連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第19回『君の名前で僕を呼んで』

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第19回『君の名前で僕を呼んで』

牧口じゅんのシネマフル・ライフ

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第19回 恋する者たちの桃源郷をみずみずしく描く

『君の名前で僕を呼んで』

1980年代の北イタリアのとある避暑地。17歳のエリオは、17世紀に建てられた瀟洒なヴィラでいつものように夏を過ごしていた。いつもと違ったのは、美術史学者である父が招いた24歳の青年オリヴァーとの出会い。二人は、互いへの好意と関心を隠しながらも、自らの抑えられない気持ちに戸惑い悩みつつ、やがて心を通わせるようになる――。丁寧な心理描写と美しい映像で、恋の喜びと痛みを繊細に描く青春映画の傑作だ。

Text by MAKIGUCHI June

もう取り戻せない、もどかしいほどの繊細な時代

脚本がジェームズ・アイヴォリーによるものだと聞けば、もどかしいほどの繊細さと、粋で機知にとんだ会話にも思わず納得するだろう(原作はアンドレ・アシマンの同名小説)。

恋する人間が持つ独特の感情、例えば「好き」と「嫌い」、「喜び」と「失望」の間を行ったり来たりする波打つような感情の変化や、手探りしながら進んでいく慎重さと思いあまっての大胆さといった相反する要素を、実に知的に、だが官能的に、洗練されたタッチで描き出しているのだ。

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粋な会話といえば、タイトルにもなっている「君の名前で僕を呼んで」とは、なんと詩的でロマンティックな表現だろう。二人が心を通わせた後、オリヴァーがエリオに対して囁く愛の言葉だ。

“Call me by your name and I’ll call you by mine.”

以来彼らは、二人きりのときにだけ、互いを相手の名前で呼ぶ。それは、密やかに交わされる恋人同士の合言葉なのだ。想いを通じ合わせた二人の青年の喜びようは、観ているこちらの心まで躍らせる。

その麗しい姿を差し引いたとしても、幸せに浸る彼らは何ともまばゆい。それは、オリヴァーとエリオの抑えきれない喜びに、誰もが自らの心の奥に忍ばせてきた青春のきらめきを思い出さずにはいられないからだろう。

この物語の美しさは、青年たちが戸惑いながらも体験する複雑で初々しい感情の数々を賛美しているところだ。

それはまさに、人間を人間たらしめているものなのだ。

さらに、最後に父が息子に贈る言葉のなんと美しいこと。新しい感情を経験したばかりの息子への羨望と誇らしさ、愛情が言葉の端々ににじみ出ている。

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複雑な感情を持つことが人間の証ならば、それを決して否定しないことも人間だけに与えられた知性だ。

二人の関係は密かに深められていくが、エリオの両親はそれに気づきつつ、息子の変化を静かに喜び、戸惑う彼の背中をそっと押すようにして成長を促し、見守る。両親の願いは、恋によって知った胸をえぐられるような痛みも、叫びたくなるような喜びも、決して忘れずに生きていける人間になること。

それを心から願ってくれる人々に囲まれた人生は、どれほど幸せなものだろう。痛みすら大切にして生きていけるなら、エリオにもオリヴァーにも、きっと素晴らしい人生が待っているはずだ。

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ここで描かれるのはある種の理想郷である。桃や同種の植物がモチーフとして多く登場するので、桃源郷と呼ぶ方がぴたりとくるだろうか。

もし、人々が妙なプライドやこだわりから解き放たれ、本質だけを求め、あるがままを喜ぶことができるならば、それを現実のものとすることも決して不可能なことではないのではないか。それとも、そんな世界を求めること自体が、ナイーヴすぎることなのだろうか。

もしかすると、桃源郷を夢見ることができることが青春なのかもしれない。成長した者たちにしてみればそれは二度と戻ることができない場所なのだ。だからこそ、この映画はここまで眩しい。

唯一無二のひとときと、そしてそこから生まれた愛すべきエモーション。本作の中で存分に描かれているその尊さを感じることができるのは、大人の特権だと言えるのかもしれない。

★★★★★
二度と戻らない青春期のきらめきを閉じ込めた傑作。

『君の名前で僕を呼んで』
監督:ルカ・グァダニーノ
出演:ティモシー・シャラメ、アーミー・ハマーほか
配給:ファントム・フィルム/提供:カルチュア・パブリッシャーズ、ファントム・フィルム
©Frenesy, La Cinefacture
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牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。

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