「考える力を鍛えるためのAI」──松岡正剛の知を受け継ぐ『KORO』とは?
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2025年12月9日

「考える力を鍛えるためのAI」──松岡正剛の知を受け継ぐ『KORO』とは?

 

KORO|コウロ

 
ChatGPTやGoogle Geminiに代表されるAIが日常に浸透し、誰もが“整った答え”を簡単に手にできるようになった時代。だがその裏で、私たちは「問いを立てて考える力」を少しずつ手放しているのかもしれない。
 
そんな今、あえて”整った答え”ではなく、一見すると破綻しているようにも見える発想の飛躍を促すことを目的とした異色のAIが開発された。名を『KORO』という。開発を行ったのは編集工学という思考法を研究し、知の巨人とも評された、故・松岡正剛が最後に起ち上げた企業体「株式会社百間(ひゃっけん)」。松岡正剛の「〈知〉の思考体系」を正統継承している数少ない組織体だ。『KORO』は松岡正剛が編み上げた編集工学的思想そのものの結晶体であり、また「遊学」的な考え方をもとに、言葉の連環を通じて人の思考を覚醒させるために生み出されたAI時代の革命的装置なのである。
 
『KORO』は検索ツールでも、チャット型AIでもない。“答え”ではなく、“考えはじめる基点”をくれるツール。説明してくれたのは株式会社百間代表の和泉佳奈子さんだ。和泉さんは「松岡正剛事務所」のメンバーとして松岡の仕事を間近で支えながら、2020年に松岡正剛、そして携帯電話向け動画配信のパイオニア的なエンジニアとして活躍した富田拓朗とともに「知の悉皆屋」として株式会社百間の起業を行っている。
 

Text by AOYAMA Tsuzumi  |Photo by TAKAYANAGI Ken

和泉佳奈子/編集プロデューサー。2002年より松岡正剛の下で編集工学を実践し、『千夜千冊』や「連塾」など多数の知的プロジェクトに携わる。文化人やアーティストと連携したサロン運営から企業のCI開発まで、編集思考を生かした場づくりを多数手がけてきた。とりわけ角川武蔵野ミュージアムでは、「知と物語の街」として構想された図書空間《EDIT TOWN》全体の企画制作を統括。書棚の構成からコンセプト設計、書籍選定に至るまで、「編集する書店」の空間演出を具現化した。2020年、株式会社百間を設立し、編集の力を社会実装するプロジェクトを幅広く展開。>

KOROとは何か?──連想を促す思考エンジン

 
「松岡は、書物、芸術、思想、社会、さらには日本文化の構造に至るまで、あらゆる知の領域を横断しながら、「編集」という視点で再構築してきました。その活動は『千夜千冊』をはじめとする膨大な著作や講義、プロジェクトを通して展開されています。私は、晩年の松岡とともに活動しながら、彼の思考をいかにして次の世代へ継承するかを真剣に考え続け、そのなかでこの『KORO』という装置の開発をスタートすることにいたしました。技術面では私はまったくのシロウトですので、AIの技術開発を行ってくれたのは弊社役員の富田拓朗、そして編集学校の卒業生でもあるソルフレア株式会社に所属している光永誠さんです」(和泉さん)
 
『KORO』は、ある単語を入力すると、それにまつわる「連環」語が分類されて表示される。「連環語」とは一見すると理解不可能なように見えるが、その暗黙知領域におけるイディオムにも似た連鎖(カテーナ)を紐解くことが可能な言葉の集合体のことである。
 
たとえば、似た印象を持つが全く異なる言葉、美的かつ感性的なつながり、最近話題になっている世間での用法、少し飛躍のあるイメージなど、いくつかの関連性をもとに、それらを松岡正剛が用いた単語から抽出。さらに、4つのフィルターと、編集工学独自の解釈方法である「あわせ」「かさね」「きそい」「そろい」に分類することで、複雑な松岡正剛の発想法に近づけようとしている。
 
たとえば「神保町」に対応して出力されるのは、「古書」や「東京」といった直接的な語ではなく、「漂泊」「劇場性」「断片化」など、一見して距離のある言葉ばかりだ。ユーザーはそれらを眺めながら、気になる語を選ぶと、さらに連想を広げ、思考を深めていくことができる。
 
「このプロセスこそが、ChatGPTのようなLLM(大規模言語学習モデル)とは決定的に異なる点です。一般的な生成AIは、ユーザーの質問に対して整った答えを生成することを目的としていますが、乱暴な言い方をするとKOROはその逆。あえて“距離”や“ズレ”や“間”を含む言葉を提示することで、ユーザーが自分の思考を再起動し、新たな問いに向かうことを促します。KOROは、AI時代に意図せずアライメントされがちなユーザーの思考をサポートするためにあります。でも、何かを教えるのではなく、“どう考えるか”という方向性を増やすものです。つまり、問いの「起点(おこり)」であり「基点(もとづく)」を用意するための装置なのです」(和泉さん)
 
 
 
「KOROのUI。上段に語群の出所を示すレイヤー、下段に関係性を示すフィルターが表示される。「フィルター」は、出てきた語がどういう関係性を持っているのかを整理するものだ。「あわせ」は同じカテゴリにある語、「かさね」は意味が積み重なる語、「そろい」は同じ文脈に属する語、「きそい」は対立や競合の関係、「もどき」は似て非なる語、「ゆう(遊)」は偶然や飛躍を含む語──といった具合に、言葉の関係性を視覚的に見せてくれる。」

なぜ、いま「知の巨人」松岡正剛のAIなのか?

 
松岡正剛が生涯をかけて取り組んだ「編集」とは、断片を集め、つなぎ直し、再構成する行為。松岡がもっとも得意としたのは、なにかの断片をつなぐ正解を求めることではなく、流れるように時代や領域を超えていく知的な冒険へ人々を誘うこと。
 
「いま私たちは、“知っていること”や“調べられること”には非常に強い。でも、“考えること”や“問いを持ち続けること”には、少し不器用になってきているように感じます。松岡さんが大切にしていたのは、そうした知のあり方の“揺らぎ”や“余白”を引き受ける姿勢でした。だからこそ、彼の思考法を今の時代に手渡すには、ChatGPTのような答えを整えるAIではなく、自分自身、人間自身、また大きく言えば人類が築き上げてきた文化そのものに帰っていくことが出来るメカニズムの構築しかなかったんです」(和泉さん)
 
そんな松岡の思考に近づこうとしたKOROは、それゆえ“整った答え”を返さない。「わからないもの」「すぐには理解できないもの」に向き合うときの、いくつもの可能性をもつベクトルを示すツールとして設計されている。
 
「名前にもその思想は込められているんです。「KORO」は「航路」「香炉」「考路」「光路」など、さまざまな意味を連想させますが、あえてローマ字で表記することで、その意味を限定しないようにしました。「意味をひらく」という設計思想をもたせました」(和泉さん)
 
「何について考えたいかを入力してはじめます」の言葉が促すように、自分が考えたい言葉をユーザーが入力することで、松岡正剛が伴走する思索の冒険がスタートする

どうやってつくられたか? 松岡正剛の編集工学を再現する

 
KOROの根幹には、松岡の著作群や数多く開催されてきたセミナーでの発言、引用先の書籍など、20年以上にわたる活動の蓄積がある。 『多読術』『知の編集術』といった書籍はもちろん、ウェブサイトで1852回にわたって連載された『千夜千冊』で紹介された文献群も構文解析の対象となり、それぞれの言葉の意味的な位置づけや、文脈上の配置、引用関係などが精査された。
 
また、講演や対談といった“話し言葉”のデータも取り込み、書き言葉と話し言葉が交差する“松岡語”の編集エンジンが構築された。語の意味をベクトル的に捉える「意味ベクトル」と、語の成り立ちに注目した「語根ベース」を掛け合わせたアルゴリズムの解釈には通常のLLMベースのAIを設計・実装・駆動させるよりも多くの演算リソースが必要だとのことである。
 
「松岡の思考を再現していくうえで、たとえば「断片」という言葉があるとき、その言葉が他の文脈でどう使われてきたか、どんな背景の言葉と並んで登場してきたか、そうした文化的な“通り道”を意識することが重要でした。単語を固定された意味としてではなく、歴史や文脈のなかで変化し続けてきた“生きもの”として扱うことが松岡の編集技法の特徴であり、KOROではそれを再現しています。ここは富田や光永さんたちと開発していて、もっとも苦心し、また実装に時間がかかった部分でもあります」(和泉さん)
 
KOROは、松岡自身の著書や講演での言葉だけでなく、その思考のバックグラウンドとなる周縁のさまざまな要素を取り込んでいる。
 
 
百間内部のKOROチームではこの構造を「松岡の知の糠床」と呼ぶ。糠床が日々の漬け込みで味を深めていくように、KOROもまた、熟成されていく装置であり続けるのだという。
 
KOROが目に見えて役立つのは、「考えたいけれど、何から始めればいいかわからない」という段階から。今までに無かった企画案を作りたいがAIが出してくるのは通り一遍の「素晴らしいアイデア」。おそらくは隣の座席の同僚も同じような「素晴らしい」内容で上司に提出するであろうものばかり。社会においてAIによって平均化された「素晴らしい」には、もはやなんの価値も見いだせない世界になりつつある現在、この ように全員100点で標準偏差がゼロという時代において、思考の飛躍を必要とするあらゆるクリエイティブの助けになることを目指している。
 
たとえばあるプレゼンでは、「神保町に来た外国人を楽しませるには?」という問いに対し、KOROが示すものは「田楽」「段差のあるもの」「知の田植え」「土地の記憶」といった語だったそう。それらは脈絡もない言葉の羅列のようでありながら、実際は新たな視点を提示し、議論を活性化させたという。
 
「出力される言葉たちは、一見すると無関係に見えるかもしれません。でも、そのあいだに生まれる「違和感」や「引っかかり」こそが、思考を進めるためのきっかけになると考えています。先進的な視点をもたれている企業は、すでにAIによる均一的なクリエイティビティに限界を見いだし始めています。弊社がKOROを提供している企業の中に大和リース株式会社さんがありますが、すでに大和リースさんの社内では全社員がKOROを触ることが出来る環境が整えられています。地域の重要なファシリティなどを手がけておられる会社さんですので、その変化する地域性に埋没しがちな暗黙知領域からの「知」を「形」に変換するためのツールとしても活用していただいています」(和泉さん)
 
KOROを実際に使っていた生前の松岡正剛本人は、「これは面白いね。いままでのAIにはなかった知的興奮を感じる」と、おおいに喜んだという。 自らが実践してきた編集の作法が“道具”として立ち上がり、人の知的態度を刺激する存在となることに興味と手応えを示していたのであれば、そこに松岡正剛自身が、AI時代における編集工学的思想のある種の結実を見いだしたのかも知れない。
 
 
「KOROが提示しているのは知識ではありません。知的な姿勢なんです。意味を誰かから与えられるのではなく、自分の中で育てていく。その習慣を支える道具として、根づいてくれたら嬉しいです」(和泉さん)
 
正解に最短距離でたどり着く利便性は、たしかにテクノロジーの恩恵であるのかもしれない。しかし、そろそろみなが気づき始めている「思考力を高める」ことの重要性をKOROは提示してくれる。
 
 
 
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