祐真朋樹対談|Vol. 6「キャシディ ホーム グロウン」八木沢博幸さん

祐真朋樹対談|Vol. 6「キャシディ ホーム グロウン」八木沢博幸さん

祐真朋樹対談

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原宿に僕の大好きな店がある。その名も「キャシディ ホーム グロウン」。この店の仕入れから販売まで、そのすべてを手がけるのが八木沢博幸さんだ。僕は八木沢さんを尊敬している。アメリカの洋服や雑貨が大好きで、その「好き」の延長で、30年もの長きに渡り、原宿で店をやってきた八木沢さん。マニュアルではない、誠実な接客も神業である。思えば僕は、上京してすぐのころから、ずっとお世話になってきた。今回はその八木沢さんに、仕事について、そしてほんのちょっとプライベートなことも、訊いてみた。

Interview by SUKEZANE Tomoki

学生時代の夢はグラフィックデザイナー、だったのだが……

祐真朋樹(以下、祐真) そもそも、「キャシディ」に入社したのは、いつごろなんですか?

八木沢博幸さん(以下、八木沢) 正式に入ったのは、たしか1979年ごろだったと思います。

祐真 正式っていうのは??

八木沢 最初はちょっと手伝っていたというか……。僕はお茶の水の東京デザイナー学院というところに行っていたんですね。グラフィックデザイナーになりたくて、グラフィックを勉強していたのですが、でも洋服も大好きな学生でした。当時は足立区のおばさんの家に居候して、そこから学校に通っていたので、途中、しょっちゅうアメ横で下りて、あちこち散策していました。舶来ものといえばアメ横、という時代です。そして、学校を出てから2年くらいはグラフィックの会社に勤めていたんですが、やっぱり洋服やりたいな、と思って。あれ、こんなにあちこち飛んじゃっていいのかな?

祐真 全然いいです(笑)。どんどん話してください。

八木沢 アメ横に通っていたころ、「ルーフ」っていうお店があったんですよ。

祐真 ありましたね!

八木沢 「ミウラ&サンズ」と「ルーフ」があって、そこにはよく通いました。今年、うちでも扱っていますが、「トレトン」とかもそこで買った思い出があります。

祐真 はいはい。

八木沢 そのころ、ルーフは社員を募集していたんです。それをアルバイトニュースか何かで見て、御徒町の「東京輸入商ビル」というところに面接に行きました。僕、アメリカものが好きだったんで、洋服や雑貨のインポートに係わる仕事に就けたらいいな、と思ったんです。でも面接で落とされて。そのときたまたま、いまの会社の社長(当時。現会長/以下同)が来ていて、「じゃあうちに来ないか」ということになりました。ちょうど原宿にお店を出そうかどうかというときだったんですね。当時は「ミドリヤ」という社名でした。あ、いまでもうちの会社の名前はミドリヤですけどね。

祐真 ん? ルーフとは全然関係なく、いまの会社の社長がその場にいたんですか?

八木沢 そうなんです。細かい話ですが、ルーフは小売りだけでなく卸しもしていて、うちの社長はそこから卸してもらっていたんですね。たまたま買い付けに来ていたところに僕が居合わせたという感じです。それが縁で、ということですね。

祐真 ああ、なるほど。それでミドリヤという会社に入社したんですね。洋服屋さんで働くのは、それがはじめてだったんですか?

八木沢 そうです。ミドリヤというのは「キャシディ」の親会社であり、当時、大井町にあった店の屋号でもありました。

祐真 それで八木沢さんは、原宿の店からスタートするわけですか?

八木沢 最初は大井町の店にいました。原宿の店はまだできて間もないころです。おなじ時期に、同い歳のTさんという方がいて、彼は僕が落ちたルーフに採用になったんですが、もともと大井町のミドリヤの常連さんだったんですよね。

祐真 なるほど。

八木沢 「バラクータ」や「トップサイダー」をたくさん持ってるお洒落なひとで。彼は常連さんだったこともあり、じつはミドリヤに入りたかったらしいんですが、ルーフに採用になりました。僕よりずっと知識もあって、たくさん話題のアイテムも持っていたんです。彼はいま、三軒茶屋で自分のお店をやってます。

祐真 あ、僕、その方知ってるかも。京都出身の方ですよね

八木沢 そうそう。お洒落でハキハキした方です。ルーフとミドリヤの社長ふたりが話し合って、「八木沢はおとなしいんで大井町、Tはテキパキしてるからアメ横がいいんじゃないか」ということで、そういう採用になったそうです。この話は、ごく最近知ったことなんですけどね(笑)。

祐真 せっかくグラフィックの勉強をしたのに、結局、洋服のほうに移っていったというのは何だったんでしょうね? 自分が着る服にすごく興味があったということですか?

八木沢 う~ん、なんなんでしょうねぇ。もともと雑誌『流行通信』とか、「PARCO」の広告のグラフィックが好きだったんです。山口はるみさんの作品とか。あと『花椿』も大好きでした。化粧品にはまったく興味はなかったんですが、グラフィックとかタイポグラフィーが素晴らしくてね。考えてみれば、僕の好きなグラフィックの作品って、全部ファッションとリンクしていたんですよね。操上和美さんとか浅葉克己さんの作品にも、とても影響を受けました。そういうものを見ているうちに、どんどん洋服のほうに惹かれていってしまいました。

祐真 八木沢さんが入ったグラフィックの会社は、そういうものは作っていなかったんですか?

八木沢 そうなんですよね。学生のころは、講師の先生の口利きで、『平凡』だったか『明星』だったかの歌本のレイアウトなんかのアルバイトをしていました。会社に入ってからは、写植といって、文字の切り貼りなどをさせられまして、「なんか、思っていたグラフィックとちがうな~」という思いが募りましたね(苦笑)。ただ、その会社のトップはアメリカに滞在経験のある方で、事務所には海外の雑誌がいっぱいあったんです。アメリカの『GQ』とか『Esquire』とかがたくさん見られて、「あ~、やっぱり洋服の世界っていいな~」と憧れました。

でも実際やってたのは、ピンセットで細かい活字を拾う仕事ですからね。ひらがなの「は」の右と左の間隔を詰める、とかね。徹夜も多かったし、印刷の世界は甘くはありませんでした。つまり、グラフィックというよりむしろ、印刷の世界だったんですね。なので、そこではいわゆるグラフィックは全然学べなかったけど、物を作る大変さだけは学んだと思います。印刷物って、みんな普段、当たり前のように見ているけれど、出来上がるまでは大変なんだな~とわかりました。

祐真 へ~。ところで八木沢さんが実際に自分のファッションに興味をもちだしたのは、いつごろからなんですか?

八木沢 僕は東京で生まれたんですが、子供のころは栃木で過ごしました。日光のすぐそばなんですが。日光高校を出て、また東京に来たんです。

祐真 東京のどのへんで生まれたんですか?

八木沢 日本橋浜町の近くです。でも生まれてすぐ川口に移って、そのあとまた小学校に入るころに日光の近くに引っ越したんです。なので、東京生まれではあるんですが、田舎者なんです。

祐真 日光で中学・高校と過ごしたんですね。

八木沢 はい。日光って、観光に来る外人さんもいっぱいいるんですよね。東照宮とかを見に。だから、田舎なんだけど、超おしゃれな外人さんの洋服はたくさん見てました。バスの中から、おしゃれな外人ウォッチングして「いいな、いいな」と思ってました。そういうひとたちの影響をすごく受けましたね。

祐真 アメリカ人が多かったんですか?

八木沢 アメリカ人なのかヨーロッパの人なのかは判別がつかなかったんですけど、東武鉄道の駅にいると、外人さんがバーっと降りてくるんですよね。「外人」ってひとくくりにしたら失礼ですけど(笑)。

祐真 ‘70年代中盤ですかね?

八木沢 そうです。『MADE IN USAカタログ』なんかが出る前です。

祐真 となると、もう何にもなかった時代ですもんね。

八木沢 そうです。学校の帰りにそのまま東武線に乗って、アメ横までよく行ってました。

祐真 そのころ、最初に買ったものってなんですか?

八木沢 「SEBAGO(セバゴ)」のペニーローファーです。本当は「BASS(バス)」のが欲しかったんですが、バスを買っちゃうと帰りの電車代が足りなくなっちゃって(笑)。

祐真 セバゴのほうが安かったんですね(笑)。

八木沢 ええ。「はなかわ」という店で買いました。覚えています。

祐真 何色を買ったんですか?

八木沢 茶色です。でも学校は黒しか履いちゃいけなかったんで、結局ほとんど履きませんでした。

祐真 そのころはもう、雑誌の『MEN’S CLUB』はあったんですか?

八木沢 ありました。読んでましたね。

祐真 当時、ファッションの情報はどこから得てたんですか? 雑誌ですか?

八木沢 雑誌もそうですが、やっぱりお店のスタッフからの情報が大きかったですね。

祐真 ミュージシャンとかからも影響を受けましたか?

八木沢 ん~、むしろテレビですかね?

祐真 外国ドラマですか? 『わんぱくフリッパー』とか??

八木沢 (笑)そうですね、『じゃじゃ馬億万長者』とか(笑)。カウボーイが出てくるドラマとか、『スーパーマン』とか『ペイトンプレイス物語』とかを観ていましたね。かっこいいな~と思いながら観ていました。

祐真 映画もたくさん観ました?

八木沢 映画はあんまり観なかったですね。18歳で東京に出てきてからは、たくさん観ましたけどね。

祐真 なるほど。高校生のころ、学校が休みの日はどんな格好をしていたんですか?

八木沢 僕はバスケットボール部だったので、毎日がバスケットボール漬けでしたね。

祐真 ああ、背がありますもんね。何センチですか?

八木沢 180cmですね。歳をとって、ちょっと縮んじゃったかもしれないけど。バスケ部のなかでは一番ちっちゃかったです。一応レギュラーだったんですが、運動神経がいい奴はみんなアイスホッケー部に入ってたので、あんまり強いチームではなかったですね。

祐真 へえ。バスケとかアイスホッケーとか、アメリカの学生がしているスポーツ、って感じがしますが、そのあたりの興味もあったんですかね? かたちに憧れる、みたいな。

八木沢 まさしく僕はそうでした(笑)。

祐真 「スーパースター」とか履いてたんですか?

八木沢 スーパースターのハイカットは、当時「プロモデル」という名前で呼ばれていて、それは高田馬場まで買いに行きましたね。店名を忘れてしまいましたが、バスケの専門店があったんです。

祐真 へ~。

八木沢 格好から入ってましたね。でもうちの高校の体育館はスーパースターだと滑っちゃって(笑)。「オニツカ」とかのほうが全然よかったみたいです。

祐真 僕の中学時代も、バスケ部の友だちはみんなオニツカを履かされてましたね。彼らは「ファブレ」というモデルを履いてた記憶があります。

八木沢 当時の高校バスケは明大中野が強くて、明大中野の連中はみんなオニツカを履いてました。「なんだ、やっぱりオニツカじゃん」みたいな(笑)。アディダスは一蹴されました。

祐真 洋服で当時買ったものって覚えてますか?

八木沢 僕、兄がいるんですけど、僕とちがって、兄は「JUN(ジュン)」とか「DOMON(ドモン)」とか、そういうブランドが大好きだったんです。

祐真 お~、コンポラですね~。お兄さんは何歳上なんですか?

八木沢 3つ上です。アニキは僕とは趣味もちがうし、洋服にそれほど興味もなかったみたいなんですが、でも当時はアニキのお下がりをもらうしかなかったんですよね。

祐真 お兄さんの身長は?

八木沢 おなじくらいです。高校に、兄のお下がりの衿の長いジュンのシャツを着ていって怒られたこともありました。

祐真 へ~、おもしろいですね。ジュンのシャツを着ているときの、八木沢さんの心中はどんな感じだったんですか?

八木沢 そのころ、ジュンはすごく格好いい広告がテレビでも流れていて、あれには憧れました。憧れはしたんですが、「田舎にこれはないな」とも思っていました(笑)。エレガント過ぎて。

祐真 リチャード・アヴェドンですもんね。

八木沢 かっこよかったですよね。衝撃でした。あのころ、ジュンとか「RENOWN(レナウン)」とか、広告がめちゃめちゃ格好良かったですよね。むしろ洋服よりカッコよかった。

祐真 そうですよね。でもカッコいい広告って大事ですよね。

八木沢 ええ。ビジュアルは大事だと思います。

祐真 ビジュアルと言えば、店に飾ってある八木沢さんのデザイン画が僕はすごく好きなんですけど、あれはどういうときに描くんですか?

八木沢 僕はファッションドローイングは習ったことないんで、自己流なんです。その時々の商品からイメージするものを勝手に描いています。

祐真 あれは何を使って描いているんですか?

八木沢 水彩だったりパステルだったりクレヨンだったり……まあいろいろです。家でササッと描いてます。おじいちゃんのドローイングみたいに(笑)。

祐真 これまでの作品は全部ファイリングしてたりするんですか?

八木沢 いやいや、そんなことしてないです。

祐真 ちゃんとファイリングしたほうがいいんじゃないですか? 僕、すごく好きです。

八木沢 たまに「欲しい」なんて言ってくれる人もいて、そういうときにはカラーコピーして渡してます。集めてたりするひともいるんです、ありがたいことに。

祐真 へ~。その気持ちわかります。今度、僕にもください。

八木沢 いやいや、そんな大層なものじゃないんですけどね。

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店内には八木沢さんのドローイングのほか、工夫を凝らしたディスプレイがほどこされている。ファンにとっては、それを見るのもキャシディ ホームグロウンを訪れる愉しみになっている。ちなみにドローイングは「休みの日に家で書いてます」とのこと

Page.2 八木沢さん、グラフィックからファッションの世界へ

ABOUT
SUKEZANE Tomoki

1965年京都市生まれ。(株)マガジンハウスのPOPEYE編集部でファッションエディターとしてのキャリアをスタート。現在は『UOMO』『GQ JAPAN』『Casa BRUTUS』『MEN’S NON-NO』 …