
2010.01.18
波乱万丈なサッカー道をばく進する「野人」の半生のおもしろさ
『野人伝 岡野雅行自伝』
岡野雅行
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1972年、神奈川県横浜市生まれ。日本大学を3年で中退し、94年から浦和レッドダイヤモンズへ。プロ入り後すぐに快速フォワードとして脚光を浴び、1年目に日本代表に招集される。97年11月、マレーシア・ジョホールバルでのイランとのW杯アジア第3代表決定戦では、日本を初のW杯に導く決勝Vゴールを決める。2009年8月からはJFL・ガイナーレ鳥取でプレーしている。
文=吉村栄一(『野人伝 岡野雅行自伝』構成者)
「日本人がワールドカップに出ることなんてできない」
サッカー選手、岡野雅行。という名前を知らない人でも、彼の通り名である「野人」と聞けばサッカーファンならずともなにかしらの感慨をもつのではないでしょうか。
今年2010年はサッカー・ワールドカップ南アフリカ大会の年。それなりに苦労はしたものの、日本は4大会連続の本大会出場権を得ました。いまの若いサッカーファンならば、日本代表がワールドカップに出られるのは当たり前ぐらいの感覚をもっていてもおかしくないかもしれません。
しかし、日本がワールドカップ初出場を決めたのは98年フランス大会の最終予選で、しかもその最後の最後でした。「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる瞬間、そう、野人こと岡野雅行が延長ゴールを決める瞬間までは「日本人がワールドカップに出ることなんてできない」と信じていた人もかなりの数がいたのです。その数年前に野茂英雄が大リーグで勝利投手になるまで「日本の野球選手は大リーグでは通用しない」という説がまことしやかに信じられていたのと同様の根拠のない思い込みではあったのでしょう。それでも、フランス大会の前の94年アメリカ大会最終予選での出場決定まであと数分のところでワールドカップへの切符を逃した93年の「ドーハの悲劇」を目の当たりにした日本のサッカーファンにとっては、それほどワールドカップ出場というのは高く高くそびえたつ壁に感じられていたものでした。
2009年、その岡野選手の自伝本の構成をする機会に恵まれました。
日本のワールドカップへの道を開いた野人は、そのあだ名が示すように決してスマートなサッカー選手ではありません。90年代前半のJリーグ、そして日本代表チームにはユースから大学まで一貫して名門チームで育ったサッカー・エリートしかいなかったといっても過言ではなかったなかで、珍しい無名の雑草育ちの選手です。
「本当にこの話を事実だと読者が信じてくれるだろうか」
なにしろ、小中高とずっとサッカーの無名校育ち。おまけに高校は全国のヤンキーが更正のために送られてくる刑務所スタイルの全寮制男子高(とても有名なヤンキー漫画の舞台のモデルにもなっているそうです)で、ここで岡野はサッカー素人のヤンキーたちを集めてサッカー部を創部。最初はボールではなく人を蹴ることしかできなかったヤンキー部員にサッカーの素晴らしさを教え、ついにはちゃんとしたサッカー部へ! この高校はいまでは文武両道の有名校で、サッカー部も全国大会の常連になっています。
大学でも、素行の悪さでは札付きの2部リーグ校ながら、天皇杯でとにかく足の速さで知られるようになり、日本に来たばかりの神様ジーコを焦らせ、徹夜二日酔いのままエリートチームに圧勝し、注目されてJリーグ、日本代表抜擢へと、「型破り」という表現が陳腐に思える波乱万丈なサッカー道をばく進していきます。
なにしろ、話を聞いて構成している間も、いちばん心配していたのが「本当にこの話を事実だと読者が信じてくれるだろうか」ということだったぐらい、信じられないような話がどんどん飛び出す自伝になりました。サッカーファンはもちろん、サッカーファンでなくとも、ひとりの人間の成長物語としても楽しめる本になったと思います。
Jリーグでも日本代表でも、「ジョホールバルの歓喜」までは日の当たる舞台からは無縁だった雑草が、いや、雑草の野人だからこそワールドカップという世界への扉を開くことができたのだと思います。それほどの、雑草だけがもつ力強さを感じさせてくれる野人。
この厳しい時世に、決してエリートではない私たち一般人にポジティヴな希望を与えてくれる一冊となったと自負しています。
その野人、Jリーグ、J2、海外チームを経て、いまもJFLのガイナーレ鳥取で、来期のJ2昇格を果たすべく、元気に走り回っています。とにかく破天荒なこのひとりのサッカー選手の半生のおもしろさ、ぜひ『野人伝』で触れてみてください。
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『野人伝 岡野雅行自伝』
価格|1365円
新潮社
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