連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第28回『幸福なラザロ』

牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第28回『幸福なラザロ』|連載

牧口じゅんのシネマフル・ライフ

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第28回 道ばたに咲く花のような圧倒的な美とイノセンス
『幸福なラザロ』

圧倒的な善というのは、映画に登場する英雄のように人の目をひき、感謝され、尊敬されるものではないのかもしれない。人を救うことだけが善きことなのではなく、人として真っすぐに生きることこそ、人としての基本的な善なのだろう。それがやがて誰かを救うことになる。ここに描かれているのは、人にも時代にも決して流されることのない、奇跡のような生き方を見せる一人の青年の姿だ。

Text by MAKIGUCHI June

1人の青年の善とイノセンスを通して、私たちが暮らす世界を映し出す傑作

舞台は20世紀後半のイタリア。外の世界から隔絶された山間の農地で暮らすラザロは、小作人制度の廃止を隠す侯爵夫人に搾取されながら生きている。無垢で疑うことを知らないため、小作人仲間からもいいように利用されているのだ。

ある日、街から侯爵夫人とその息子タンクレディがやってくる。母親に反抗している息子は、狂言誘拐を計画。協力を求められた人の好いラザロは、自分が受け取るわずかな食料をタンクレディに分け与え、自分の隠れ場所に彼を匿う。やがてこの事件をきっかけに、小作人たちは自分たちが雇い主に騙されていたことを知り、初めて外の世界に出ていくのだった。

ラザロとは聖書に登場する聖人のひとり。一度死を迎えたが、友人であるイエス・キリストによって4日後に蘇生されたことでその名を知られている。この奇跡を描いた絵画は多い。カラヴァッジョやレンブラント、ゴッホら有名画家たちも好んで描いている題材だ。

この復活というモチーフが、『幸福なラザロ』でも取り入れられていて、現代に蘇るラザロの姿を通して、時代に関係なく尊ばれるべき“善”という正義の必要性を静かに訴えていく。さらには、現代ではピュアすぎて何の取り柄もなく見える彼に、確かな聖人的しるしを与えている。

本作がユニークなのは、彼を英雄ではなく、あくまでも現代の聖人として描いている点だ。

多くの人が損をすることを極端に嫌い、誰よりも得をしたいという感情を強く持つ現代。得するためなら他人を騙すことをも厭わない人までも量産する社会において、多くの映画が強調するのは、正義だ。正義をわかりやすく描くにはカリスマ性のある英雄が必要だ。自己をも犠牲にしながら人を救い、世界を変えるヒーローの存在が。

だが、アリーチェ・ロルヴァケル監督が選んだのは、人の尊さを信じ切るという正義だった。騙されても、踏みにじられても、信じる自分を貫き続ける圧倒的な善とイノセンス。この世界を生きる価値のある場所にしている、とても大きな美徳なのだ。ラザロを騙し搾取し続けていた侯爵夫人との対比により、彼の美が鮮やかに浮かび上がっている。

善も無垢なる魂も、どちらも目に見えないものだし、ラザロの様な善き人は自己主張しないため、あまり目立たない。世界を変えることもないかもしれない。だが、ラザロの様な人々は確かに存在するし、彼らによって世界は何とか生きていく価値のある場所に保たれているのだろうと気づかされるのだ。

美しい人間の姿というのは、周りにいる人々にも知らないうちに影響を与えるものなのだろう。 孤高に、美しく、人を妬まず嫉むこともなく、雑念に溢れた俗世にまどわされず、求められれば黙って自らを差し出す。誰もが情報を持ち、賢くなり、損得を意識する現代では、無垢なラザロは愚か者にすら見える。

だが、それは誰によっても決して汚されることのない強い美しさでもある。それはきっと、人間が遠い昔に失った美のひとつ。例えるなら、ラザロの姿は、まるで道ばたに咲く花のようなのだ。時には、人の欲に翻弄され、摘み取られることすら拒否しない。

華やかな満開の桜を愛でる人は多いが、道端に咲く小さな花に目を止める人は少ない。だが、小さな一輪の花の美しさ、ラザロの様な人々の美徳に気づくこと、そしてその美しさに感化されていくことで、私たちはやがて世界をもっと美しい場所に変えていけるのではないかと思う。

もちろん、彼らに悲しみがないわけではない。むしろ、人の欲望に左右され、真っ先に傷つけられるのはラザロのような人々だろう。だが、彼らは自分が傷ついた時すら大きな声で叫ばない。もし私たちが侯爵夫人のように彼らを都合よく利用しているのだとしたら、世の中はいったいどれほど浅ましいのか。善き人々の存在に気づけていないなら、それはきっと我々の心の貧しさゆえだ。せめて、彼らに気づき、感謝できる人間になれたら。

私たちは知恵や知識を身に着けたことで、ラザロの様な人々が持つ、疑わない羨まないことで得られる心の平安をすっかり失ってしまった。平安を幸福と言い換えてもいいだろう。ずる賢くなりすぎた人間たちに、この圧倒的な善とイノセンスはあまりに眩しい。

★★★★☆ 自分が失ってしまった美しきものに気づかせてくれる傑作。

『幸福なラザロ』
出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル、ルカ・チコヴァーニ、トンマーゾ・ラーニョ、セルジ・ロペス、ニコレッタ・ブラスキ、ほか
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
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