですよ。

馬場 目立つ若者がいないのも問題じゃない?

祐真 僕の事務所の近くで、毎日中国人が買い物をしているんですけど、流行りの服を次から次へと買い続けて、この3年ぐらいで垢抜けてきたわけですよ。

馬場 わかるわかる。

祐真 THOM BROWNE(トム ブラウン)※16をカッコよく着ていたりして。そういう経験を経た人たちから、新しいクリエイションが生まれるんじゃないのかなって思うんだよね。着ることで、体で感じて服を知っていくジェネレーション。お店に中国人のお客さんは来る?

馬場 来るけど、古着には興味がないんだな。

祐真 今の中国は日本の80年代中盤的ムードかな。日本も70年代後半~80年代前半に古着ブームがきて、落ち着いたじゃない?中国はこれからかな。

馬場 来たとして5年後ぐらいかもね。

Page05. 2019春夏から始動した馬場さんの新ブランド「ノルマン」



※8 ペーパームーン
1970年代の原宿で50年代のデットストックを中心に展開していたヴィンテージショップ

※9 ハリウッドランチマーケット
1972年、東京・千駄ヶ谷にて、ユーズドのデニムウエスタンシャツやシャンブレーシャツ、ネルシャツなど、カジュアルスタイルをベースにオープンしたアメカジ界の草分け的存在のショップ。79年代官山に移転

※10 コレット
1997年、フランス・パリのサントノーレ通りにCollette Rousseaux(コレット・ルソー)氏と娘のSarah Andelman(サラ・アンデルマン)氏が、アート、ファッション、デザイン、音楽、ストリートスタイルのすべてを融合した空間を作るべく設立したセレクトショップ。若手ブランドとビッグメゾンが並ぶ独自のセレクトが支持され、オープンから20年に渡り、ファッションシーンを牽引してきた。2017年、惜しまれつつも閉店

※11 エディ
「DIOR HOMME(ディオール・オム)」や「SAINT LAURENT(サンローラン)」を手掛け、現在「CELINE(セリーヌ)」のクリエイティブ・ディレクターを務める、フランス・パリ出身のファッションデザイナーであり、雑誌や広告のフォトグラファーとしても知られるHedi Slimane(エディ・スリマン)氏

※12 タケ先生
ファッションデザイナーで、「TAKEO KIKUCHI(タケオキクチ)」の創始者、かつ初代デザイナーの菊池武夫氏。1939年東京都生まれ。70年に「BIGI(ビギ)」を、75年に「MEN'S BIGI(メンズビギ)」を設立後、フランス・パリへの進出を経て、84年「タケオキクチ」を設立。80年代のDCブランドブームの火付け役。現在も「タケオキクチ」の運営総指揮を担当しながら、環境省「クールビズ推進協議会」の共同代表なども務める

※13 繰上さん
日本を代表する写真家の繰上和美氏。1936年北海道生まれ。61年東京綜合写真専門学校を卒業し、65年からフリーランスの写真家として活動を始め、現在に至るまで、ファッションや広告の分野を中心に幅広い活動を行う

※14 宮下
1973年東京都出まれのファッションデザイナー、宮下貴裕氏。独学で服作りを学び、セレクトショップでバイヤーとして経験を積みながらデザイナーとして独立したという異色の経歴の持ち主。96年、自身のブランド「NUMBER(N)INE(ナンバーナイン)」をスタート。2004-05年秋冬のパリメンズコレクションでデビュー。09年にブランドを脱退し、解散することを表明。翌年、新ブランド「TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.(タカヒロミヤシタザソロイスト.)」を立ち上げた

※15 ジョニオ
1969年群馬県出まれのファッションデザイナー、髙橋盾氏。文化服装学院在学中、一之瀬弘法氏とともに「UNDERCOVER(アンダーカバー)」をスタート。卒業後の93年にはNIGO®氏とともに、原宿にアパレルショップ「NOWHERE(ノーウェア)」をオープン。現在はアンダーカバーのウィメンズ・メンズライン、セカンドラインの「JohnUNDERCOVER(ジョンアンダーカバー)」「SueUNDERCOVER(スーアンダーカバー)」、ナイキとのコラボレーションライン「GYAKUSOU(ギャクソウ)」などを展開する。また、愛称のジョニオはSEX PISTOLS(セックス・ピストルズ)のJohnny Rotten(ジョニー・ロットン)に似ていることから

※16 トム ブラウン
2001年にアメリカ・ペンシルバニア州生まれのデザイナー、Thom Browne(トム・ブラウン)氏が立ち上げた、自身の名を冠したファッションブランド。1950年代後半から60年代前半の、アメリカの黄金時代のファッションスタイルであるアメリカントラディショナルをベースにした独特のシルエットのドレススーツで知られる

Page. 5

2019春夏から始動した馬場さんの新ブランド「ノルマン」

祐真 では、デザイナー古着は?馬場さん、HELMUT LANG(ヘルムート ラング)※17とか好きだったでしょ。

馬場 ラングもかなり売ったね。

祐真 90年代を生きていなかった若い子達が今面白がっていますけど、僕、実際たくさん持ってるんですよね。

馬場 どうしてるの?

祐真 トランクルームにしまってある。

馬場 一点一点覚えてるでしょ?

祐真 ほぼ覚えてますね。

馬場 たまにさ、どこに置いたっけ?とか思い出すんだよね。夜中なんかにふと気になってしょうがなくなって、起きて、多分この辺にあるはず……ってガサガサやって見つけてホッとする(笑)。着やしないのに(笑)。

祐真 ものすごくわかる(笑)。あれ、なんなんですかね。気になってしょうがなくて心配になり始めて、その時やっていることとかいい加減になってくるから(笑)。

馬場 デザイナーズの古着は祐真が一番持ってるんじゃないの?

祐真 前、強さんと対談して、見せ合いっこしようってなって。さすが強さんは、ポイントになるものを持っていて、整理されている。ほとんど売ったって言ってたけど、僕は思い入ればかりで(笑)。

馬場 でもそこまでたくさんあるんだったら処分しないほうがいいね。

祐真 どうしたらいいのやら。馬場さんは持ってたラングは手放した?

馬場 スーツとかはまだあるかな。シルエットが古すぎて着られないけど。

祐真 あの当時ラングを好んで買っていた理由は?

馬場 サイズ感かな。自分に合ってたんだよね。

祐真 96、7年ですよ。カッコよかったよね、ラング本人も。

馬場 今思えばマルタン※18買っておけばよかったなー。

祐真 なんで買わなかったんだろうな。あのタグの4点留めが嫌でムキになってたかも。いかにもこれ着てればいいでしょって気がしちゃって。マックイーン※19まで着てましたからね。

馬場 RAF SIMONS(ラフ・シモンズ)※20も高値で取引されてるらしいね。買わなかったけど。

祐真 ラフの初期の頃の服いっぱい持ってたけど売っちゃった。カウンシル フラットでは、何かイベントをする予定とかはないの?

馬場 この前、うめ阪(阪急うめだ本店)でポップアップやったよ。うちの洋服とUKの古着を出した。

祐真 あ、馬場さんの新しいブランドですね。

馬場 そう、NORMAN(ノルマン)。

祐真 ブランド名の由来はなんですか?

馬場 ノルマン人とかフランスのノルマンディー地方のノルマン。ノルマン人はイギリスを支配していたこともあって、イギリスと関係が深いんだよ。ちょっと調べたら面白くてさ。ケルト人とかアングロサクソン人とかいろんな民族が入っていて、純粋なイギリス人っていないじゃない。

祐真 ノルマン人っていうのはアングロサクソンじゃないの?

馬場 アングロサクソンは、5世紀頃にドイツからイギリスに移住して来たゲルマン系の部族だから、ノルマン人が侵略してくる前からいたよ。ノルマン人は北欧から来た北方系ゲルマン人。スカンジナビアとかバルト海沿岸に住んでいた人たちだね。

祐真 バイキングですね。

馬場 そうそう。元々イギリスが好きだったけど、古着を扱うようになったらフランスのワークウェアが面白いって思うようになった。だからノルマンは、ノルマンディー地方にちなんで、フレンチワークとかフレンチカジュアルっぽいのをちょっとやってみようかなって。

祐真 こういうブルーの色合いもフランスのワークウェアの色だもんね。昔のDANTON(ダントン)※21ANATOMICA(アナトミカ)※22なんかを彷彿とさせる。

馬場 そうそう、アナトミカっぽいのもいいかなって。

祐真 ファンが多いしね。可愛いじゃないですか。これはワークジャケット?

馬場 元ネタは昔の鉄道員の制服。ジャケットの下に着ていたんだよね。

祐真 袖がシャツみたいだもんね。サスペンダーパンツも可愛いですね。サスペンダーとなるとシャツインになりますね。

馬場 インだね。無理だなー。

祐真 ご自身の話でしょ(笑)?

馬場 うん。お腹も出てるしさ(笑)。でも今の若いやつ、みんなシャツインじゃん。うまく着こなしているのよね。

祐真 このトラが2匹寝てるロゴもいいじゃないですか。

馬場 それね、ライオン。ノルマンディーの紋章なのよ。

祐真 あっ、そうなんだ。可愛い。洋服を買って、着て、スタイリストもやってきて、今や店も持って、古着を売って、さらに服も作っていますけど、どうですか?馬場さんを見ていると楽しそうだけど。

馬場 若い時は何でも楽しかったけど、この年になると自分の好きなことしかやりたくないね(笑)。

祐真 でも馬場さん、これまでもずっとそうだったじゃん(笑)。

馬場 そうでもないですよ(笑)。でもさ、やりたくないことはやりたくないって思うでしょ。

祐真 わかりますよ。本能的に先が短いとわかっていることも関係あるんでしょうかね。嫌なことに無駄な時間使いたくないってね。馬場さんも今年61ですか。

馬場 昔だったらジジイだよね(笑)。でも先輩たちがまだまだお元気だから頑張らないと。

祐真 まだ若いです。お互い、元気なうちは働きましょう(笑)。

Council Flat 1(カウンシル フラット ワン)
住所|東京都渋谷区神宮前2-23-1 神宮前ことぶきビル1階
電話番号|03-6807-0812
営業時間|12:00〜19:00 不定休



※17 ヘルムート ラング
オーストリア出身の同名のデザイナー、Helmut Lang(ヘルムート・ラング)氏による1976年設立のファッションブランド

※18 マルタン
ベルギー出身のデザイナー、Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)氏による1988年設立のフランス・パリ発のファッションブランド「Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ、現Maison Margiela(メゾン マルジェラ))」

※19 マックイーン
イギリス・ロンドン生まれのデザイナー、Alexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン)氏。1992年、セントラル・セント・マーチンズの卒業コレクションが『VOGUE(ヴォーグ)』のエディター兼スタイリストのIsabella Blow(イザベラ・ブロウ)氏の目に留まったことがきっかけでデビュー。自身の名を冠したブランド「ALEXANDER McQUEEN(アレキサンダー・マックイーン)」はイギリスを代表するファッションブランドへと成長し、型にはまらないデザインと衝撃を与える手法で知られていた。2010年2月11日に自宅で亡くなっているのを発見された。満40歳没

※20 ラフ・シモンズ
1995年、ベルギー出身のデザイナー、Raf Simons(ラフ・シモンズ)氏が立ち上げたファッションブランド。トラッドでクラッシックなテーラードスタイルと、反抗的なユースカルチャーを融合したデザインが特徴

※21 ダントン
1931年、Gabriel George Danton(ガブリエル・ジョージ・ダントン)氏によってフランス郊外、ソロンで創業した老舗ワークウエアブランド。カバーオールジャケットやパンツの作業着から、シェフやレストランスタッフ向けのキッチンウェア、ユニフォームなどを製造する

※22 アナトミカ
1994年、Pierre Fournier(ピエール・フルニエ)氏がフランス・パリ4区にオープンしたセレクトショップ。「多種多様な人体にフィットする服と靴」をコンセプトに、ピエール氏独自の目線でオリジナティのあるアイテムを展開する

           
Photo Gallery