新連載|POGGY’S FILTER|vol.1 VERBALさん(前編)
FASHION / MEN
2019年3月26日

新連載|POGGY’S FILTER|vol.1 VERBALさん(前編)

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UNITED ARROWS & SONS(ユナイテッドアローズ&サンズ)のディレクターとして、日本国内のみならず、アメリカやヨーロッパなどワールドワイドに活躍し、今や世界のファッションシーンを牽引する存在でもある、小木“POGGY”基史氏。昨年、ユナイテッドアローズ&サンズの業務と兼任しながら、自らの会社を立ち上げ、ビジネス的にも新たな道へ進み出した彼が、今、興味を持つ様々な人たちから話を伺う対談連載をスタートする。その第1弾の対談相手として選んだのが、アーティスト/プロデューサーとしてm-flo、TERIYAKI BOYZ®、PKCZ®、HONEST BOYZ®の一員として活躍する一方で、自らCEO/クリエイティブディレクターを務めるブランド、AMBUSH®(アンブッシュ®)をパートナーであるYOONと共に運営し、音楽、ファッションの両面で最先端を走り続けているVERBAL氏だ。

Interview by KOGI “Poggy” MotofumiPhotographs & Text by OMAE Kiwamu

ボストンでヒップホップを知り、ファッションと音楽に目覚めた少年時代

POGGY 今、ラグジュアリーストリートの流れが世界のファッションシーンのメインになってきているわけですが、なぜこのムーブメントが起きているのかが、世の中にあまり伝わっていないと思っていまして。その中で、例えば日本でもいろんなことが起きていて、海外へも大きな影響を与えていたっていうことも、この連載では伝えられるようなものにしたいなと思っています。その記念すべき第一回は、昔からお付き合いさせていただいてるVERBALさんに、これまでのことであったり、ご自身のブランドのアンブッシュ®についてもいろいろと聞かせていただければと。どうぞよろしくお願いします。

VERBAL こちらこそ、よろしくお願いします。

POGGY 海外のアーティストの窓口的な役割を、日本ではずっとVERBALさんが担ってきてたような気がしています。その一方で、ファッションの重要性っていうものにも早い段階から気付かれていたと思うのですが、VERBALさんがファッションと音楽に目覚めたのっていつ頃からですか?

VERBAL 1985年、僕が10歳の頃、ボストン市内のサマーキャンプへ行ったのですが、そこで若い子たちがブレイクダンスをしていたんですよ。同じ年齢くらいの子達が肩にラジカセを持って、ナイキのトラックスーツを着て、ジャラジャラとジュエリーを付けていて、流れていた音楽がヒップホップで……と、全てがカルチャーショックでした。自分が格好良いって思えるものが、全部同時にスト〜ンって入ってきました。それが僕のファッションと音楽の始まりです。デンジマンのズック(靴)を履いてボストンへ行った僕が日本に帰って来る頃にはナイキのスニーカーを履いていました(笑)。

POGGY デンジマンからナイキ(笑)。90年代を経て、2000年代中盤くらいに、ファッションではThom Browne(トム・ブラウン)からアイビーの流れみたいなのが来ていた時がありました。トム・ブラウンってセレクトショップ系の人たちは着ていたと思うんですけど、ストリート系の人たちは全く知らないような存在だった時に、VERBALさんはトム・ブラウンをいち早くファッションとして取り入れてましたよね。しかも、他の人たちとはちょっと違う着こなしだったのを覚えています。どうやって、そういったブランドに目をつけたんでしょうか?

VERBAL 小学生でヒップホップを知って以降、ヒップホップやスケートファッションにハマッていきました。その頃のヒップホップのファッションって、Big Daddy Kane(ビッグ・ダディ・ケイン)やSlick Rick(スリック・リック)みたいに、ブランド物のプリントが入っているスーツに、ジャラジャラとチェーンを付けるっていう感じでしたよね。そういった、ハイソサエティなんだけども、ストリートなエッジがあるような、ちょっとハズした正装みたいな格好っていうのに昔から憧れていて。かつ、トム・ブラウンが作っていた、どこかちょっとパンクで、なんか様子のおかしいプレッピーな感じがすごいツボだったんですよね。これぞ自分の理想としている、品のあるエッジの効いた正装だなと思って、取り入れていました。

POGGY’S FILTER

POGGY しかも、そこに大きなジュエリーを合わせたりもしていて。当時、そういう着こなしをする人ってほとんどいなかったと思います。ジュエリーってVERBALさんにとって、すごく大切なアイテムでしょうし、それで海外でも戦っていったと思うのですが、何でそういうのを作ろうと思われたのか、ブランドを始めたきっかけも含めて、改めてお聞かせください。

VERBAL 先ほど名前の出たスリック・リックやビッグ・ダディ・ケインもそうですが、80年代のヒップホップの人たちはトラックジュエリーと言われる、豚っ鼻(ピッグノーズ)のチェーンを使ったデッカいジュエリーをしていて。「こんなのどこで買うんだろう?」って、子供ながらに思っていました。音楽の仕事を始めた時に、改めてああいうのが欲しいなって思ったのですが、なかなか売ってるお店がないんですよね。売ってても、ちょっとデザインがベタすぎる。だから思い切って、自分でジュエリーのカスタムを始めてみたのがきっかけですね。最初はアメリカでカスタムしてみたんですけど、戻ってきたものがすごくダサくて(笑)。

POGGY (笑)

VERBAL そんな頃、たまたま自分がジュエリーを始めるきっかけになった、御茶ノ水でジュエリーショップをやっている職人さんとの出会いがありました。僕が「こんなジュエリーを作りたいんですよ」って言ったら、「じゃあ、一緒に作るの手伝ってあげるよ」って。それで自分の思いや、デザインを彼に伝えながら始めて、最初に出来たのがクラウン・リングですね。そこから、どんどんとエスカレートしていって、ウェアラブル・ポップアートみたいなテーマで、自分が着けるんだったら、アートを背負ってるぐらいな感じなものを作りたいなと思ってやっていました。

POGGY ブランドとしては、アンブッシュ®よりもAntonio Murphy & Astro®(アントニオ・マーフィー&アストロ®)のほうが先ですか?

VERBAL そうですね。もともと、アンブッシュ®はブランドじゃなくて、YOONとふたりでやっていたデザインチーム名なんです。ブランドを作る時に、アンブッシュ®って名前でやっちゃうと、そのままだなと思ったので、アントニオ・マーフィー&アストロ®というブランド名にして。結局、今はアンブッシュ®に戻ってますが。

POGGY 当時、たしか、Kanye West(カニエ・ウェスト)がVERBALさんのデザインしたネックレスをしてたと思うんですけど。カニエと会ったきっかけは、あのネックレスですか?

Page02. カニエ・ウェストとの出会いから、ジュエリーブランドの立ち上げへ

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カニエ・ウェストとの出会いから、ジュエリーブランドの立ち上げへ

VERBAL FENDI(フェンディ)が東京でパーティをしたタイミングで、カニエも日本に来たことがあったんですよ。その時にSilvia Fendi(シルヴィア・フェンディ)さんとか、皆さんで一緒にご飯を食べる機会があって、そこで、カニエが僕のしていたネックレスに興味を示したんですよ。その時はジーザスピースをモチーフにしたマイケル・ジャクソンのネックレスをしていたんですけど、「それ、どこで作ったんだ?」って聞かれて。「これは自分のブランドのネックレスで、自分で作ってるんだ」って答えたら、「明後日帰るから、それまでにもう一個作ってくれ」って。さすがにそれは無理なんで「あとで送るから」ということになり、それからカニエとの関係が始まりました。

POGGY そういうタイミングでカニエと知り合ったんですね。

VERBAL その後、カニエとは音楽の面でも繋がって、TERIYAKI BOYZ®で一緒にスタジオ入るんですけど。その時もファッションの話になって、彼からいろんな質問をされました。「なんでこういうの出来ないの?」とか、「もっとこういうのないの?」とか。あと、カニエの「Stronger」(2007年リリースのシングル)のビデオでサングラスを提供したのも僕だったりするんですよ。「そんなに持ってるなら貸してよ」って言われて。

POGGY あれは、alain mikli(アラン・ミクリ)でしたっけ?

VERBAL そうですね。あと、横にブランド名が書いてあるJeremy Scott(ジェレミー・スコット)のサングラスとかも貸しました。結局、返してくれないまま持って帰っちゃいましたけど(笑)。

POGGY’S FILTER

POGGY あと、カニエがPastelle(パステル)っていうブランドを立ち上げようとして、いろんな日本のブランドに「サンプルを作ってくれ」って声をかけていたことがあったじゃないですか。例えば、PHENOMENON(フェノメノン)にサンプルを作ってもらったけど、結局、製品化されなかったみたいなことが、多分、いろんなところで起きていたと思います。VERBALさんにもカニエからそういったオファーはありましたか?

VERBAL ありましたね。ジュエリーで「もっと、こういうこと出来ないか?」みたいに、いろいろとリクエストされました。その当時、カニエの友人のために「これを作ってくれ」とか言われたりして、色んなものを作りました。結局、全て製品化されませんでしたが、その密なコミュニケーションを通して沢山のデザインアイデアが誕生しました。

POGGY (笑)

VERBAL 当時、カニエが自分のジーザスピースの顔の部分を肌色に塗装したりとか、ちょっと変なジュエリーを作ってたんですけど、ある時、「ゴールドの地金を別の色で塗装するのはどうか?」という話になって。でも、金を上から塗装しても、高いだけで誰もハッピーじゃないし、別に金じゃなくても良くない?って。それで、何か他素材の地金でサンプルを作ったのが「POW!®」のリングだったんですよ。

POGGY そうだったんですね。

VERBAL あと、ジーザスピースを真っ黒な素材で作りたいってカニエがリクエストしてきたので、それを樹脂で作ってサンプルを渡したら、それをそのままJay-Z(ジェイ・Z)にあげてしまった。ジェイ・Zがそれを付けたことで、世界中でパクられて終わるっていうこともあって(苦笑)。そんな流れのなかで「POW!®」を作って。カニエも「これ、良いじゃん。もっと作れば?」って感じで。僕が作った「POW!®」を、カニエが自分で着けたり、他のアーティストにもあげたりとかしてたら、いきなりそれが流行りだしたという流れです。

POGGY 一気に広がりましたよね。

Page03. アンブッシュ®〜困難を乗り越えて、今、セカンドウェイブの到来

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アンブッシュ®〜困難を乗り越えて、今、セカンドウェイブの到来

VERBAL 僕はただ友達のために作っていたような感覚だったんですけど、それがHYPEBEAST(ハイプビースト)とか、いろんなところに載り出しちゃって。それで、Colette(コレット)のSarah Andelman(サラ・アンデルマン)から連絡がきたり、日本でも小木さんとか、いろんな方たちからお話をいただきましたよね。アメリカでは、Virgil Abloh(ヴァージル・アブロー)がシカゴのRSVP(RSVP Gallery)で一番最初に置いてくれました。まだOFF WHITE(オフ・ホワイト)とかPYREX VISION(パイレックス・ヴィジョン)が始まるずっと前の話ですね。そうやって、気付いたらブランドが出来ていた感じです。

POGGY 当時、日本のブランドでは、SWAGGER(スワッガー)とかは結構早くから海外に出てた感じがありますけど、まだまだストリートブランドが多かったですよね。もう少しラグジュアリー寄りで海外に行った日本のブランドって、多分、僕の記憶だと、アンブッシュ®が最初なのかもしれないなと思っています。

VERBAL そうかもしれません。僕たちも、気付いたら海外のアカウントがいくつか出来ていて。でも、ファッションのサイクルとか、いつリリースするのかとか、コレクションがメンズとウイメンズあるとか、そういうルールを全く知らなくて。とりあえずジュエリーを作って、細々とやっていただけで。小木さんがリカー、ウーマン&ティアーズ(Liquor,woman&tears)でお仕事されてた時に、ふらっとお店に伺って、「こんなのやってますけど、どうですか?」みたいな。

POGGY お店にいたら、サンプル持ってきてくれたんですよね。「うわっ、VERBALさんだ!」って、僕もびっくりしました(笑)。

VERBAL そうやって突然売り込みに行ったりとか、めちゃめちゃラフにやってました。まだ趣味の延長っていうのもあったんですけど、そこから始めていくうちに、段々とちゃんとブランドとしてやろうっていうことで、2015年に初めてパリで展示会をやりました。それをきっかけに、パリコレのタイミングでメンズで見せるようになって、今はウィメンズもやってます。

POGGY’S FILTER

POGGY 今の話だけ聞いてると、なんかすごく良い感じで進んできた印象ですね。実際、ジュエリーって洋服と違って、ロットも必要だと思いますし、あの時代にああいうジュエリー作るのって、かなり大変ではなかったですか?

VERBAL そうですね。

POGGY ジュエリーって工業製品に近いじゃないですか? それを毎シーズン、面白いことをやっていくために新しい型を出したり、日本の職人さんと話したりというのは、いかがでしたか?

VERBAL 多方面で大変でした。職人さんに「なんでそんなの作るの?」って言われたり(笑)。あと、海外だと「面白い」とか「良いな」と思ってもらえたら、先入観無しで買ってくれるんですけど、日本だと「この製品のストーリーは?」とかいろんなことを聞かれる。僕は結構シンプルな考え方なので、「良ければいいじゃん」って思ってたんですけど、やっぱり日本って、そういうのを大事にするんだなって改めて思ったりもしました。

POGGY 確かに、そういうのって日本っぽいですね。

VERBAL あと、当時、自分の会社で自給自足でやっていて。売れるとその分、生産しなきゃいけないので、必要なお金を自分ですぐにつぎ込んで。一度、パリに行った時は、あまりに出費が多すぎて、その後のコレクションを一回スキップしたこともあります。「そろそろ会社が潰れるんじゃないか?」って思った時も、2、3回ありましたし、相当痛い目に遭いながらやってきました。けど、YOONはブレないんで。何があろうが「とりあえず、やるでしょ」って一緒に進めてきました。それがあったからこそ今がある感じですね。

POGGY そういった難しい状況を抜け出せた、何かきっかけみたいなのってありますか?

VERBAL いろいろと吹っ切れたからですかね。以前は「こうしないと」っていう固定概念に捉われていたと思います。あと、今までも、もっと上に行けたタイミングもあったと思うんですけど、その時に賭けに出なかったりとか。そういう反省も経た上で、今はセカンドウェイブが自分たちのブランドの中で来ている感じがします。2018年の3月に、初めてAmazon(アマゾン)さんと一緒にアンブッシュ®のファッションショーをやらせていただいたんですけど、それでブランドの世界観がすごく伝わって。その後、YOONがDior Homme(ディオール・オム)のジュエリーデザイナーに就任したことでも、大きなバズが出来て。自分たちのショップがあることで、そこに来ているお客さんの反応とかも如実にわかるんですよ。勇気を持って「これ、行くでしょ!」って感じで、いろいろと商品を増やしていくと、ちゃんと率直に反応が返ってくる。今は、それがすごく楽しいですね。

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