いざ、第5回目となるKYOTOGRAPHIEへ!

KYOTO GRAPHIE

international photography festival

僕の故郷、京都で開催されている国際的なフォト・フェスティバル、「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」(以下、KYOTOGRAPHIE)も今年で5回目を迎えた。この写真祭は、世界で活躍する写真家の貴重な作品や写真コレクションを、京都が誇る寺院や通常非公開の歴史的建造物等、特別な空間で見られるというもの。 第1回から3回までは、スケジュールの都合でどうしても見に行けず、僕は昨年、初めて見に行った。去年は初参加ということもあり、すべてが新鮮に思えた。市内のあちこちにある会場を回遊して鑑賞するというスタイルがまず新しいし、もちろん、古寺等を使った会場と展示作品が織りなす極めて独特な雰囲気にも息を飲んだ。タイミングが合えば、会場にいるアーティストから直接話が聞けたりもして、体験するすべてが斬新で楽しかった。ぜひまた来たいと思ったのは言うまでもない。僕は京都で生まれ育ったが、個人的には「祇園祭」「葵祭」「送り火」はぜひとも帰郷したいイベント。これに「KYOTOGRAPHIE」が加わった感じだ。こういう素敵なイベントは、末永く続いていって欲しいと思う。

そして4月14日。僕はわくわくしながら、東京駅から朝8時過ぎに出発するのぞみに飛び乗った。今回、オウプナーズから参戦したのは小柄なチョビ髭社長の松本氏、大柄な若手フォトグラファーの佐藤氏、そして私、編集大魔王!祐真。総勢3名である。京都に着くと、八条口近くにある、プレスツアー参加者の集合場所へGO! 我々オウプナーズチームのために用意された車には、「TOILETPAPER」の作品が転写されていた。この車を運転するのは、昨日東京から京都入りしたという大学生のアルバイトくん。咄嗟に「大丈夫?道わかるの?」と訊いたら、彼は爽やかに「はい。大丈夫です。昨日、一度下見しています」と答えてくれたが、僕は内心、「われ〜、京都の街をなめとんのか!」と思った。が、それ以上突っ込むのも野暮で大人げないのでグッと飲み込んだ。それに、僕ら凸凹3人組には、このドライバーくんが「お似合い」なのかもしれないと思った。「よし、これから襲い来るアクシデントを楽しもう!」と腹を括り、BMWi3の観音開きドアを開けていざ乗車。後部座席の奥に佐藤氏、手前にチョビ髭、そして助手席に僕。スパゲッティポモドーロの写真がボディを覆う車にこの凸凹トリオが乗る姿➡うん、超格好いいに違いない。きっと笑えるかも。車が動き始めると、信号で止まるたびに通行者が携帯で写真を撮っている。最初は「やっぱり俺たちって絵になるのか」とマジでボケていたが、ギャラリーが狙っていたのは当然車そのものであった。「TOILETPAPER」の作品は、見ると瞬時に写真を撮りたくなるくらい、圧倒的にフォトジェニックなのである。僕たちが乗って移動する車はKYOTOGARAPHIEの宣伝カーなわけだが、同時に「TOILETPAPER」の作品そのものでもあった。

最初に訪ねたのは、
誉田屋源兵衛「竹院の間」



京都駅からまず向かったのは、誉田屋源兵衛「竹院の間」。『MEMENTO MORI』とタイトルがついたロバート メープルソープ写真展で、ピーター マリーノ氏のコレクションだ。この約1月前、東京でも銀座CHANELのネクサスホールで同じ展示を見た。その時は雑誌の連載企画で、来日していたピーター マリーノ氏のポートレイトを撮った。ネクサスホールでの展示に関してはメープルソープ本人の展示法を忠実に再現していたそうだが、譽田屋源兵衛「竹院の間」では、それとはまた別の構成で展示されていて、対比しながら観られて楽しかった。


日本庭園を囲むように展示された作品群は、静謐な空気の中、あたかも茶室に掛けられた掛け軸のように穏やかにたたずみ、観る者の心を落ち着かせた。難をいえば、スペースの広さに対して作品の点数が多かったように思えた。「竹院の間」を出ると、同じく誉田屋源兵衛の「黒蔵」へ。ここで源兵衛さんに遭遇。昨年、やはり雑誌の連載企画で源兵衛さんのポートレイトを撮らせて頂いたこともあり、イザベル・ムニュス作品の前で、写真の話、そしてKYOTOGRAPHIEの話で盛り上がる。1階に展示された『Family Album』を見た後、源兵衛さんに「いつもは公開してない上も見ておいで」と言われ、3階の「天空八角の間」に飾られた『Love and Ecstasy』を観にいく。2テーマに分かれた作品群は、まるで別人の作品かと思えるくらい世界観が違い、それぞれインパクトのあるものだった。コンセプチュアルで緻密な作品は、技術、感覚ともにハイレベルな緊張感を放っていた。

誉田屋源兵衛へ来る途中、ドライバーくんが僕の予想通り道を間違え、他のプレス一行から大きく遅れをとった。次の建仁寺へは間違いのないルートで慎重に向かいたい。僕は元・地元人としてのプライドをかけてナビゲートに集中した。無事に到着した建仁寺では、着物姿の観光客を眺めながら、桜の木の下を歩く。風情満点の状況に「そうだ!京都行こう」と呟くと、チョビ髭から「だから、来てるっちゅうねん」とお約束の突っ込みが入る。順調、順調。



そして両足院で『机上の愛』を観る



両足院(建仁寺内)では、荒木経惟氏の『机上の愛』を展示していた。畳を痛めないように配慮したのか、作品をセットしたフレームには木製の脚が付けられていた。まさに「机上の愛」な展示なのであった。写真のインパクトもさることながら、掛け軸になっていた荒木氏直筆の文字が洒脱でイカしてた。写真の見え方を控えめにして、庭と掛け軸が目立つ構成になっていたように思う。そしてそれこそが、実は写真をいっそう深い物に感じさせる技巧だったのではないかと、時間がたつにつれて胸にしみてきた。


そして凸凹トリオは展示場隣の昼食部屋へ。食前にまず、ルイナールのブラン ド ブランを頂く。3人はグラスを片手に、こんな素敵な車で移動ができるKYOTOGRAPHIEに参加できたことを感謝し、結束力を高めた。昼下がりの光に照らされたふすま絵を眺めながら、シャルドネ100パーセントのルイナールをグイグイと決めて、禅部屋でのランチを堪能した。


時間がない!
でも気になる3会場にも行かねば!



両足院の後は、TOILETPAPER、山城知佳子、ルネ・グローブリの展示を駆け足で巡る。いずれも作品と場所、それぞれの魅力が相乗効果をもたらして、独特の空間を作り上げていた。ランチで飲んだルイナール力も手伝い、たまらない浮遊感の中、各写真の世界へ素直に入り込んでいけた。


最初に行ったのは、ASPHODELを会場としたTOILETPAPERの『Love is More』。このTOILETPAPERは、現代美術作家のマウリツィオ・カテランと写真家のピエールパオロ・フェラーリが、アートディレクターにミコール・タルソを迎えて2010年に発刊したアート雑誌。会場ではピエールパオロ・フェラーリに会えた。会うなり、いきなり車(我々のポモドーロカー)を入れての記念撮影。僕は、アーティスティックな風貌ながらも、陽気でサービス精神満点の彼が好きになった。ビルの3フロアを使ったインスタレーションは圧巻。1階は雑貨店、2階と3階はラウンジを思わせる作りになっていた。どのフロアもTOILETPAPERのポップでユニークな発想が光る強烈なビジュアルで埋め尽くされていた。どれだけいても飽きない、楽しい空間だった。で、思わず1階の店でテーブルクロスと皿を購入。

続いて行ったのは堀川御池ギャラリーを会場とする山城千加子氏の『土の唄』。沖縄出身の彼女の作品は、戦争やその負の遺産をアーティスティックなかたちで記録し、伝承していこうとしているように思えた。



スイスの写真家、ルネ・グローブリの『The Eye of Love』は京都文化博物館の別館を会場としていた。彼の作品と会場空間の相性は絶妙だと思った。僕は、グローブリが妻リタとの新婚旅行を写真に綴ったシリーズがとても好きだった。撮る人と撮られる人の相思相愛な優しさと美しさが溢れ出ていた。男と女の素敵な一瞬を捉えた永遠の記録である。


夕方、ホテルにチェックインして小休止。すっかり酔いも覚めた頃、イブニングジャケットに着替えて「ギャラリー素形」の『ジャダ・リパ』へ。美しい作家がグラス片手にインタビューを受けている姿を見て、作品を見る前から俄然興味が湧いた。悪い癖で、良くも悪くも見た目重視で判断してしまうことが多々ある。が、誤解されては困るので言っておくが、僕の場合、“魅力的”というのは「美人」ということではなく「個性的であること」がメイン。親しい料理人が「料理も舌より目の方が味に与える影響は大きいのですよ」と言っていたが、確かに味は舌だけの判断ではないように思う。会場へ入ると、作品は見ているだけでは理解しがたく、意外にも説明を必要とした。写真の並び順が難解に思えたのと、会場全体が明るすぎて写真に集中できなかったのが影響していたと思う。ルイナールのロゼを飲みながらジャダ・リパに話を聞いてみると、1867年から2016年の時を行き来する旅の足跡が感じとれた。

本日のメインイベント、「前夜祭」へGO


あっという間に1日が過ぎ、我々は二条城で開催される前夜祭へ向かった。車のシーティングは、いつの間にか後部席奥にチョビ髭松本、手前に佐藤カメラマンというふうに変わっていた。その方がサイズ的にも作業的にも機能的だったのである。二の丸御殿台所にはアーノルド・ニューマンの名作が大胆に展示されていた。


靴を脱ぎ、巨匠の作品を巨大なアルバムを見るかのように歩いて眺めるのは、優雅この上ない。靴を脱いで作品を見るというのは、KYOTOGRAPHIEのひとつの特徴だ。ヨーロッパやアメリカの写真展ではまずありえないことだと思う。僕は日本人だからか、この靴を脱いで上がって見るというスタイルが好きだ。来年行こうと思っている人には、靴下は新しいのを履いて行くことをお勧めします。


台所の土間には、BMWのアートカー by アンディ・ウォーホルが特別展示されていた。その後、主催者のルシール・レイボーズ氏と仲西祐介氏の挨拶があった。ふたりの強い意志と愛が、KYOTOGARAPHIEを成功に導いたのだと改めて感じた。

挨拶の後、この日のスペシャルゲストMiquel Barceló Artiguesのライブペインテイングが行われた。描きながらどんどん消えていく絵はとてもドラマチックであり、また、マジックショーのようでもあった。見終わると、目の前で描かれていた絵がもうそのキャンバスにはなく、頭に記憶として残っているのが夢のようで面白かった。もちろん携帯写真は撮ったが、それよりもその瞬間を見ておくことの方が大事だと気づき、僕は途中から見ることに専念した。


Good bye KYOTOGRAPHIE、and see you soon again!



翌日は早朝からスーツケースを車に詰め込み、市内数ヶ所で「スーツケースと僕」をテーマにスナップ撮影。その後、残りの展覧会場を回る。京都に住んでいた頃には感じなかったのだが、僕も東京へ移り住んで31年。いろんな国、いろんな街へ旅した今、この京都という街が情緒的で特別な場所であることを改めて知った。よく「京都人は表裏がある」とか「本音と立前がどうこう」などとネガティブなことを言う人がいる。が、人は表と裏があるから魅力なのであり、街も表口と裏口があるからこそ引き込まれるのだと思う。


写真にも表と裏がある。見えないところは、見る人の心と想像力に任せればいい。
京都の街には写真の展示が似合う。
だからこれから先もずっとKYOTOGRAPHIEが続くことを心から願う。

Photographs by SATO Yuki
Text by SUKEZANE Tomoki