2000年3月、アーチボルド・リーチの最高傑作のひとつ、アストン・ヴィラ取り壊しが決定。熱狂的なヴィラファンは、声を荒げた。
text by Brieux Férot
translation by SUZUKI Fumihiko
アストン・ヴィラとグラスゴー・レンジャーズの闘技場は、疑いの余地なくリーチの2つの最高傑作である。
バーミンガムのヴィラ・パーク (
3に写真掲載) はまさに赤レンガの城。モザイクとステンドグラスと木製階段との歌集。試合が渇望する場の極み。
1960年代、サンデイ・タイムズ紙のとある記者は、このスタジアムを 「サッカーの聖パンクラス」 と称した。ここでいう聖パンクラスとは、ロンドンにあるネオゴシック様式の彫刻的な駅のことである。
2000年3月、アストン・ヴィラ・クラブチームはこの作品の取り壊しを決定した。熱狂的なヴィラファンにして歴史家のイングリスはこのニュースを知るや、おさえが利かなくなったと当時を語る。
「なんていったかって? くそったれの俗物ども! 何をしようとしているのか、分かっているのか! って言ったよ」
グラスゴーはアイブロックスの、巨大な南スタンドはというと、大波乱の滑り出しにも関わらず、晒台を免れていた。南スタンドは1928年に赤レンガで再建された。1990年代初頭にはレンジャーズが巨費を投じ、こみいった再建計画を開始した。しかし、創造性はイギリス風に立ち去る (慣用表現。こっそりと立ち去る) もの。
リーチの息子、アーチボルド・ケント・リーチの事務所を訪れたクラブチームは2つだけだった。
1939年のリーチの死で黄金時代の幕は閉じていたのだ。
ミルウォール (ライオンズ) のザ・デン改修作業の際、アーチ・ジュニアはオールド・トラフォードの図面を持ち出したのだが、しかし図面上のラインの、バランスをすべて見直す必要に迫られてしまった。それもそのはず、問題の建造物、ザ・ニュー・デンは三本の鉄道に挟まれていたのだ。
ハンプデン・パークが与えてくれた陶酔はいずこへ……クイーンズ・パークFCのホームグラウンドであるハンプデン・パークは、1950年にマラカナン・スタジアムが降臨するまでは、世界最大のスタジアムだった。
このスタジアムはリーチを 「歴史化」 してしまった。
歴史の鎖は繋がる。1937年のスコットランド=イギリス戦は、14万9547人を動員し、ヨーロッパサッカーの一試合における観客動員数の記録を塗り替えた。あと何年まてばいいか? 新たなる黄金期はすでに始まっているのさ。
ブリユー・フェロー