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![]() 「FLOWERBYKENZO」プロモーション撮影風景
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KENZO PARFUMS|ケンゾー パルファム
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KENZO PARFUMSにおいて、不変で揺るぎない言葉がある。「Joy of Life」、生活を楽しむこと──。
デザイナー 高田賢三氏がもっとも大切にしてきたその意志は、そのまま現在に受け継がれ、KENZOブランドのクリエーションのベースとなっている。 1970年代のパリに閃光のごとく現れたそのひとりの日本人デザイナーは、色の魔術師と呼ばれ一世を風靡した。もって生まれた「遊び心」で、その存在を知らしめたのだ。 日々のいとなみのなかでは、「生活を楽しむ」ことをどこか忘れがちかもしれない。 言葉に出すのは簡単だが、実際には容易ではない。 |
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だからこそKENZO PARFUMSはメッセージを発している。20年間にもわたって変わらずに「Joy of Life」と唱えているのだ。
その願いともとれるコンセプトはプロダクトへと転化し、20年間という道程で16個のプロダクトが誕生。今日も世界のどこかで、手にとった人びとの気持ちにやすらぎと喜びを与えているにちがいない。 |
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左|「Kenzo de Kenzo」
1988年に誕生した記念すべき最初のフレグランス 中|「KENZO POUR HOMME」 1991年に発表された初のメンズフレグランス 右|「KENZO PARFUM D'ETE」 1992年発表。夏をイメージしたフレグランス |
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左|クリエイティブディレクター パトリック・グエージ
右|CEO オディール・ラヴァドフスキー チュニジアで行われた「KENZOAIR」の社内発表での1枚 |
KENZO PARFUMSのCEO、オディール・ラヴァドフスキーとクリエイティブディレクター、パトリック・グエージ。このふたりの出会いは、これまでの香水の概念を大きく覆したといっても過言ではない。
2000年の「FLOWERBYKENZO」からスタートしたリレーションシップは、「ユニークで、いたずら好き」というふたりの性格の共通点に起因していたといえる。 「ビジネスも、ポエティックにできるはず」と語る高田賢三氏の意志を受け継いだオディールは、フォトグラファーであり映像作家のパトリックをクリエイティブディレクターに迎える。 「コマーシャルな要素やしがらみによって必要以上に翻弄されることのない、自由で純粋なクリエイション」というオディールの考えは、パトリックに対し、自由にその腕をふるうことの出来る環境を用意。彼が最も美しい形でコンセプトを表現するために、発売までの所要時間、コストといった様々な面で、彼女は労を惜しまず、涼しげに盾となり、時にはなんと一年もの時間をかけ旅に出かけることをも許している。そのため、新製品の発表に3年という時間を要したこともある。しかし、彼女はそれについて、一言たりとも苦言を呈したことはない。そんなふたりのブランドスピリットを貫きとおす姿勢は、スタッフにも感化し、見事「KENZO PARFUMS」というグループ自体をも「自然と」昇華させたのだ。 |
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そもそも香水ができるまでには、調香師、プランナー、そしてボトル/パッケージデザイナーが、打ちあわせを重ねたうえにできるのが常。三者のコミュニケーションが重要視される。しかしこのふたりのクリエイティブは大いにちがった。
パトリックは三者に対しそれぞれ個別に、コンセプトを絵コンテやフィルムなどのイメージを使って、詩的な表現で伝える。さらには、三者が決して意見を交えることはないまま、すべての作業を並行して行わせるのだ。その意図は明かされていないが、おそらくは「それぞれが自由に表現する」ためだろう。 |
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過剰なまでのコミュニケーションは、クリエーターにとって、ときに雑音となる場合がある。クリエイターでもあるパトリックは、その雑音を排除したときの、純粋なクリエイティビティが表現できるものを知っていたからではないだろうか。
これまでが彼らの常規を逸するエピソードだとすれば、「いたずら好き」を象徴するのが「FLOWERBYKENZO」のプロモーションといえる。 ポピーがモチーフとなるこの香水をお披露目するために、なんとふたりのいたずら好きは、ある日の深夜、パリ市内にポピーの生花20万本を植えたのだ。 赤みを帯びた街並に驚愕するパリ市民。ポエティックでロマンチックなエピソードだが、まさに前代未聞のできごとである。 もちろんその「いたずら」は現在も進行中であり、新しいプロダクトの発表ごとに我われを”楽しく、そして心地よく”驚かせてくれるにちがいない。 |
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KENZO PARFUMSはユーザーとおなじく、共に働く社員をも魅了する会社である。じつはそれを象徴するエピソードがある。「KENZOAIR」「KENZOAMOUR」の社内発表がそれだ。
2003年に発表された「KENZOAIR」の発表会はサプライズの連続であったらしい。まずパリに集合した世界中の広報スタッフ350名。当初は「フランスで行われるもの」とばかり思っいたその発表会は、行き先を告げられることもなく全員が飛行機に「乗せられ」、チュニジアの砂漠へと連行された。 しかしその夜、不満顔をならべるスタッフの顔は感動の色に変わることとなる。 |
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「KENZOAIR」の社内発表会が行われたチュニジアでのショット
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「KENZOAMOUR」の社内発表はセネガルの奥地で行われた
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そしてその3年後。オディールとパトリックの指示のもと、再度世界中の広報スタッフが急遽、西アフリカはサハラ砂漠西南端に位置するセネガル共和国へおもむくことになった。別途の業務も多々ある忙しいなかで、「何故こんな時?」と日本人スタッフは思ったらしい。
だが2日めともなると、スタッフはセネガルの熱帯乾燥気候に徐々に慣れ、目の前に広がる景色や空気、そして現地の人びとに順応しはじめたという。 「連れてこられた」という意識から、「旅にきた」という意識へ気持ちが変化していったのだ。 そんなとき、オディールとパトリックは一本のフィルムを社員にみせる。 愛し合う男女と、そのふたりを見守る、天使のように羽ばたく赤い鳥── フィルムはつぎつぎにアジアの旅路とそこで暮らす人びとの躍動をスクリーンに映し出していった。 これは当時の新作、「KENZOAMOUR」のコンセプトフィルムだったのだ。「KENZOAMOUR」は「a journey of love」(愛の旅)がコンセプト。インド、タイ、中国、インドネシア、ミャンマーといったアジアの各地を、パトリック・グエージが旅したときのイメージが、1本の香水に投影されている。フィルムのなかで流れている風景が、セネガルで過ごしてる穏やかな時間に重なったのだろう。 |
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無駄に過ごしていたと思われていたときが、自然にコンセプトを受け入れられる環境をつくり上げていたのだ。またも広報スタッフたちはそのフィルムを直視し、「KENZOAMOUR」のコンセプトを身をもって知ることとなった。仲間に体感してもらうことにより、その魅力は色が異なることなく、世界中に発信されていくのだ。
「納得がいくプロダクトが生まれるまでは、新製品が発売されない」。それがKENZO PARFUMSというブランドなので、次のプロダクトが日の目を見るのがいつになるかは分からない。しかし、このふたりから発せられる“新しく楽しいこと”を想像するだけで、新作への興味は尽きない。 |