MEDICOM TOY|メディコム・トイ
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GURIHIRUさんに聞く(1)
11月30日(金)から12月2日(日)までの3日間、幕張メッセにて開催される世界最大級のポップカルチャーイベント「東京コミックコンベンション2018」。今回登場いただいたのは、本イベントにも参加する作画担当のササキさん、カラリストのカワノさんからなる日本のイラストレーターユニット、GURIHIRU(グリヒル)。「グウェンプール」など数々のアメリカンコミックのアーティストとして活躍中のおふたりに、これまでの歩みをうかがいました。
Photographs by OHTAKI KakuText by SHINNO Kunihiko
アメコミと出合うまで
――まずはおふたりが一緒に活動するまでの話をお聞かせください。
ササキ 私たちは北海道出身で短大が一緒なんです。その頃、私は特撮が好きで『宇宙船』とか『ファンロード』にファンアートを投稿していたんです。最初に載ったのは「ウルトラマン80」(笑)。レンタルビデオで観て、はまってしまって。
ササキ 新しいものよりちょっと古いものが好きだったんです。なのでライダーでもストロンガーが好きだったり(笑)。
さいたま市在住・北海道出身(旭川市・苫小牧市)。作画担当のササキと、カラリストのカワノで構成しているユニット。2003年にフリーランスとして独立。主にアメリカのコミックアーティストとして活動中。日本国内ではイラストの他、アニメ・ゲームのキャラクターデザインを手がける。日本イラストレーション協会JIILA会員。
――カワノさんはササキさんが投稿していたことをご存知だったんですか?
カワノ 私が知ったのは短大の終わり頃です。それまでは普通にゲームとかして遊んでいただけなんですけど、私が会社に入った頃、パソコンで絵を描く習慣がちょっとずつ日本で流行ってきて、自分でパソコンを買って色でも塗ってみようかって感じでササキに「線画があったらちょうだい」なんて言って、それでひとつの絵をふたりで描くスタイルになっていきました。
ササキ 私が線画担当で、カワノがカラーリング担当です。
カワノ それぞれ絵とは関係ない仕事をしながら趣味でイラストを描いて、「公募ガイド」のイラスト募集に出していた感じですね。一度、メディアワークスさんに投稿して受賞したんですけれども、ライトノベル創世記の頃で「萌え絵は描けませんか?」と言われて。チャレンジしてみたんですけど結局うまく描けなくて。
ササキ 特撮とか描いていたからよくわからなかったんです(笑)。
カワノ 私たちは子供向けの絵が得意だったので、主にGakkenさんの学習シリーズなどのカットを描いてました。
――アメコミとの出合いはなんだったんでしょう?
ササキ 「スポーン」で知りました。ただ、札幌では原書が手に入らないので、東京のサイバーダインというアメコミ専門店に電話して毎月取り寄せていました。
カワノ まだメールも主流ではなかったので、「PREVIEWS」というカタログ誌を見ながら「この巻ありますか?」って注文して。札幌からなので結構電話代もかかりましたね。
――お好きなアーティストはいらっしゃったんですか?
ササキ 私が最初に好きになったのは「デッドプール」を描いていたエド・マクギネスさんです。彼が描いている作品ならDCでもマーベルでも買ってました。
カワノ 私は「ファンタスティック・フォー」を描いていたマイク・ウィリンゴさん。あの方は子供を子供らしく描くのがすごく上手だったので好きでした。その数年後に若くして亡くなられてしまって、とても残念です。
――そこからアメコミのお仕事を手掛けるようになったきっかけは?
カワノ 当時、翻訳家・アメコミライターの光岡三ツ子さんがされていたアメコミの情報サイトで「マーベルが日本人アーティストを募集している」という記事が載っていたんです。ちょうど日本の漫画風に見せたアメコミのタイトルが流行っていたので。それでふたりで描いてきた絵を集めてポートフォリオにして、マーベル編集部に送ってみたら、現在マーベルの編集長をされているC.B.セブルスキーさんから電話をいただいたんです。
ササキ C.B.さんは奥さんが日本人なので、日本語を話せたんです。
カワノ すごくびっくりしました。しかも「X-メンを描いてみませんか」って言われたんです。
ササキ 最初の仕事は「X-メン」のピンナップを1枚。その次に「ファンタスティック・フォー」の短編の依頼があったんです。ただ、私たちはイラストしか描いてなかったので大丈夫かなとは思ったんですけど、「描けます」と言って10ページ描かせてもらいました。それからスタンダードにお仕事をいただくようになって。
カワノ アメコミは分業制なので、ストーリーを考える人、絵を描く人、色をつける人が別々なんです。それが最初から分業でやっていた私たちに合っていたのかもしれないですね。
ササキ 小さい子向けの「GUS BEEZER」という、ピーター・パーカーの甥っ子が主人公の話を2冊、それから「POWER PACK」というシリーズは3、4年やらせていただきました。4人兄妹のマーベル最年少ヒーローチームで、80年代にやっていたシリーズの現代版です。彼らがウルヴァリンやアベンジャーズといったマーベルキャラクターと絡んでいくストーリーなので、子供は読みやすいんです。
――アメコミを描くうえで大変だったことはありますか?
ササキ 2005年ぐらいからマーベルは表現の規制が厳しくなったんです。例えばピーター・パーカーが働いている新聞社のJ・ジョナ・ジェイムソンがタバコを吸うシーンは描いてはいけないんです。特に私たちが描いているのは全年齢向け(all age)だったので直接殴る表現などもダメで、パンチを出すコマを描いて、次のコマで吹っ飛ぶみたいな。
カワノ 刃物の先端も出しちゃいけないんです。なのでウルヴァリンの爪の先は常にコマの外(笑)。
ササキ 女の子のへそ出しルックとかピアスはダメ。
カワノ 胸の大きさも大きくしちゃだめ。
ササキ そう。Bカップまで(笑)。
――すごく細かく決められているんですね。
ササキ 今はもうちょっと緩くなっているんですけど、結構厳しい時代でした。
――その後もカバーアートや短編など多数を描かれていますが、特に大きな転機になった作品は何でしょう?
ササキ 「Avater The Last Airbender(邦題「アバター 伝説の少年アン」)」というアメリカで大ヒットしたアニメ作品があるんです。M・ナイト・シャマラン監督の「エアベンダー」(’10年)という映画にもなった作品で、その続きをコミックでやるということで「ヘルボーイ」などを出しているダークホースという出版社から私たちに声がかかって。
カワノ 1巻につき72ページ、それを15巻分やらせていただいて、描き終わるまで5年かかりました。その間、マーベルはカバーとかちょっとした仕事を受けつつ、ほとんどダークホースとやりとりをしていて。「グウェンプール」を描いていても、「アバターを描いていた人だ!」って海外の方からは言われます。
ササキ 海外では「アバター」人気が小さい子から大人まですごいので。「アバター」でかなりコミックを描くことに鍛えられてきた頃、マーベルから「グウェンプール」のクリスマス短編(「Gwenpool’s Holiday Special #1」)のお話をいただいたんです。
Page02. グウェンプール誕生の背景