POGGY’S FILTER|vol.5 COMBOさん
FASHION / MEN
2019年4月9日

POGGY’S FILTER|vol.5 COMBOさん

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小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY'S FILTER』、第5回目となる今回のゲストは、ヒップホップファッションをメインとしたセレクトショップとして、東京のストリートファッションシーンの最先端を走り続けてきた、NUBIAN(ヌビアン)のオーナーであるCOMBO氏だ。2005年に上野にてオープンしたヌビアンは、その後、原宿へ進出を果たし、昨年4月にはその原宿店を移転リニューアルオープン。今や国内はもちろんのこと、ヒップホップアーティストなど世界中から感度の高い人たちが集まる、注目のショップとなっている。バイヤーやディレクターとして、POGGY氏も一目を置く存在であるというCOMBO氏は、今のファッションシーンの主流となっているラグジュアリーストリートに対しても、日本でいち早くアンテナを張ってきた人物のひとりでもあり、そんな氏のファッション観や、そのルーツにあるヒップホップを中心とした音楽についても存分に語ってもらった。

Interview by KOGI “Poggy” MotofumiPhotographs & Text by OMAE Kiwamu

ヒップホップファッションは好きな奴だけのマーケットだった

POGGY 横尾忠則さんがデザインを手がけたLOUDNESS(ラウドネス)のレコードジャケット(1992年リリースのアルバムアルバム『LOUDNESS』)を、COMBOさんがLINEのアイコンに使っていたり、昔はギター少年だったという話も伺ってますが、まずはCOMBOさんの音楽の遍歴から教えてください。

COMBO いきなり、そこからですか(笑)。中学生の頃からギターを始めて、最初はギタリストに憧れていましたね。ラウドネスとかExtream(エクストリーム)とか、そういうベタなところから入ったんですけど、ギターの理論とかも本気で勉強しました。そうすると、やっぱり音楽の深みっていうところで、ジャズに行き着くんですよね。そこからジャズギターにハマっていって。

POGGY ハードロックからジャズに?

COMBO 今思うと、ギタリストになりたいっていう思いが強すぎたんだと思うんですけど、実はそんなに弾く才能がなくて。それで壁にぶち当たった時に、ジャズをサンプリングしているヒップホップに出会ったんです。「こんな音楽のやり方があるんだ!」って衝撃を受けて。それでギターも続けながら、ヒップホップのレコードを買い始めて、DJもやるようになって。二十歳過ぎてクラブに通い始めると、自然とクラブミュージック一本になりました。ヒップホップからレアグルーブを掘るようになったり、もちろんソウルとかジャズとかも掘るようになっていったら、自分が知ってたジャズのギタリストの曲もサンプリングで使われていることが分かってきて、「これはヤベえな」って。

POGGY 自分の好きなジャズとヒップホップとの共通点が見つかったわけですね。

COMBO そうですね。あと、J Dilla(J・ディラ)っていうヒップホップのプロデューサーが凄く好きで。彼がまだJay Dee(ジェイ・ディー)って名乗っていた時にやっていた、The Ummah(ジ・ウマー)っていうプロダクションチームの作った音を聴いて、本当にぶっ飛んだり。そういう90年代半ばに聴いていたヒップホップとか、あとシカゴハウス、デトロイトテクノも大好きなので、そういった音楽が今の自分のベースになっています。

POGGY そういう流れでヒップホップに入っていったんですね。僕が最初にヌビアンの名前を聞くようになったのが、ディレクターを務めさせてもらっていたLiquor,woman&tears(リカー、ウーマン&ティアーズ)っていうお店で、2008年頃にOutkast(アウトキャスト)のAndre 3000(アンドレ・3000)がやっていたブランド、Benjamin Bixby(ベンジャミン・ビクスビー)を買い付けることになった時でした。「他に日本で取り扱っているお店は?」って聞いたら、「ヌビアンが扱っている」って言われて。その辺りから、海外のブランドやお客様からも、ヌビアンの名前を頻繁に聞くようになっていきましたね。現地(アメリカ)でも、物凄くアンテナを張っているなって感じました。

COMBO オープン当時は洋服の知識も無くて、仕入れのノウハウとかも全然分かってなかったんですよ。最初はニューヨークのお店で普通に服を買って持って帰ってくる、っていうのをずっとやっていました。毎月のようにニューヨークに行って、例えばブルックリンのVinnies Styles(ヴィーニーズ・スタイルズ)っていうお店とかで、毎回100万円分とか買い付けていたので、向こうの人たちにも自然と覚えてもらえるようになっていきました。それから、HIMMY(ハイミー)っていうブランドを立ち上げて。最初はNEW ERA(ニューエラ)のカスタムのキャップから始めたんですけど、それをニューヨークのショップに卸したり。ヴィーニーズ・スタイルズから何百個とかオーダーが入ることもありました。ヴィーニーズのお客さんのラッパーも被ってくれたりしたんで、それでブランドも結構名前も知られるようになっていって。そういうところから、海外のコミュニティとも繋がっていった感じですね。

POGGY 先日、RHYMESTERの宇多丸さんのラジオ(『アフター6ジャンクション』)に出させてもらった時に、宇多丸さんが2000年代、日本のヒップホップの音楽シーンはガラパゴス化していて、アメリカとかのヒップホップのトレンドとは全く違う方向に日本は進化していたと仰っていました。ファッションに対しても、僕は同じように感じているんですよね。例えば、先ほどのベンジャミン・ビクスビーに関しても、アメリカだと『GQ』といった雑誌で取り上げられていたり、Barney's New York(バーニーズ・ニューヨーク)みたいなショップで大きく打ち出されているのに、日本では取り扱っているのがヌビアンとリカーだけで。当時は、そのガラパゴス的な状況をどう感じていましたか?

COMBO ガラパゴスというか、僕の視点で言うと、当時、ヒップホップファッションは好きな奴だけしかやっていないマーケットでしたね。あの当時はヒップホップファッションを扱っているショップはリカーとかヌビアンとか限られているところだけで、ましてや大手の企業がそういうことをやるイメージも無かった。ヒップホップファッション自体が、ちょっと馬鹿にされてるのかな?っていうようにも感じていました。

POGGY 確かにそういうのはありましたね。「ヒップホップテイストの洋服のお店をやっています」って言うと、「チェケラッチョでしょ?」みたいな感じで言われたこともありましたし(笑)。ある意味、ファッションとしてはまだ認めてられてはいなかったですからね。

COMBO 本当にそうですね。だから、今の状況がちょっとビックリするくらいで。

POGGY 例えばベンジャミン・ビクスビーみたいな、今までに無かった新しいタイプのブランドを扱うようになった時に、どのようにヌビアンのお客さんへ伝えていったのでしょうか?

COMBO 僕自身がヒップホップを通して、いろんな音楽を知ったのと同じように、ヒップホップファッションを通して、いろんなファッションを知れたと思っていて。だから、お客さんに対しても、同じようにヒップホップを通して伝えてました。周りにも、そういう友達が多かったので、まずは身近にいるイケてる10人ぐらい、当時だとダンサーとかに広めていって、そこから広がっていった感じです。でも、その時はそうやろうと思ってやっていたわけじゃなくて、あくまでも自然な流れでしたね。気が付けばヌビアンを通じて、そういったコミュニティが出来ていっていたのかなって。

POGGY それは、すごくリアルですね。

Page02. 自分の音楽感と服をリンクさせて、次の世代へ伝える

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自分の音楽感と服をリンクさせて、次の世代へ伝える

POGGY 前回のUNION(ユニオン)のChris Gibbs(クリス・ギブス)との対談でも出たんですけど、ちょっと前だとニューヨークでローンチしていたり、ストリート系だとラスベガスの「MAGIC」と同時期に開催されるようなトレードショウで発表していたようなブランドが、かなりパリに移ってきています。そういった、ここ数年のファッションシーンの大きな流れの変化ってどう感じていますか?

COMBO かなり変わったと思いますね。一番はこのファッションがメジャーになったこと。もちろん、Virgil Abloh(ヴァージル・アブロー)とかの出現も大きいわけですけど、その流れにヌビアンも乗れたこともデカいです(笑)。

POGGY COMBOさんがパリへ行くようになったのは、いつ頃からですか?

COMBO 原宿店が出来る前なので、2010年頃からですね。実はPOGGY君がやっていたリカーの存在が、僕がパリへ行くようになった一つのきっかけでもあって。最初、リカーを見た時に、「わぁ、スゲえな!」って思ったんですけど、同時に「自分では出来ない」とも感じていました。当時、国内の取引先もほぼ無い状態で、商社と取引するなんて想像も出来てなかったし、ましてや、コレクションブランドを扱えるなんて想像も出来なかったわけで。けど、ヌビアンが次へ進むためには、やっぱり洋服屋としてちゃんと認識してもらえないとダメだなって思うようになりました。それでショウルームを回ったり、ブランドに取引先としてアカウントを作ってもらうっていうのを地道にやり始めたんですよ。だから、リカーにはすごく刺激を受けましたね。

POGGY そう言っていただけるのは、すごく嬉しいです。逆に僕はもともと、COMBOさんみたいにリアルなヒップホップのシーンの側にはいなくて、後発でヒップホップのファッションが面白いって思って、傾倒していったタイプなので。だから、自分はファッションとして出来ることをちゃんとやらないと、そういう方たちに認めてもらえないっていう気持ちはありました。COMBOさんがパリに行くようになって、どのようにデザイナーズブランドとかを仕入れ始めるようになったんでしょうか?

COMBO 最初は何も知らないで行ったんで、結構ヤバかったです。どこに何があるかも分からなくて、「ショウルームっていうのがあるらしい」とかいう情報を聞きつけて、とりあえず、アポなしで全部行きました。コレクションブランドとかも全部アポなしで行ってましたし、そもそも、僕らなんてアポすら取れないんで。とりあえず、いきなり行って、全身そのブランドの服を着て、好きをアピールすれば行けるかなって。

POGGY 凄いですね(笑)。

COMBO 最初の大きなきっかけとなったブランドが、Rick Owens(リック・オウエンス)が手がけているDRKSHDW(ダークシャドウ)で。仕入れた商品をバッコン!って売ったんですよね。10万円くらいのスニーカーを100足くらい売り切ったりして。そうしたら、ダークシャドウ側も「あの店、なんなんだ?!」って注目してくれて。日本の代理店にもヌビアンのことを伝えてくれて、代理店にも認めてもらえるようになって。それが2013年くらいだったと思いますけど、ダークシャドウが最初に道を開けてくれて、そこから一気に広がりました。

POGGY ちょうど、A$AP Rocky(エイサップ・ロッキー)がリック・オウエンスを着たりとか、そのくらいの時期ですね。ロッキーの出現とかも、インパクトが大きかったですよね。

COMBO あの頃、正直、ヒップホップのサイドから見たら、ヒップホップファッションが少し停滞気味だったんですよ。でも、いろんな選択肢が増えていた時期でもあった。そこにロッキーの出現が重なって、「ストリートファッションがヤバい!」ってなって。ロッキーをきっかけに、昔、ヌビアンに来ていたお客さんもまた来るようになったし、G-DRAGONみたいな韓流ファッションを追いかけてる子達も来るようになりました。

POGGY リック・オウエンスやダークシャドウも扱っているお店って、すでに日本にも沢山あったと思うんですけど。ヌビアンみたいに、ヒップホップの視点で仕入れて販売するっていう人たちが、その当時は他にいなかったと思いますし、それは2005年から培ってきた、COMBOさんのバイイングのやり方が、実を結んだわけですよね。その後から、今までロックファッションを扱っていた媒体が、ヒップホップファッションを扱うようになったりもしてきましたよね。

COMBO なんでですかね……おそらく、(ヒップホップファッションが)モテるからじゃないですかね(笑)。ただ無視が出来なくなってきてるのかなと思います。

POGGY 確かにそうかもしれませんね(笑)。

COMBO けど、そういうのも本当にウェルカムだし、良いことだと思っています。そうは言っても、2、3年前くらいまではまだ(ヒップホップファッションに対して)アンチはいたと思うんですよね。けど、もう今や無視出来ない存在になっている。ヴァージルとかは、Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)も認めちゃってるわけですからね。

POGGY そういうのとはまた違った流れで、今、若いアメリカのヒップホップの子たちが、日本の90年代とか2000年代頭のUNDERCOVER(アンダーカバー)や、宮下さんがデザインしていた頃のNUMBER NINE(ナンバーナイン)といったデザイナーズブランドにすごく注目しているじゃないですか? あの流れが起きている理由は何だと思いますか?

COMBO ちょっと言葉で説明するのは難しいんですけど、服に対しての欲求なのかなと思います。最近思うんですけど、ヒップホップでもトラップが出現して、昔とは音楽の作り方もかなり変わってきていて。それと同じように、服も昔とは作り方が変わりましたよね。今や「パターンが」とか「生地が」っていう時代ではないじゃないですか。もしかしたら、あの当時のアンダーカバーとかナンバーナインみたいな服の作り方をするデザイナーは現れない可能性もあるのかなって。尖ったラッパーとかがその辺に興味を持っているっていうのは、その反動が現れてきていているのかなって思います。

POGGY 音楽とファッションの世界が完全にリンクしている話ですね。

COMBO そうだと思います。今はコードがどうとか、どういう解像度でサンプリングしてとか、そんなことを考えて曲を作っている人なんて少ないじゃないですか。僕はどっちかと理屈っぽい音楽が大好きだったから、今、洋服に対してもそう感じるんですよね。

POGGY あの当時の日本のブランドって、曲を作っている感じで服を作っていましたよね。だから、そういうヒップホップの人たちが響くポイントがあるのかなと。

COMBO そうですね。実際、そういうコンセプトでやっていたと思うので。

POGGY 最後に、ファッションに限らず、COMBOさんが今後やっていきたいことってありますか?

COMBO 何か音楽に携わることはやりたいなと思いますね。HIPHOPはもちろんですが、みんながみんな同じところを向いてきてるので違ったアプローチをしたいと思います。例えば、最近ヴァージルがDJ Harvey(DJハーヴィー) と一緒にやったりしているところを見ると痺れます。僕もヌビアンを通して、自分の音楽感と服をリンクさせて、何か出来ないかなって思っています。 もう自分自身、伝えていく側の世代でもあるし、そういう立場でもありますからね。

           
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