連載エッセイ|#ijichimanのぼやき 第2回「日常を少しだけ贅沢にしてくれる街・神保町」

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき 第2回「日常を少しだけ贅沢にしてくれる街・神保町」

#ijichimanのぼやき

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき

第2回「日常を少しだけ贅沢にしてくれる街・神保町」

「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第2回は、世界最大級の古書店街であり、カレーの激戦区でもあるレトロな街、神保町を紹介する。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

何気ない風景が知的で優雅なものに昇華される

神保町に初めて行ったのは中学に上がる前の春休みだった。古本が好きだった12歳のボクは父に神保町という古書店街があるのを聞き、連れて行ってもらった。何の本を買ってもらったかは覚えてない。鮮やかに覚えているのは「いもや」という界隈で有名な天丼屋に連れて行かれたことである。

白い暖簾をくぐると10席くらいのカウンター。そこは満席だった。カウンターの中では老練の職人が淡々と天ぷらを揚げていた。席についてオーダーしてまもなく出された天丼は紛れもなく美味かった。しかし何よりも衝撃だったのは当時確か500円だったこと。チェーン店と変わらない値段で出される天丼のクオリティの高さに小学生ながら畏怖した。

それからいもやのことはずっと覚えていた。けれど、ずっと行っていなかった。そして35歳の時、23年ぶりに行く機会があった。天丼の価格は650円になっていたが、それ以外は何も変わっていなかった。そして、その翌年の2018年、いもやは惜しまれつつも約60年の歴史に幕を閉じた。

結局、人生で食べたのはこの2回きりだったけど、いもやはボクにあまりに強烈なインパクトを残していった。出逢ったときのインパクトが鮮烈で、それでいて接点が儚いほど、無常にも記憶には強く刻まれるものだ。プロ野球で言えば伊藤智仁、競馬ならフジキセキがそれかもしれない。

ところで、古書店街で知られる神保町には唯一、スポーツ関連書をメインにする「ビブリオ」という古書店がある。野球はもちろん、相撲やサッカー、格闘技まで、昭和戦前に発刊された貴重な本から2000年以降に出版されたマニアックな本まで、所狭しに積み上げられている。本だけでなくグッズ、カード、サインまで無数に扱い、店主に言えばどこからともなく欲しいものが出てくる。スポーツ好きなら垂涎ものの、まるでドラえもんのポケットの中にいるような書店である。

そもそも神保町が古書店街になったのは元々学生街だったからだそうだ。東大も明治も法政も中央も専修も、その前身は明治時代の初期に神保町界隈でスタートしているらしい。卒業生が教科書を売りに行き、下級生が買いに来る、その流れが起源となって今の街ができたといわれている。だから学問書も多い。なんとも腑に落ちる流れだ。

ボクが普段読む本は、スポーツ関連以外だと、心理学や行動学の本。漢字や読解力は少年時代のジャンプやマガジンで養ってきたと言っても過言ではないから、ストーリー性のあるマンガも好きだ。

心理学や行動学が好きなのは、ずっとマーケティングやコミュニケーションに携わってきて人の消費行動について考えるのが好きだから。局所的な一事例をあたかも森羅万象に通ずるかのように謳うビジネス本やHowto本なんかより、よほど参考になると思っている。

心理学や行動学などの古書を見つけたい時に立ち寄るのは、靖国通り沿いの「村山書店」。ボクがずっと読みたかったジャン・ピアジェの発達心理学をたまたまここで見つけてから、お気に入りである。

新書ならその隣の「書泉グランデ」。神保町で新書なら「三省堂」もあるが、ボクが訪ねるのはこちらである。書泉グランデはアイドルイベントなどが開催される書店としても有名で、そのイベントスペースがある7FからB1まででフロア構成されている。

手塚治虫や藤子不二雄のコーナーがある2F、国内外のボードゲームがこれでもかと集まる3F、一癖ありそうな精神世界の本が揃う4F、鉄道ファンの間では聖地と呼ばれる6F。池袋のジュンク堂や丸の内の丸善や八重洲ブックセンターあたりと比べると書籍の絶対量は多くないかもしれないが、昭和23年から続く老舗書店だけあってそのセレクトセンスにやられる。

「なんか面白い本ないかな」と行けば必ず何かが見つかり、一度心を鷲掴みされるとまた何かを求めて自ずと足を運んでしまう書店である。

そして忘れてはならないのが、神保町は古書店街であり、カレーの街、喫茶店の街でもあるということ。

欧風カレー発祥の店「ボンディ」、そのボンディ創業時のスタッフが独立した店という「ガヴィアル」、昼時には長蛇の列をなす「キッチン南海」のカツカレーも量的且つ質的に働く男たちの胃袋を掴んで離さない。

喫茶店も、インパクトあるファサードと生ジュースで老若男女を虜にする「さぼうる」に、ゆったりしたスペースでコーヒーとハンドメイドケーキで寛げる「神田伯剌西爾」をはじめ、名店が数多。

けれど、もしも、喫茶もカレーもどちらも一気に楽しみたいというなら、「ラドリオ」がいい。

神保町の喫茶店は路地裏に隠れていたり地下に潜んでいたり、とにかく見つけにくい。ラドリオもご多分に漏れないが、場所は書泉グランデの真裏の路地と覚えるとわかりやすい。古くからの常連や若いカップルが、この店が発祥と言われるウィンナーコーヒーを飲みながら、その空間と時間を楽しんでいる。

このラドリオではランチがナポリタンとカレーの二本柱になっている。カレーはチキンカレーだ。いかにも野菜をたっぷり煮込んだと言わんばかりのカレーは、インド風でも欧風でも日本風でもなく、家庭的でも独創的でもないけれど、普遍的。甘さも辛さも控えめでやさしいけれど、コク深い。いくらでも腹に入って、懐に染みわたるのである。

神保町を散策するなら、あえて「山の上ホテル」まで歩きたい。神保町からお茶の水方面に坂を登った小高い丘にある。建てられたのは戦前、戦後にGHQに接収された後、接収解除を機に1954年ホテルとして開業したという。


目黒のCLASKAから続いて、渋谷のTRUNK HOTELやhotel koé tokyoなど、ここ最近はコンパクトでミニマルでモダンなシティホテルが急激に増えているけれど、その起源はここ山の上ホテルなんじゃないかと勝手に思っている。三島由紀夫や川端康成、池波正太郎など名だたる文豪が定宿にしたことで“文化人のホテル”とも称されるが、実は日常使いにちょうど良い。

誰でも利用できるロビーラウンジでは、格調高い赤い絨毯と黒いレザーソファの上で絶品のロールケーキやチーズケーキと共に静かで落ち着いた時間が過ごせるし、今どきのホテルと同じくWi-Fiも完備している。お茶を飲みながら、神保町で買ってきた本をゆったり読んで一息つく、なんていうのは非常に贅な時間だ。

「ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」と三島由紀夫は言ったらしいが、気品溢れるクラシックなホテルが纏う空気はぜひ多くの人に知ってもらいたい。

本を買って、お茶をする。それだけのなんてことない当たり前の日常が、少しだけ知的で優雅になったような錯覚を起こさせてくれるのが、神保町。神保町は、書を取り巻く人たちが作った古きよき食文化と、趣向性の高い様々な個性で構成されている街だと思う。

ビブリオ
住所|東京都千代田区神田神保町1-25 叶ビル 1F
TEL|03-3295-6088
営業|11:00~18:00 日曜定休

書泉グランデ
住所|東京都千代田区神田神保町1-3-2
TEL|03-3295-0011
営業|
平日  10:00~21:00
土日祝 10:00~20:00 
年中無休

ラドリオ 
住所|東京都千代田区神田神保町1-3
TEL|03-3295-4788
営業|
平日  11:30~22:30
土曜  12:00~19:00
日曜  12:00~18:00
祝日・年末年始休

山の上ホテル
住所|東京都千代田区神田駿河台1-1
TEL|03-3293-2311(代表)
※2019年4月30日~11月30日、工事により休館予定

伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、スッポン。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman