BE@RBRICK INU 400%/MLE × INU “メシ喰うな!”発売記念 町田康インタビュー | MEDICOM TOY
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2023年6月5日

BE@RBRICK INU 400%/MLE × INU “メシ喰うな!”発売記念 町田康インタビュー | MEDICOM TOY

MEDICOM TOY|メディコム・トイ

INU 『メシ喰うな!』から約40年、当時の思い出を語ってくれた

INU『メシ喰うな!』のアルバムジャケットをモチーフとした、BE@RBRICKやMLEのアイテムが発売される。それを記念して町田康氏が登場! 今だから聞けた、今だから語ってくれた興味深い話が満載です。

Text by SHINNO Kunihiko|Photograph by YOKOKURA Shota|Edit by TOMIYAMA Eizaburo

嬉しい気持ちもあるからね。人間やから。そういうことです。

1981年3月1日、アルバム『メシ喰うな!』で鮮烈なメジャーデビューを飾ったパンクバンド、INU。結成時よりメンバーチェンジを繰り返したINUは、アルバムリリースの3ヵ月後に解散してしまうが、同作がその後の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。
今回、黄色の背景にヴォーカル・町田町蔵(現・町田康)の顔写真のアップを配したジャケットをモチーフにしたBE@RBRICK、MLEのアイテムが発売されることを記念して、町田康氏に当時のお話を伺った。
町田康
1962年大阪府生まれ。高校生の頃から町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」のアルバム『メシ喰うな!』でレコードデビュー。俳優としても活躍。1992年、詩集『供花』(思潮社)発表。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表。翌年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。新刊に、日本神話をわかりやすくユーモアたっぷりの口語訳で生まれ変わらせた『口訳 古事記』(講談社)など。2023年度より武蔵野大学文学部専任教員を務める。

自分自身の資質として、かっこつけるのが嫌いなんです

──今回、INU "メシ喰うな!"のBE@RBRICK、およびアイテムが多数展開されますが、発表から42年経った今、こうした展開について、町田さんご自身はどのように思われましたか。
町田 ちょっと驚きがありますね。まったく想像もしませんでしたし、だいぶ時が経ってからこういうことになるというのは、びっくりしています。
──きっかけのひとつに、グラフィックデザイナーの編み物☆堀ノ内さんが個人的な趣味で『メシ喰うな!』のジャケット柄セーターを製作したことも大きいと思われます。あのセーターは大きな反響を呼び、のちに量産化されると即日完売。このたび再販売が決定しました。
あれはインターネットで偶然見つけて、へえ、こんなものがニットでできるのか、すごい、技術だなと思って写真を自分のインスタにのせたところ、本人がそうだねやったらええやろ、みたいな感じて販売されることになって(笑)
まあ、驚きともうひとつ。自分が昔やったことが、いまだに忘れられずに興味や関心を持ってもらえるというのは、気恥ずかしいながら嬉しい気持ちもあるというのが正直なところです。自分なんかええ歳ですし、途中から小説を書き始めたりして当時と違うこともしてますので。
──『メシ喰うな!』のレコーディングは1980年の10月〜11月におこなわれたそうですね。
町田 レコーディング時のことは、よく覚えてます。池袋のスタジオでやりましたけど、どういう風にやっていいのか分からんとこもあったんで、いろいろ試行錯誤しながら音作りして録りました。あの頃出てきたバンドはみんな、数字的に売れたいとか、そういうのより音楽で変わったことをしたいとか、おもろいことをやりたいとか、そういうのが先に立ってましたから。我々だけじゃなく。
──町田さんの歌声と歌詞は衝撃的でした。昨年出版された『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?』(NHK出版)によると、幼少期に読んだ『物語日本史』という歴史ものに始まり、北杜夫、遠藤周作、筒井康隆、大江健三郎といった作家の文章、古典芸能などから影響を受けて歌詞を書かれていたとあります。
町田 歌詞に関しては、その頃から自分が培った語彙をいろいろ活かせないかなと思ってました。当時17,8歳ですけど、例えば大江さんの小説とか、日本の古典的な表現とか、あるいは落語とか、そういうところからも全部ミックスしてやるというような感じのことをやろうというのは考えてましたね。
──英米のパンク/ニュー・ウェイヴの影響をストレートに感じる東京ロッカーズ勢に対して、INUを筆頭に関西ノー・ウェイヴ勢は、既存の音楽の概念を飛び越えた先鋭的なバンドが多かった印象があります。
町田 関西の方がバンドをやっているのは人数はいるけど、少ない分、より先鋭的になっていくというか。とか、ちょっと面倒い音楽が好きなやつが周りにもたくさんたんで、自分にも影響を受けたところはあります。
僕もバンドを始めた頃は何も知らなくてローリング・ストーンズのカバーとかやってましたけど、次第にCANとかキャプテン・ビーフハートとか、いろいろ聴かせてもらううちに僕がもともと持っている言葉と、ストレートな音楽と、面倒くさい音楽がミックスされて一緒になっていったような気がします。関西はそんなやつが多かったんです。腕は下手でしたけど、みんな変なことやろうとしてましたね。
──1979年には関西のバンドによるオムニバス・アルバム『DOKKIRI RECORD』(INU、ULTRA BIDE、ALCOHOL 42%、変身キリン、CHINESE CLUBが参加)も自主制作されています。
町田 200枚作ったんですけど、すぐ売れましたね。あのレコードは自分も持ってないです。
──そもそも「INU」というバンド名はどういう意図で付けられたんですか?
町田 もともとは漢字で「犬」と書いてたんです。要するに町田町蔵という前の名前もそうですけど、自分自身の資質として、かっこつけるのが嫌いなんです。人間ってのは格好悪い部分が九割九分で、ええとこなんて一分ぐらいしかないんですよね。その九割九分をなかったことにして、一分しかないように見せかけるのは欺瞞というかね。そういうのが16、7の頃から嫌いだったし、60歳になった今でも嫌いなんです。
今は聞き慣れてる部分もあるから「犬」というバンド名も普通に聞こえるかもしれないですけど、あの頃は「犬? ははは」って笑われたんです。みんなもっと横文字の名前つけてましたから、日本語いうだけで、だいぶあれでしたけど。「犬なんて名前つけて、お前らしいのう」とか、よう言われましたね。
時々「INU」と書く時もありましたけど、それはドイツのノイ(NEU)*1っていうバンドを好きやったからです。ほら、NEUの感じあるやろ、いうて。
それで『メシ喰うな!』出す時に、レコード会社の人が「INU」で行きたいと言われて。向こうも、お前ら俺らに逆らってどうなるかわかってるやろな、みたいな(笑)。そうは言わんけど。僕は名前にこだわりはないし、自分でも「INU」って書いた時あったぐらいだから、まあええんちゃいまっか、いうて「INU」になったんです。
*1:元クラフトワークのドラマー、クラウス・ディンガーとギタリストのミヒャエル・ローターにより1971年結成
──メジャーデビューにあたって、どんなことを考えられましたか?
町田 あの頃の関西のバンドでメジャーデビューしたのは、アーント・サリーというバンドをやってたPhewさんがいました。Phewさんは独自路線を貫いていて、PASS RECORDSで坂本龍一さんと一緒にやったシングルが、当時あったトリオというレコード会社から出たり(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)。それからTHE NO COMMENTS *2、ZIG ZAG *3がいました。
INUはジャパンレコードからメジャーデビューしましたけど、あの頃はまだバンドのビジネスも定まってなくて、どうやってやっていくのかも、あまり決まってなかったんです。だからINUもデビューするんやったらどこかプロダクションに入らなあかんのとちゃうか、みたいな話もレコード会社の人がしてたみたいですけど、僕は大体そういう時に言うこと聞かんもんですから(笑)。そんな感じでしたね。
*2:アーント・サリーのメンバーが結成したパンクバンド。その後メンバーチェンジを経て、スカ・ニューウェーヴバンドとして1980年、ビクター音楽産業からアルバム『ザ・ノーコメンツ』をリリース
*3:1981年、ジャパンレコードからアルバム『MADD POWER』をリリースした京都のスリーピース・ロックンロールバンド
──『メシ喰うな!』というアルバムタイトルは当時から強烈なインパクトがありました。
町田 「メシ喰うな!」という曲自体は、結成して割とすぐに作った曲で、前からやってたんです。だけど、なんで『メシ喰うな!』いうタイトルになったかは覚えてないですね。まあこのタイトルでよかったなと思います。やっぱり迫力ありますよね。
──レコードの帯に書かれた「メシ喰うな! 俺達を喰ってみろ!/俺達にカテゴリーなんか要らない!/激情のノイジィ・ビートを乱射し、今 浮上するマインド・ゲリラ達──イヌ」を考えたのはどなたですか?
町田 あれは鳥井賀句 *4です。
*4:音楽評論家/ミュージシャン。東京ロッカーズのムーヴメントの中でPAINを率いて活動。その後レコード・プロデューサーとしてINU、EASY WALKERS、THE POGO、ジョニー・サンダース等のアルバム・プロデュースを手掛ける。『メシ喰うな!』のレコーディング・レポートは著書『ワイルドサイドを歩け』に収録
──同時期に活動されていたザ・スターリンの遠藤ミチロウさんがINUの影響で「メシ喰わせろ」(ワルシャワの幻想)という曲を発表したり、当時ならではの独特の空気感がありますね。
町田 亜無亜危異 (アナーキー)も同じ頃にデビューしましたけど、藤沼(伸一)は僕がアナーキーについてどっかで話したのを読んで「話がしたい」と言ってきて。それで話して仲良くなったこともあります。真面目やったんでしょうね。彼も。
短い間でしたけど、70年代の終わりから84、5年ぐらいまでの間は、新しい音楽がいろいろ生まれている感じは、確かに当事者の間にあったように思います。大局的に見てるわけじゃないですから思い込みかもしれませんけど。
──解散後、当時のメンバーの皆さんとお会いすることはあるんですか?
町田 いや、会ってないです。ギターの北田(昌宏)はその後、JICC出版局(宝島社)でカセットブック *5を作った時に一緒にやりましたけど、それからもう30年以上会ってないですね。
*5:『どてらいやつら』町田町蔵from至福団/86年発表 ※「やつ」は男又表記

当時から今に至るまで、ある種の一貫性みたいなものはあったと思います

──『メシ喰うな!』はジャケットのデザインも鮮烈でした。アートディレクションは原耕一さん、フォトグラファーは半沢克夫さん。お二人は当時、YMOやサザンオールスターズのジャケットや宣伝広告も手がけています。
町田 ジャケットに関しては、あまり覚えてないですね。ジョナサン・リッチマンの顔のジャケットのアルバム(『Jonathan Richman and the Modern Lovers』)の感じに近いなとは思いましたけれども。
──ジャケットデザインについては、どのようにお考えですか?
町田 今はデザインの時代なんですよね。要するに新しいものを根底から生み出すというよりは、あるものをどう並べるかということなんですけれども、昔はもっと無から何かを作り出すという感覚の方が強かったような気がします。しかも情報が今ほどない時代ですから、アルバムジャケットから読み取れる気配で「ジャケ買い」いうて、よく分からないまま輸入盤屋で買ったけど、聴いてがっかりすることも結構ありましたから。
そういう意味で、自分が影響を受けたという意味で言うと、PUBLIC IMAGE LTD.の『METAL BOX』っていうアルバムが出たんです(79年リリース)。それはフィルムの缶にレコードが3枚入ってたんです。それで、あ、こういうふうにパッケージも表現なんやって、みんな思ったんです。パンク/ニューウェイブ系のバンドは、ソノシートで出したり、カセットで売ったり、パッケージを変えることによって、それ自体を自分たちの表現の中に包摂することが試みとして盛んに行われていた記憶があります。
──今回発売される『メシ喰うな!』のジャケットをモチーフにしたアイテムについてはいかがでしょうか。
町田 いや、僕は嬉しいけど、身につける人は大丈夫かな、変わり者やと思われへんかなと心配にはなります(笑)。ただまあ、自分はこういう音楽をこういうふうに聴いたんだという、時代に対する意思として、部屋に置くとか、纏うとかするのかなっていうのは想像します。
(缶バッジを手に取って)これなんか僕も若い頃つけたりしてましたよ。当時、BUZZCOCKSというバンドが好きで、バッジをつけて運転免許の教習所に行ってたんです。そうすると、その頃の教官は今と違って怖かったんです。見た目もパンチパーマで。それで僕のBUZZCOCKSが気にいらんかったでしょうね。「お前、なんやそれ。どういう意味や」言うから、いや、唸るちんぽですと答えたら「お前、頭おかしいんか」と呆れられました(笑)。まあ、英語分かるやつがそれ見たらそう思うんでしょうけど、それが当時の僕のひとつの生きる姿勢やったわけです。
──ちなみに、これまで『メシ喰うな!』の話を聞かれても、もうその話はしたくないという時期もあったんですか。
町田 ありましたね。聞かれることもそんなになかったですけれども。
──もう振り返ってもいいと?
町田 (目の前に広げられたグッズを見て)ここまでやられたらねえ(笑)
──今回の企画に許可を出されたのは?
町田 いや、結局みんな大事にしてるのはイメージなんです。アーティスト・イメージとかよく言うじゃないですか? 僕はイメージなんてくだらんものだと思ってたんです。「内容のないやつがイメージだけで人を騙して商売をしているが、俺は絶対そんなことはせん!」って16歳ぐらいのときから言うとったんです。それを周りのレコード会社の人間とかはみんな理解せえへんのですよ。僕の言うてることを。「そんなん言うてもイメージは大事でしょ?」いうて。
だから別にこういう自分の昔やったもんにこだわりがないっちゃないんです。大事にもしてないし、他人と一緒。「こんなんやられたら俺のイメージどうなんねん!」っていうのはないわけです。ただ、それを使って自分の商売にするのは嫌なんです。ほな、これ商売ちゃうんかいう話しやけど、僕の商売じゃないから。確かに幾ばくかのお金はもろてるけど、これメインちゃうから。語りたくないっていうのは商売にしたくないから。でも、頼まれてこういうことがやりたいですということやったら、最初に言ったように嬉しい気持ちもあるからね。人間やから。そういうことです。
──町田さんは俳優業もされていますが、確かに音楽活動においては町田町蔵や町田康を演じていないです。
町田 逆にファンの方がそれをやってくれたら安心するからね(笑)。やってほしいわけ。みんな。そやからその範疇の中でやってたら安定的に商売が順調にいくわけ。ただ僕は、いきなり小説書くとかね? そういうのもイメージにとらわれてると、どんなもんかと思われるんやろうけど、僕自身は昔からイメージなんてどうでもええと思っているから、自分の演劇はやらないということです。
そういう生き方がいいとか悪いとか、自分がそれを誇るとかいうことはないですけど、当時から今に至るまで、ある種の一貫性みたいなものはあったと思います。もうちょっと柔軟性があってもよかったかなと思う部分もありますけど。
──今のお話、インタビューに盛り込ませていただいてもよろしいですか?
町田 まあ、ええ感じで盛り込んでください。イメージ悪ならんように(笑)
──わかりました(笑)。グッズの話に戻りますが、最初にラインナップの提案があった時、これはやめてほしいというものはありましたか?
町田 スリッパはやめてと言いました。なんか自分の顔を踏みにじられるみたいでしょう? トイレットペーパーが予定になくてよかった(笑)。あとはデザインこんな感じですっていうのはいただきましたけど、僕の方からもっとこうしろとか当然ないし。まあ、いわゆる文化的アイコンとしてのことなのかなっていう感じがしますね。個人というよりも、80年、81年頃の文化のひとつの象徴というか。実際に僕らがやったこととは離れてるのかな、というのは率直にいうとあると思います。
──42年経った今だからこそ実現したと。
町田 そうですね。INUのことを語りたくないとか、聞くのも嫌や、見るのも嫌やという時期も確かにありました。でも、それは30代半ばぐらいまでですかね。まだ抜けきってなかったというか。たぶん転機は作家になった以降ぐらいからですね。あれはもう前の話やからとか。今はもう当時と別のことをやってる時間の方がはるかに長いですから。時間の長さも関係あるかもしれないですね。
──1980年代の文化はいまだに人気ですが、当時にしかない熱気を求めているようにも思います。
町田 あの頃のライブハウスの写真を見ると、客の目付きが違いますもんね。みんな睨んでるし、切迫感がある。今はみんなニコニコ笑って一体感という感じやけど、あの頃はそれぞれ孤独に一人で舞台と向き合ってますからね。社会的な求められ方にしても今とはおそらく質が違うと思います。若い人があの頃の音楽に何かを見出すとすれば、そういう今の時代にない切迫感を求めているんだろうな、というのは理解はできます。
──これから『メシ喰うな!』を聴かれる方に何かひとこといただければ。
町田 感じるのは自由ですから。どんな音楽を聴くときもそうですけど、自分の魂に響くものを自分の感受性のまま聴いてほしいです。
4年前に「夏の魔物」というイベントで、INUの曲ばかり4、5曲やったんですよ。歌えるかなと思ったんですけど、まあまあ歌えましたね。若いやつがバックをやってくれて、演奏も、ドラムとか昔より上手かったです。
──これからも機会があれば披露していただきたいです。
町田 まあ、金くれたらやりますけど(笑)。時が来ればやるかもしれませんし、このまま死ぬかもしれないし。
──バンド「汝、我が民に非ズ」の活動予定はどうなっていますか?
町田 あれはもう区切りをつけました。ただ、去年の三月ぐらいにアルバム一枚分はもう録ってあるんですよ。ミックスも終わって、いつでも出せる状態にはなってます。なんで出せへんかっていう理由は、自分でもようわからんのですけど(笑)
──今春から武蔵野大学文学部専任教員として着任されましたが、学生の皆さんの反応はいかがでしょう?
町田 講義のあと、学生がやって来て「先生、戸川純さんと知り合いなんですか?」って聞かれて。いちおう知ってるよと言うと、“戸川純と知り合いの人がこの距離にいるんだ”ぐらい感激してました。
──戸川さん、「好き好き大好き」という曲がTikTokでバズって、若者の間で大人気なんです。
町田 言葉の力があるんでしょうね。40年近く経ってもそうやって受容される表現の力っていうものが。
まあ、新しい世代がそれぞれ面白い文化を作り出していくわけですから、年寄りが口を出すこともないと思いますけど、なるべくいろんなものの見方があった方がええから、こういうものの見方もあるよって、教えてあげられることは教えたいとは思っています。
BE@RBRICK INU 400%
サイズ|全高約280mm
価格|1万1000円(税込)
購入方法|2023年5月24日(水)0:00~6月10日(土)23:59の間、MCT TOKYO(http://mct.tokyo)にて受注を承ります。メディコム・トイ直営各店舗及びオンラインストア各店、他一部店舗にて2023年8月発売・発送予定
©️町田康 / TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS.,LTD.
MLE × INU “メシ喰うな!”
全アイテム共通の購入方法|2023年5月24日(水)0:00~6月10日(土)23:59の期間、MCT TOKYO、および他一部店舗にて受注を承ります。メディコム・トイ直営各店舗及びオンラインストア各店、一部店舗にて2023年7月発売・発送予定(「CREW NECK SWEATER」のみ8月発売・発送予定)
※監修中のサンプルを撮影しております。発売商品とは一部異なる場合がございます。
TEE 01
カラー|WHITE、BLACK、YELLOW
サイズ|S、M、L、XL、XXL
価格|6380円(税込)
©️町田康 / TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS.,LTD.
TEE 02
カラー|WHITE、BLACK、YELLOW、RED
サイズ|S、M、L、XL、XXL
価格|6380円(税込)    
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TEE 03
カラー|WHITE、BLACK
サイズ|S、M、L、XL、XXL
価格|6050円(税込)    
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BELT
カラー|BLACK、YELLOW
サイズ|W30mm × H1650mm
価格|4950円(税込)
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CAP
サイズ|FREE(55cm~60cm)
価格|4950円(税込)
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サイズ|FREE(60cm)
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TOTE BAG
サイズ|W440mm × H430mm
価格|5500円(税込)    
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POUCH
サイズ|W200mm × H130mm × D110mm
価格|6380円(税込)
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SQUARE CUSHION 01
サイズ|W450mm × H450mm
価格|8250円(税込)
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SQUARE CUSHION 02
サイズ|W450mm × H450mm
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FLEECE BLANKET
サイズ|W1030mm × H1750mm
価格|6930円(税込)
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MUG
サイズ|φ80mm × H92mm
価格|1980円(税込)    
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BADGE SET
サイズ|φ32mm、φ57mm 
価格|1980円(税込)    
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KEY CHAIN
サイズ|W70mm × H70mm
価格|1980円(税込)    
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CREW NECK SWEATER
サイズ|M、L
価格|3万1900円(税込)
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KNIT SCARF
サイズ|W1800mm × H300mm
価格|2万350円(税込)
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Tel.03-3460-7555

                      
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