モニターレポート|中野香織(服飾史家・明治大学特任教授)_Vol.1
Beauty
2015年5月11日

モニターレポート|中野香織(服飾史家・明治大学特任教授)_Vol.1

トゥルフィット&ヒル モニターレポート

中野香織(服飾史家・明治大学特任教授)_Vol.1

『1805』と『TRAFALGAR』の香りを語る

はじめに

趣味のクラシックカーが決め手となって「サンタ・マリア・ノヴェッラ」を日本に紹介することができたという、どこか貴族感のあるビジネスエピソードに彩られる山野エミールさん。次に手がけるのは、世界最古の理髪店、「トゥルフィット&ヒル」のシェービンググッズやオーデコロンである。
サッカレーやディケンズの原作に出てくるTruefittという固有名詞……、英文学者が頼るアカデミックな辞典には載っていなかったため、19世紀のジェントルマン文化の全容なんて到底つかみきれないなあとあきらめていたのだが。ああ、トゥルフィットって、この理髪店のことだったのですね!

長年の霧が晴れただけでも感無量なのに、このたび、日本初上陸のこのブランドのフレグランス全7種類をモニターレポートするという、願ってもない機会に恵まれた。エミールさんのお嬢様でもある美しい山野ニーナさんと、マーケティングマネージャーの野嶋公貴さんのていねいなプレゼンを受け、試香しているうちに、モノクロやセピア色だったジェントルメンズワールドが鮮やかなカラーになっていく。フレグランス全7種、ひとつひとつが歴代の紳士を現代に艶やかに生き返らせてくれた。ほこりと古書のカビのにおいの印象が強かった(!)過去のダンディたちは、きっとこんないい香りをさせていたのだろう……と、想像(妄想?)がふくらんでいく。
以下、「トゥルフィット&ヒル」のフレグランス効果により、脳内に広がったジェントルメンズワールドの一部をご報告します。

文と写真=中野香織

1805

つけた瞬間、ベルガモットがさわやかに香り、しばらくするとクリーンなセージとラヴェンダーがほんのり甘く立ち上り、最後はサンダルウッドとかすかなムスクが静かに余韻として残ります。清潔で、抑制を知り、信頼感をセクシーな魅力に変えることのできる、タイムレスな「ザ・ジェントルマン」のイメージ。政治・経済界の重鎮が集うようなパーティーにエスコートしてもらうなら、ぜひともこういう香りの似合う男性に……と思ってしまいましたが、それもそのはず、このブランドを代表するフレグランスとのこと。

1805年は「トゥルフィット&ヒル」がロンドンのメイフィア地区ロングエーカーに開店した年だそう。その後、オールドボンドストリート、ニューボンドストリート、バーリントンアーケイドなどいくつかの店舗を経ています。現在店を構えるセント・ジェイムズ・ストリートはいまでもジェントルマンの聖地のような場所ですが、「トゥルフィット&ヒル」は「マグニフィセント・セブン」と呼ばれる7大老舗のひとつでもあるようです(ちなみにほかの6店のなかには靴のジョン・ロブやロック帽子店、シガーを扱うロバート・ルイスなどが)。

1805年っていうのは、フランス革命後で、西洋の男性の服装の美の基準が変わり始めた頃ですね。英国ダンディズムの黎明期。金糸銀糸の刺繍やこれみよがしの豪華さで富を誇示していた「革命前」の美的基準に代わり、高いクリーニングコストで維持された真っ白いリネンのシャツやネッククロスによって、控えめに富をほのめかすのがよき趣味であるという美意識が現れてきます。そんな批評精神に支えられた清潔さや抑制の美学、「新しい紳士基準」が生まれたばかりの時代における男の理想像を、ほかならぬこの香りからうかがうことができます。これにブーツ磨き用の極上シャンパーニュの香りを加えれば、「ブランメルの香り」のイメージが完成。

TRAFALGAR

ひと吹きすると、目の前に海が広がります。ブルーオーシャン、というよりもむしろ、紺碧の海。スパイシーなシトラスの効いたジャスミンのなせる技でしょうか。やがてサンダルウッドが優しく残ります。ふっと懐のなかに吸い込まれていきそうな、包容力のある、大胆でおそれを知らぬ男性をイメージしました。女性用としても違和感がなく、実はモニター期間中にもっとも自分で愛用したのが、これ。仕事モードのときに、媚びないりりしさをイヤミなく演出してくれるのではないかと思います。

海のイメージは、トラファルガーの海戦(1805年)を記念してつくられたフレグランスでもあるから……と聞いて納得。フランス・スペイン連合艦隊をトラファルガー沖に捕捉して劇的な勝利をおさめたホレイショ・ネルソン提督は、こんな香りがよく似合ったかもしれません。ネルソン提督は、戦闘開始時に、兵士たちにごたごた具体的な指示を出すことはせず、ただシンプルに、こんなメッセージを信号旗で送った男です。

“England expects that every man will do his duty”
「イングランドは、ひとりひとりがその義務をまっとうすることを期待する」

ここいちばんの大決戦を前にして、細かい指図などせず、力強い期待と信頼のメッセージを、ガツンとこれだけ。はたして奮い立たない部下がいるでしょうか。戦闘直前の緊張時に指揮官から届くこのことばの効果を想像すると、鳥肌が立ちます。旗艦「ヴィクトリー」上では4つの勲章を胸につけた壮麗な軍服を着て立ち続け(狙われやすいのに!)、自らの戦死とひきかえに、戦いを勝利に導きました。人妻エマ・ハミルトンとの不倫の恋も有名ではありますが、ともかくも、英国ジェントルマンの一理想型を体現した男だったように思います。

そんなネルソン提督に連想がつながるこのフレグランスは、ここいちばんの義務を紳士的に(女であっても)まっとうすべき場面において、頼もしい効果を発揮するような錯覚を覚えさせてくれます。

次回は『WEST INDIAN LIMES』と『GRAFTON』の香りを語ります(5月26日公開予定)

トゥルフィット&ヒル

           
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