柳本浩市|第20回 根本崇史氏に「エンターテイメントとデザイン」をきく(前編)

柳本浩市|第20回 根本崇史氏に「エンターテイメントとデザイン」をきく(前編)

How to see design

第20回 根本崇史氏に 「エンターテイメントとデザイン」 をきく (前編)

今回紹介するのは根本崇史さんです。最近とくに若いデザイナーのなかに、メーカーなどで働きながらフリーでも活躍する方に会う機会が多くなっていますが、根本さんもそのなかのひとりです。彼に影響を与えた幼少時代からの環境や企業とフリーの両立について聞いてみたいと思います。

Text by 柳本浩市

多大な影響を受けたマイケル・ジャクソン

柳本 まずは根本さんがどのような幼少期を過ごしたかからお聞かせいただけますか?

根本 父親がエンジニアだったこともあり、幼いころからポータブルな電気製品を身近に感じていて、玩具かわりにして遊んでいました。また母方の祖父が旋盤工で工場を経営していたので、そこに寄っては、鉄が削られていくようすをよく見にいっていましたね。そう考えると、「モノづくり」が身近にある環境でした。2歳になると、井深 大氏が私的に創立した幼児開発センタ―「EDA」に通うようになりました。

幼稚園に上がるまで通っていたのですが、いまでもはっきりと覚えているのが、絵を描くときにはクレヨンを全色使わないと気がすまない子どもで。センタ―では子どもに絵を描かせては壁に貼り、別室にいた親が自分の子どもの絵を当てるというのがあったのですが、色づかいのようすから、両親は僕の絵をすぐに視認できたそうです。

柳本 根本さんといえば、幼少期からマイケル・ジャクソンに多大な影響を受けたと聞きましたが。

根本 はい。当時、僕は喘息もちで、毎週月曜日は授業がすべて終わるとすぐに、病院で減感作治療を受けていたんですね。そのためクルマでの移動が多く、カーステレオからは、マイケル(ジャクソン)とアース・ウィンド・アンド・ファイアーがいつも流れていました。とくに僕はマイケルに感化されまして(笑)。歌もダンスも一流で、「ひとにみせる」ということに対しての追求、そしてプロ意識というものを知りました。

これは僕の考えですが、エンターテイメントとデザインで比較した場合、マイケルは一回のライブで数万人を動員し、数時間のパフォーマンスで観客を一斉に満足させる。ことデザインは「一斉に」というのはたいへん難しく、とくにプロダクトデザインの場合は、使っているひとの真意はなかなか見えてこない。ふたつを比較して考えてみると、僕はデザインにジレンマを覚え、エンターテイメントのひとたちにときに憧れます。

柳本 エンターテイナーとお客とのあり方、またライブでの演出の仕方以外では、マイケルから学んだことはありましたか?

根本 人種を意識させない点ですかね。影響力のあるエンターテイナーで、そう感じさせるひとは、そういないと思います。僕は高校時代をシンガポールで過ごしたのですが、いろんなアジアの人種がいるなかで違和感なく過ごせたのは、マイケルの影響ですね。PVでもいろんな国のひとが出演しているのを見てきましたから。
人種といえば、僕は幼少期、髪の毛の色が金髪で色白だったため、「アメリカ人」と言われていて。髪の色でイジメられるということはなかったのですが、いじられることは多かったので、こういった経緯もあってマイケルに共感したのだと思います。

柳本 シンガポールに行かれたときに、逆に違和感を感じたことはありますか?

根本 違和感ではないかもしれませんが、いろんな人種や宗教のひとがいて、じつは微妙なバランスで人間関係が保たれていました。それが崩れるとすぐにいざこざや暴動があったり……というのはありました。芸術においても宗教とともに発展したので、たとえば色づかいや装飾は日本で見ないものばかりでしたね。

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いまのデザインの仕事で役に立っている高校時代の売買の経験

柳本 「日本人としての自分」を自覚して、政治への思いや考え方で、現地のひとと意見を交わしたり、噛み合ないことはあったりしましたか?

根本 まず学校生活においては、日本人学校でさらには寮生活であったため、そうしたことはなかったです。ただ、現地のひととの交流のなかでは、日本のことをいろいろ聞かれても意外と答えられない自分がいました。「自分の国のことをなぜ知らないんだ」と言われ恥ずかしい思いをしました。そこで日本人であることを自覚し少しずつ知っていこうと思いました。

ところで寮生活で思い出したのですが、僕のなかで一番衝撃だったのは、寮内で生徒同士がモノの売買をしていることでした。しかも学校が容認している感じで。シンガポールの学校でしたが、当時は日本のファッションが流行っていて、こうした売買は、「このひとにはたいして価値はないけど、このひとには価値がある」と気づくきっかけでありました。先輩のなかには、週末になるとタイまで行き、古着の倉庫で日本向けの商品を掘り出しては、日本へと送るというのを繰り返して、財布がシンガポールドルでパンパンになっていましたね(笑)。あと当時は相手が欲しくなるという環境づくりをなにかしらでしていました。

いま、デザインの仕事において、展示会でプロトタイプを置いて、反響をもらい、メーカーを探していくという流れのなかで、高校時代の売買の経験が役に立っているとは思います。

柳本 そうした商売の経験から、卒業後すぐにフリーになったり、また自分でレーベルを立ち上げて、デザインから販売までをおこなうという道を選びそうですが、根本さんはなぜメーカーに就職したんですか?

根本 一番の理由は、学生時代から電気製品のデザインをしてみたいと思っていたことですね。フリーでやりたいという思いもありましたが、日本のメーカーはインハウスデザイナーがいるので、外部で仕事を得るのは難しいと判断しまして。電気製品のデザインを個人ではじめるのは難しいため、まずはアナログのデザインから、と思いましたが、最初の思いを優先して就職の道を選びました。

次回は根本さんがデザインしたプロダクトに焦点を当てます。
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Photo by KENTA AMINAKA

根本崇史|Takafumi Nemoto
POREは高校時代を過ごしたSinga“pore”からのニックネーム。
2001年 日本大学芸術学部在学中に“PORE OVER IT! ( よく考える)”をキーワードに活動をはじめる。
2004年 大学を卒業し電機メーカーのデザイン部に所属する。
http://www.poreoverit.com

ABOUT
YANAGIMOTO Kouichi

幼少のころ、植草甚一に影響を受けジャズと古本に目覚め、その後小学校1年生のときに発売された『Made in USA cartalog』でアメリカ文化の虜に。 そのころから古着と家具などを集めはじめる。その後、現在に至るまでアートからガジェットまで多くの分野にわたり収集。収集したものを独自の視点で再編集し現代の社会背景にあった新しい解釈で世の中に送りだすのが目的。したがって自身はコレクターではなく、どちらかというとDJ的感覚だという。 10年ほどの会社員時代を経て2002年、豊富な知識と会社員時代に培ったマーケティングなどで出版や展覧会のプロデュース、企業コンサルなどをおこなう『Glyph.』を始動、その代表として活動している。国内外の雑誌の監修や連載も多数。 最近ではショップのコンセプトディレクションや、デザインオークション『コネクト』のビジュアルディレクターとして参加している。