米山庸二×三原康裕 特別対談「モノを創るということ」|M・A・R・S

M・A・R・S|米山庸二×三原康裕 特別対談「モノを創るということ」

「M・A・R・S」米山庸二 特別対談

M・A・R・S|マーズ

米山庸二×三原康裕 特別対談

モノを創るということ(1)

2016年に25周年を迎えた「M.A.R.S.(マーズ)」。それを記念して送るデザイナー米山庸二氏の対談連載。今回のゲストは、シューズデザイナーであり、現在はファッションデザイナーとしても活躍されている三原康裕氏。2016-1017秋冬の東京コレクションでは、コーディネートにM.A.R.Sを使用するなど互いに認め合う仲。そして、ともにデザイナーということもあり、話の方向はものづくりの困難さや面白さが中心となりました。他ではあまり聞けない、興味深い話が盛りだくさんです。

Photographs by TANAKA TsutomuText by TOMIYAMA Eizaburo

90年代は、突然変異のデザイナーが数多く生まれた時代(三原)

――米山さんと三原さんはいつからお知り合いなのですか?

三原康裕さん(以下、三原) もう10年以上になりますね。最初はファッションデザイナーの荒川眞一郎さんからの紹介で。まだ恵比寿にティーハウスというギャラリー兼カフェがあって。眞ちゃんから「ティーハウスによく行くならヨネちゃん知ってる?」って聞かれたんですよ。当時、彼のブランドのアクセサリーを米山さんが作っていて、アイロニックなミニチュアみたいなジュエリーとか、アクリル樹脂の中に蟻が入っているものとか変わったモチーフが多かったから。「ヘンな人がいるな~」って思ったんですよね(笑)。

米山庸二さん(以下、米山) 僕も「やっちんという靴を作っている人がいて、すごくカッコ良くて面白いのを作るんだよ」と話は聞いていました。

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三原 90年代って荒川さんも米山さんもそうだけど、突然変異のように出てきたデザイナーが多くて。それまではどこかのメゾンでアシスタントをしていたとか、日本の御三家ブランドから独立したとかが多かったけど、そうではなくて、好きだからっていう理由だけで突然ブランドを始める人が生まれてきた。荒川さんも、もともとはパリでアーティストをやっていたから哲学的で、ビジネスの枠ではなく作家性の強い人。米山さんも、当時は誰かの系譜で語られることを嫌がっていたし。それは僕もそうだし、アンダーカバー(の高橋盾さん)も、ジェネラルリサーチの小林(節正)さんも、ケイタマルヤマさんもそう。ファッションのトレンドとは関係なく、作りたいことに執着する。そういう時代だったのかもしれないね。その中でも僕は末端系だったから。

米山 アハハハ、僕もそうだよ。

三原 靴は足の先だし、ジュエリーも洋服ではない端っこのものだから末端系。でも、末端系ならではの楽しみがあると同時に、ある種のジレンマ、パラドックスがあるんですよ。自分が作った靴以外は、ジャケットもパンツも靴下も他ブランドでコーディネートされる運命。ジュエリーなんてそれが大前提だもんね。だから、「着る人がどうコーディネートするかまでは考えていられない」っていうある種の無責任さがあって。今はいろいろ体系化されているけど、当時は洋服も無茶苦茶だったしね。

米山 末端系は、末端系としてどう主張するのかっていうのが重要で。洋服とコーディネートするといっても、その人の個性でいくらでも合わせられるから。だからこそ、ブランドの世界観とか個性とか、やりたいことが詰まってないとカッコ良い人たちに選んでもらえない。

三原 そうそう。

米山 まずそこのスタートラインに立つこと。いかに自分のやりたいことを出せているかなんですよね。

三原くんはいつも楽しそうに職人さんと話している(米山)

三原 僕からすると、M.A.R.Sは大胆な発想を繊細にやるブランド。当時も世間ではスカルが人気だったのにやらなかったよね。

米山 いやいや、スカルは今も定番としてあるよ。でも、そこを主張したことはない。

三原 そうだ、スカルあるね(笑)。でも、そのイメージがない。かといって、コンテンポラリーでもないし、なんだろう。ふざけたことをすごく真面目にやっている。最近は「職人」という言葉が乱用されているからあまり使いたくないけど、米山さんは「職人肌」だよね。でも、いわゆる寡黙に打ち込むみたいなイメージではなくて。製品を見ていても、仕事相手を見極めて、それぞれの良さを最大限に引き出そうしているのがわかる。それでいて、すごく馬鹿げたことを表現していて。

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米山 「こんなのできちゃった」っていうのを、いかに実現させるかっていう。

――できあった製品を見るだけで、そこまでわかるものなんですね。

三原 正直わからないものもありますよ。でも、今は誰でもオリジナルのジュエリーやアクセサリーを作れる時代。その場合、本人と職人の間に2~3社入っていたりして、手を動かしている人は誰のものを作っているかわからないことが多い。そういうものづくりではなくて、ちゃんと職人さんと名前を呼びあって、阿吽の呼吸になっているモノは見ればわかりますよ。ヨネちゃんは口数が少ない人だけど、製品をまじまじと見れば小説一冊くらい語っている。それが常に進化していて、さらに崇高なレベルを目指しているのがわかる。

米山 三原くんのコレクションやレセプションにお邪魔すると、必ずそれを作った職人さんがいらっしゃっていて。三原くんはいつも楽しそうに職人さんと話しているんです。その光景を見ていると、三原くんがどこを向いて仕事をしているのかがわかる。きっと制作過程ではお互いピンピンに張り詰めた状態でやっていると思うんですけど。でも、いざカタチになって、ふたりが楽しそうに話しているのを見るとジーンとくるんですよね。

三原 戦友でもあるし。あと、僕は太鼓持ちの役割りもあるから。ものを作って売るっていうのは一連の作業かもしれないけど、それだけなら自分の存在はいらないんじゃないかって。デザインを渡して終わるなら、これほど無責任なことはない。それよりもっと大事なことがあると思う。単純な話かもしれないけど、触れ合いとか、気持ちの問題。よく、皆さんが「魂のこもったものづくり」とか言うけど、魂のこもったものづくりってなんだろう? ってよく考えるんだよね。一切の油断があってはならないのか? とか。でもそうじゃないなって。

米山 うん。

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