POGGY’S FILTER|vol.5 COMBOさん

POGGY’S FILTER|vol.5 COMBOさん

POGGY’S FILTER

Page. 1

小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY’S FILTER』、第5回目となる今回のゲストは、ヒップホップファッションをメインとしたセレクトショップとして、東京のストリートファッションシーンの最先端を走り続けてきた、NUBIAN(ヌビアン)のオーナーであるCOMBO氏だ。2005年に上野にてオープンしたヌビアンは、その後、原宿へ進出を果たし、昨年4月にはその原宿店を移転リニューアルオープン。今や国内はもちろんのこと、ヒップホップアーティストなど世界中から感度の高い人たちが集まる、注目のショップとなっている。バイヤーやディレクターとして、POGGY氏も一目を置く存在であるというCOMBO氏は、今のファッションシーンの主流となっているラグジュアリーストリートに対しても、日本でいち早くアンテナを張ってきた人物のひとりでもあり、そんな氏のファッション観や、そのルーツにあるヒップホップを中心とした音楽についても存分に語ってもらった。

Interview by KOGI “Poggy” MotofumiPhotographs & Text by OMAE Kiwamu

ヒップホップファッションは好きな奴だけのマーケットだった

POGGY 横尾忠則さんがデザインを手がけたLOUDNESS(ラウドネス)のレコードジャケット(1992年リリースのアルバムアルバム『LOUDNESS』)を、COMBOさんがLINEのアイコンに使っていたり、昔はギター少年だったという話も伺ってますが、まずはCOMBOさんの音楽の遍歴から教えてください。

COMBO いきなり、そこからですか(笑)。中学生の頃からギターを始めて、最初はギタリストに憧れていましたね。ラウドネスとかExtream(エクストリーム)とか、そういうベタなところから入ったんですけど、ギターの理論とかも本気で勉強しました。そうすると、やっぱり音楽の深みっていうところで、ジャズに行き着くんですよね。そこからジャズギターにハマっていって。

POGGY ハードロックからジャズに?

COMBO 今思うと、ギタリストになりたいっていう思いが強すぎたんだと思うんですけど、実はそんなに弾く才能がなくて。それで壁にぶち当たった時に、ジャズをサンプリングしているヒップホップに出会ったんです。「こんな音楽のやり方があるんだ!」って衝撃を受けて。それでギターも続けながら、ヒップホップのレコードを買い始めて、DJもやるようになって。二十歳過ぎてクラブに通い始めると、自然とクラブミュージック一本になりました。ヒップホップからレアグルーブを掘るようになったり、もちろんソウルとかジャズとかも掘るようになっていったら、自分が知ってたジャズのギタリストの曲もサンプリングで使われていることが分かってきて、「これはヤベえな」って。

POGGY 自分の好きなジャズとヒップホップとの共通点が見つかったわけですね。

COMBO そうですね。あと、J Dilla(J・ディラ)っていうヒップホップのプロデューサーが凄く好きで。彼がまだJay Dee(ジェイ・ディー)って名乗っていた時にやっていた、The Ummah(ジ・ウマー)っていうプロダクションチームの作った音を聴いて、本当にぶっ飛んだり。そういう90年代半ばに聴いていたヒップホップとか、あとシカゴハウス、デトロイトテクノも大好きなので、そういった音楽が今の自分のベースになっています。

POGGY そういう流れでヒップホップに入っていったんですね。僕が最初にヌビアンの名前を聞くようになったのが、ディレクターを務めさせてもらっていたLiquor,woman&tears(リカー、ウーマン&ティアーズ)っていうお店で、2008年頃にOutkast(アウトキャスト)のAndre 3000(アンドレ・3000)がやっていたブランド、Benjamin Bixby(ベンジャミン・ビクスビー)を買い付けることになった時でした。「他に日本で取り扱っているお店は?」って聞いたら、「ヌビアンが扱っている」って言われて。その辺りから、海外のブランドやお客様からも、ヌビアンの名前を頻繁に聞くようになっていきましたね。現地(アメリカ)でも、物凄くアンテナを張っているなって感じました。

COMBO オープン当時は洋服の知識も無くて、仕入れのノウハウとかも全然分かってなかったんですよ。最初はニューヨークのお店で普通に服を買って持って帰ってくる、っていうのをずっとやっていました。毎月のようにニューヨークに行って、例えばブルックリンのVinnies Styles(ヴィーニーズ・スタイルズ)っていうお店とかで、毎回100万円分とか買い付けていたので、向こうの人たちにも自然と覚えてもらえるようになっていきました。それから、HIMMY(ハイミー)っていうブランドを立ち上げて。最初はNEW ERA(ニューエラ)のカスタムのキャップから始めたんですけど、それをニューヨークのショップに卸したり。ヴィーニーズ・スタイルズから何百個とかオーダーが入ることもありました。ヴィーニーズのお客さんのラッパーも被ってくれたりしたんで、それでブランドも結構名前も知られるようになっていって。そういうところから、海外のコミュニティとも繋がっていった感じですね。

POGGY 先日、RHYMESTERの宇多丸さんのラジオ(『アフター6ジャンクション』)に出させてもらった時に、宇多丸さんが2000年代、日本のヒップホップの音楽シーンはガラパゴス化していて、アメリカとかのヒップホップのトレンドとは全く違う方向に日本は進化していたと仰っていました。ファッションに対しても、僕は同じように感じているんですよね。例えば、先ほどのベンジャミン・ビクスビーに関しても、アメリカだと『GQ』といった雑誌で取り上げられていたり、Barney’s New York(バーニーズ・ニューヨーク)みたいなショップで大きく打ち出されているのに、日本では取り扱っているのがヌビアンとリカーだけで。当時は、そのガラパゴス的な状況をどう感じていましたか?

COMBO ガラパゴスというか、僕の視点で言うと、当時、ヒップホップファッションは好きな奴だけしかやっていないマーケットでしたね。あの当時はヒップホップファッションを扱っているショップはリカーとかヌビアンとか限られているところだけで、ましてや大手の企業がそういうことをやるイメージも無かった。ヒップホップファッション自体が、ちょっと馬鹿にされてるのかな?っていうようにも感じていました。

POGGY 確かにそういうのはありましたね。「ヒップホップテイストの洋服のお店をやっています」って言うと、「チェケラッチョでしょ?」みたいな感じで言われたこともありましたし(笑)。ある意味、ファッションとしてはまだ認めてられてはいなかったですからね。

COMBO 本当にそうですね。だから、今の状況がちょっとビックリするくらいで。

POGGY 例えばベンジャミン・ビクスビーみたいな、今までに無かった新しいタイプのブランドを扱うようになった時に、どのようにヌビアンのお客さんへ伝えていったのでしょうか?

COMBO 僕自身がヒップホップを通して、いろんな音楽を知ったのと同じように、ヒップホップファッションを通して、いろんなファッションを知れたと思っていて。だから、お客さんに対しても、同じようにヒップホップを通して伝えてました。周りにも、そういう友達が多かったので、まずは身近にいるイケてる10人ぐらい、当時だとダンサーとかに広めていって、そこから広がっていった感じです。でも、その時はそうやろうと思ってやっていたわけじゃなくて、あくまでも自然な流れでしたね。気が付けばヌビアンを通じて、そういったコミュニティが出来ていっていたのかなって。

POGGY それは、すごくリアルですね。

Page02. 自分の音楽感と服をリンクさせて、次の世代へ伝える