GIORGIO ARMANI|ファッション史研究家、鈴木文彦が語るジョルジオ アルマーニのダンディズム
FASHION / MEN
2015年5月11日

GIORGIO ARMANI|ファッション史研究家、鈴木文彦が語るジョルジオ アルマーニのダンディズム

GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ

スーツスタイルに一石を投じた、個性と着心地へのこだわり

ファッション史研究家、鈴木文彦が語るジョルジオ アルマーニのダンディズム(1)

現代におけるダンディたちが選ぶ服とは――そこにはデザイン、素材、カット、すべての要素の融合から生み出される、確固としたスタイルがなくてはならない。スーツの伝統と歴史を再構築し、創造をもたらした、ジョルジオ アルマーニ流のダンディズムとは。ファッション史研究家、鈴木文彦が語る。

Photographs by YOSHIZAWA Kenta(photo1-8), JAMANDFIX(photo9-15)Text by SUZUKI Fumihiko(OPENERS)

個性的で自分らしい装いをするために、必要不可欠なもの

「アルマーニはしだいに柔らかな生地やクールな色合いを選ぶようになり、スーツのいかつい内部構造を取り払った。わざと位置をずらしたボタン、薄めの肩パッド。それまではフォーマルで堅苦しかったメンズのジャケットに、年齢に関係なくソフトで着心地のよい、若々しいイメージを与えることに成功したのだ」

これはレナータ・モルホによるジョルジオ・アルマーニの評伝『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』(日本経済新聞出版社)に引かれるファッションジャーナリスト ルチア・マーリによる発言だ。この評価が、1970年、テイラー仕立ての紳士服プレタポルテをコンセプトに生まれた「ヒットマン」というブランドで、8年間、スタイリスト、あるいはデザイナーとしてメンズウェアに携わった、まだ若いジョルジオ・アルマーニにたいしてなされたものだというのは注目されてしかるべきだろう。

1934年に生まれたアルマーニのキャリアは、1954年から1963年まで、「リナシェンテ」というミラノの大手百貨店に勤務していたところからはじまる。当初、アルマーニはこの百貨店のショーウインドウのデコレーションであるとか、イメージづくりを担当する部門に所属していた。その彼が、やがてリナシェンテのバイヤーとなったところから、プロフェッショナルなファッションデザインの分野での経験がはじまる。

「バイヤーをしていたころ、僕は服に金を惜しまない裕福な顧客を満足させるのに苦労した経験があったんだ」

当時をアルマーニは以下のように分析する。

「どの服もみな、あまりに堅苦しく、誰が着てもおなじに見えてしまう。着るひとの個性を際立たせ、一人ひとりの身体にフィットする服はないものかとおもったものだ。だから独立して自分の好きな服をつくるようになったとき、従来の紳士服のスタイルとして厳格に定められていたジャケットの構造をすべて解体しようと決めたんだ。堅苦しい構造のせいで誰が着てもおなじに見えてしまうんだからね。男性の身体に一枚の布をごく自然にかけてみて、いろいろ試した。それまでは欠点とみなされていた部分に注目しながらね。既存の構造を解体し、より自由に動きやすくするという考えだったんだ。男性たちが個性的で自分らしい装いをするためにはそれが不可欠だと僕はおもう」

アンコンストラクテッド・ジャケット――スーツにおける革命

いまさら強調するまでもないことかもしれないけれどアルマーニのジャケットは、アンコンストラクテッド・ジャケット(構築的でないジャケット)などと呼ばれ、やわらかな素材をつかい、構築的な構造物からの自由を特徴としている。これは1980年代に世界的に注目を集めたイタリアのジャケットをしばしば特徴づけるものでもあるけれど、アルマーニは、そのキャリアのスタート地点から、アンコンストラクテッド・ジャケットへの趣向をもっていた。特異な男性的社会から生まれるイギリスの男性服の美学が、合目的性とストイシズム、言葉を変えれば伝統への誠実と、構築性に特徴づけられるとしたら、アルマーニの男性服における革命は、まず、それらにまったく頓着しなかったこと、そして男性服の解体に必要な素材と、それを製品として扱いこなす技術を先んじて確立したことにある。

さらに、80年代以降、いまもファッションブランドに名を残す巨匠というべきデザイナーたちが生み出すモードのなかにあって、過剰な色や装飾を好まず、働くものたちのための、身体の形と動きに軽やかに寄り沿う服のデザイナー、という自分の原点に忠実でありつづけたことが、現在にいたるまでのアルマーニというブランドの背骨だ。その控えめな色は身体の動きにあわせてグラデーションをみせ、ステッチを外側に見せないつくり、あるいはボタンすら時に隠してしまうシンプルな構造は、いまもコレクションにも受け継がれる、一人ひとりの裸の肉体の形を美しく、誇らしいものにみせる、アルマーニのスタイルだ。

GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ 04

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GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ

スーツスタイルに一石を投じた、個性と着心地へのこだわり

ファッション史研究家、鈴木文彦が語るジョルジオ アルマーニのダンディズム(2)

具体的にアルマーニのジャケットをみたとき、その思想がよくあらわれているのは、たとえばウエストのラインだ。背後から見た場合、脇の下にあたる部分から、つまりは女性服の絞り込みがはじまるのとおなじ位置から、ウエストラインを形成するラインは絞り込まれる。もちろん男性は女性よりも背に幅がある。だから、背幅は大きめにとられていて、背は大きくみえる。いっぽう前から見るとウエストの位置は、背後から見た場合よりもやや下。現在のアルマーニのジャケットは、比較的にみれば、ボタンの位置は高めとはいえ、後ろはそれよりも高く、前はやや低くなったところにウエストがあり、全体としては少し前さがりの形をしている。これは人間の身体が、そういう風にできているという認識からきている。まっすぐな線がひかれていない、立体的な裁断だ。必然的に、肩もやや前ぎみにつく。

GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ 05

GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ 06b

そうすると袖周りの径は小さくなるから、腕の動きが制限されるのではないか、という疑問も生まれるかもしれない。それにたいする答えは「むしろ逆」だ。身体の形に、ぴったりと沿うがゆえに、服は、あたかもそのひとの皮膚であるかのように動く。「たとえそれがスーツの上着であったとしても、着ている人間にとっては部屋でくつろいでいるような着心地でなくてはならない」というのはアルマーニの確信で、アルマーニのスーツを着るものは、まるでカーディガンでもはおっているかのようにリラックスしていられる。そうして、リラックスして、服のこと、自分がどう見えているかを心配する必要がないからこそ、それを着る男には、自信や威厳が生まれる、ともいえるかもしれない。

興味深いのは、そういう確信が、アルマーニにとって、経験からきているものであったとしても、結果的にスーツの伝統に、きわめて忠実だということだ。詳述するのは、ここでの主旨からあまりに遠ざかっていってしまうので避けるが、イギリスで18世紀末から19世紀にかけて、色彩や装飾の複雑さを競うきらびやかな貴族的趣味をよしとしていた男の装いは、いまのジャケットの原型ともいうべき、仕事をするひとの、実用的な装いを、極度に洗練させるダンディたちの装いを理想とするように変化した。やがて世界中の男性服がそのイギリス流装いの影響下におかれたのは、民主化・帝国化という、政治的、経済的な理由があったとしても、色彩と装飾を廃し、かわりに身体のラインとその動きに沿うようにフィットとカットを追求したダンディたちの装いが、その趣味性、エレガンスにおいても、貴族的装いよりも美しいとおもわれたからだ、という見方も無視できない。そのフィットやカットの追求のなかで、腕の動きをさまたげない袖付けとよばれる作業は、今日のサヴィル・ロウのテイラーの始祖であるかぎられた職人たちの腕の見せ所、極意であった。

アルマーニのジャケットの、細身ながら動きをさまたげない袖をみると、サヴィル・ロウとおそらくはかなり近い技術が、アルマーニのジャケットの袖付けにおいても極意とされているとおもわれる。時代が100年ちがうけれど、アルマーニは、かつて男性服に革命をもたらした男たちが置かれた環境と、なにか通底する環境に身を置き、選択をしたのだろう。だから、アルマーニのジャケットからは、革新的であると同時に、伝統的でもあるという印象をうける。イギリス流の装いの規則は、ことごとく無視されているようにみえるのに、ジャケットの威厳が失われていないのは、その根底において、両者の認識に大きな差異はないためだろう。

自分のために作られた特別な服。「メイド トゥ メジャー」

現在のように、多くのハイテク素材が使用できる環境にあったなら、アルマーニの発想は、現在のアルマーニのジャケットとおなじものとして結実することはなかったはずだ。いまや、アルマーニというブランドには、誕生から現在まで、ファッションの激動する時代にあって、変化することなく貫きとおされてきた伝統があり、アルマーニの歴史がある。2000年ごろから、その構想があったという「メイド トゥ メジャー」は、そのアルマーニの、確立された世界観のうえにこそ成り立つサービスだ。

多種多様なジャージ素材に代表される、アルマーニならではの素材は、そもそもミリ単位の採寸にはむかない。だから、一人ひとりのサイズにぴったりとあわせるという「メイド トゥ メジャー」の発想は、それまでのアルマーニの既製服とまったくおなじやり方では成り立たない。使われる生地に合わせて、糸の素材すらかえ、職人たちが手作業でくみあげる、アルマーニの男性服の技術は、英国的なビスポークの伝統の技術と、たとえおなじ程度に高度なものであっても、完全には一致しない。アルマーニの「メイド トゥ メジャー」は、アルマーニの既製服と、完璧におなじものではない。しかし、「メイド トゥ メジャー」からうまれる服装が、それでもアルマーニのスーツでしかないのは、それが、アルマーニの確立された世界観を裏切ることはないからだ。

GIORGIO ARMANI|ジョルジオ アルマーニ 08

「メイド トゥ メジャー」でうまれるスーツは、アルマーニらしいやわらかなモデルと、それよりも構築的なモデルの2種類をベースにするけれど、馬や山羊の毛を複雑に組み合わせたキャンバス地のみを内部構造にもちいる軽やかなスーツ、という点ではおなじだ。そこに、私たちは、ラペル、ボタン、ポケットなどを組み合わせて、自分だけのアルマーニスーツをうみだすことができる。

その、「メイド トゥ メジャー」への説明を締めくくるには、やはり、アルマーニ本人の言葉が一番だろう。

「自分のために特別につくられた、独自性のある製品を、心から望むカスタマーがいることに私は気づきました。そこで、メイド トゥ メジャーサービスを立ち上げることを決意したのです。このサービスを通じて、カスタマーはテイラーメイドのガーメントがもつ、あらゆるメリット――独自のフィット、ファブリック、裏地、ボタン、ディテール――と同時に、ジョルジオ アルマーニのシグネチャーが保証するルックも得ることができます。このコレクションは実際、伝統と現代性を両立させ、職人の仕立ての技の原点と、コンテンポラリーなデザインスタジオの革新性を一体化しています」

――鈴木 文彦――

鈴木文彦|SUZUKI Fumihiko
OPENERS編集部にてCAR/FASHIONカテゴリー担当。一橋大学修士、パリ・ソルボンヌ大学フランス文学修士。翻訳家。ヨーロッパ文学、絵画、社会思想史などからダンディズムを多角的に読み解くべく研究中。『GQ JAPAN』、『MEN’S Precious』においてもファッションコラムを担当している。

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