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新刊本 『加藤和彦 ラスト・メッセージ』 のこと文・写真=松木直也
最後にお会いしたときも、いつものようにお洒落で前衛的で品があった
1982年(昭和57年)加藤さんは女性シンガーをプロデュースし、レコーディングでマイアミへ行くことになり、僕は編集及びライターとして同行取材をさせてもらったことがある。 当時加藤さんは35歳で、安井かずみさんと結婚したのが30歳のときだから、二人の共同作業で多くのシンガーたちに作詞安井かずみ、作曲加藤和彦で楽曲を提供し、加藤さんはソロアルバム『パパ・ヘミングウェイ』(79年)『うたかたのオペラ』(80年)『ベル・エキセントリック』(81年)を発表していた。 マイアミでは僕より、数日前に帰国した加藤さんだったが、帰るときに「取材費の足しにしてよ」と100ドル2枚のトラベラーズチェックにサインをして手渡してくれた。 これは僕が加藤さんの親友の松山 猛氏の弟子だから、そんな心配りをしてくださったのだと思う。80年(昭和55年)の正月に松山宅に遊びに来られたときに紹介されて以来、雑誌や広告の仕事で取材を申し込んでも、断られたことは一度足りともなかった。 加藤さんより僕は8歳年下で、ベビーブーマー世代ではなく、言わばフォークソングも聴いたが主流はニューミュージックに移行した次の世代で、ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』を初めて聴いたのが67年(昭和42年)で小学校6年、サディスティック・ミカ・バンドのアルバム『黒船』は、74年(昭和49年)19歳のころ。ふたつとも強力な印象がある。 2009年10月16日夜の9時ごろに加藤さんは自死した。うつ病が原因とされているが、僕には信じがたい。僕がうつ病を知らな過ぎなのかもしれないが、インタビューのときの加藤さんはいつものように穏やかで、ひとつひとつを丁寧に話し、憂いを含んだ話は皆無で、それを感じさせる動向もなかった。最後にあるパーティーでお会いしたときの洋服はトム・ブラウンのスーツで、パンツの裾を短くし、ロイド・メガネをかけ、いつものようにお洒落で前衛的で品があった。 本は、鎌倉、逗子で育った幼少のころ、東京・日本橋で過ごした中高生のころ、フォークル、ミカバンド、ソロ活動、料理やワイン、車の趣味趣向(ファッションのことは詳しく聞けなかった)など、幼少から今日に至るまでのインタビューを中心に、明確に書けたのは1980年代まで。役回り的に僕が担当することになり、まとめさせていただいた。
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