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![]() 第1回 住んでわかった、知られざる古都の素顔京都にも空襲はあった
近畿地方に進入したB29の編隊が京都市の上空に飛来したのは、敗戦間近の昭和20年6月26日午前9時半頃のことでした。編隊は6〜10機だったようですが、そのうち1機が上京区の出水地域に50キロ爆弾、250キロ爆弾、7個を投下したのです。 京都の観光地図を広げてみて下さい。爆撃を受けたのは西陣あたりです。碁盤の目状の道、北は上長者町通り、南は下立売通り、東は大宮通り、西は浄福寺通りに囲まれた約400メートル四方の範囲が被害を受け、全壊した家屋は71戸、半壊、一部損壊は200戸を超えました。そしてこの空襲で50人の市民が亡くなり、負傷者は300人以上にのぼったと言われています。 戦争中、京都だけは空襲がなかったというのが一般的な認識だと思いますが、実は、京都にも空襲はありました。清水寺から遠くない東山の馬町あたり、映画村がある太泰あたり、そしてもっとも被害が大きかったという西陣への計3回です。 「訳あり」の京都在住
僕がこの話を知ったのは、つい最近のことでした。
訳あって京都に住むようになったのは今年の1月。その「訳」とは、タクシーの運転手になるためでした。 30年ほど前、京都の大学に通っていたとき、生活費稼ぎのために4年間ほどタクシー運転手をしていました。ときが過ぎ、タクシー運転手を取り巻く状況は悪くなる一方で、特に2002年のタクシーの規制緩和以降、増え過ぎたタクシーと減少を続ける利用者が重なり運転手の仕事は過酷さを増しています。 そこで僕は、その大変さをある雑誌でリポートするため、30年ぶりで京都に舞い戻りタクシー運転手となったというわけなのです。 西陣空襲の話は、僕のタクシーに乗った老人が教えてくれました。 「なに言うてはりますの、京都にも空襲はあったんでっせ」 その言葉を頼りに調べてみたのが冒頭の話です。 (続く)
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