ブランド 30周年記念、菊池武夫と布袋寅泰が大いに語る
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2014年12月25日

ブランド 30周年記念、菊池武夫と布袋寅泰が大いに語る

TAKEO KIKUCHI|タケオ キクチ

ブランド 30周年記念「TOMOYASU HOTEI × TAKEO KIKUCHI」コラボアイテム発売!

菊池武夫と布袋寅泰が“英国”をテーマに大いに語る(1)

メンズブランド「TAKEO KIKUCHI(タケオキクチ)」30周年を記念して、クリエイティブディレクター 菊池武夫氏と親交の深いギタリスト 布袋寅泰氏による“英国”をテーマにしたスペシャル対談が実現!布袋氏の象徴ともいえる“ギタリズム柄”とタケオキクチのロゴタイプを組み合わせて、英国をイメージするスーツ、シャツ、タイなどのアイテムに落とし込んだ「TOMOYASU HOTEI × TAKEO KIKUCHI」コラボレーション限定アイテムにも注目したい。

Text by KAJII Makoto (OPENERS)

対談のスタートは、ふたりの出会いから

日本を代表するギタリストの布袋寅泰氏と菊池武夫氏が出会ったのは、布袋氏がロンドンに移住した2012年ごろ。知人の紹介で食事をする機会があり、そこで互いに“英国好き”ということで意気投合。Facebookでの交流もあり、今回のコラボレーションも互いの信頼関係から異例のスピードで決定したという。コラボレーションライン「TOMOYASU HOTEI × TAKEO KIKUCHI」は、TAKEO KIKUCHI各店での販売をはじめ、布袋氏のオフィシャルサイトやツアー会場でもアイテム限定で予約販売会がおこなわれる。

今回の対談は、雑誌『ローリングストーン日本版』シニアライターのジョー横溝氏が司会進行を務めた。

──今日はざっくばらんに、皆さんの刺激になるようなお話をおふたりからうかがいたいと思っています。普段からおふたりは仲良くなさっていらっしゃるんですか?

菊池武夫(以下、菊池) コンサートを見させていただいたり、食事会をしたり。

布袋寅泰(以下、菊池) ロンドンで初めてお会いしたのも、先生のご友人が僕の先輩という縁で。

菊池 その方の家ですよね。

布袋 ロンドンで先生にお会いすると、だいたい先生は旅の途中なんです……。

菊池 多分、すごくリラックスしている感じですね。

布袋 そうですね。先日も、僕がロンドンのThe Lexingtonという小さなパブでやったライブを見てくださって。先生が前から2列目の近さにいる。なんともシュールな光景でした。さらに、先日のブルーノート東京での、いつもと少し違うトリオでのライブにもいらしていただきました。

菊池 すごくジャズを感じるようなロックでしたね。

布袋 そうですね。僕はロックを聴きはじめたときはブリティッシュロックを聴いていたんですが、ギターを弾きはじめたときは、黒人のファンクギターが好きで。ロックよりも前にファンクをやっていたんですよ。

菊池 聴いていると、なんとなくわかりますね。

布袋 ロックをはじめてから、ちょうどパンク、ニューウェーブの時代を経て、バンドをしているうちにファンク系の音楽を演奏する場もなくなってしまったんです。だから、先日はすごく新鮮でした。

菊池 新鮮でびっくりしました。

──おふたりがきちんと出会ったのは、ロンドンですか?

菊池 いえ、その前に、2003年の僕のショーにいらしていただいた記憶がありますね。

布袋 そうですね。ご紹介いただいたときは、緊張してお話もできなかったです。

──では、いまのように親しくなっていったきっかけは?

菊池 たぶんロンドンですよね。やっぱり東京で会うのとは少し違う。ロンドンだと、なんだか素のままでいられる感じがして。年に2回、必ずロンドンに行っているので、そのたびに会ってますね。

布袋 そうですね。みんなが本当に心許し合える街ですよね。

菊池 そうそう、あたらしいアルバム『New Beginnings』、とても良いですね。すごく興奮する。スリリングで映像が湧いてきますよ。

布袋 ありがとうございます。映像的という部分は、とても意識して作ったので、菊池先生からの感想は一番うれしいです。

影響を受けた英国カルチャー

──トップクリエイター同士のおふたりの共通項であるイギリスのクリエイションやカルチャーという点に絞ってお話をうかがいたいと思います。
おふたがイギリスカルチャーとどんなふうに出会い、どんな影響を受けたのか。何に魅せられたのでしょうか? まずはそのお話から聞かせてください。

菊池 僕は、おそらくロンドンに行っていなければ、この世界に入るきっかけも現状の立ち位置も、なかったかもしれないですね。僕は洋服は好きですけど、どうしても洋服を“デザイン”という側面だけで見ることはできないんです。自分たちの生活のなかの洋服、という形で見ている感覚がある。ロンドンを訪れたとき、強烈に、非日常的な感覚があったけれど、彼らにしたらこれが日常なんだなと感じたんです。

僕がロンドンに最初に行ったのは、ちょうど60年代の終り。そのときはカルチャー全体がひっくり返ったようで、世界中にその影響が及んでいました。ただ、日本だけはいまのようには情報が入ってこなかった。

それで、ロンドンに行ったときにまず感じたのが、古いものはものすごく古い。その古いものとあたらしいものが、すごく共存している点が他の都市とは違う。あたらしさが、より強烈に象徴的なものとして感じるような。それが、すごくやみつきになるような感じでしたね。

布袋 僕は、14歳くらいからロックを聴きはじめ、そしてギターを始めました。そのころレコードを一枚ずつ、お小遣いをはたいて買っていき、気がつくとレコードのコレクションは、ほとんどがUKロックでした。

何に惹かれたのかというと、やはりアメリカで自由を叫ぶのとは違うところ。たとえば、デビット・ボウイが『Station to Station』でバギーパンツを履いていたり、ロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーがタキシードを着てステージに立っている。ロックンロールとダンディズムは相反するものですけど、そこにすごくロマンや哲学を感じたんですよ。

そのころはアメリカのハードロックが全盛で、長髪でジーパンにTシャツというのがロックのアイコンでしたよね。それと違って、UKロックはスーツを着てロックをやっている。とても強烈でした。ダンディズムや男の色気、哲学、そういった部分に惹かれたのだと思います。

──おふたが感じられた60~70年代の英国カルチャーというのは、当時のアメリカにあったヒッピーカルチャーの反動のようにも感じます。自然なものというよりは、まさにデビット・ボウイのような人工的なイメージ。おふたりは、どのようにお感じになりますか?

菊池 やっぱり不思議でしたよね。アメリカは、人間そのものもストレートでナチュラルな印象。でも、英国は古きを重んじるようなところがあります。階級社会に縛られる部分も強い。そこへの反発を、文化のなかで逆手に取ってやっているような感覚がすごくあります。先ほど言われた人工的なイメージというのは、まさに、モノや社会に対する反発が非常に強いというあらわれなのかとも思いますね。だからこそ冒険的なムーブメントが起こってきた。

日本にも昔からの冒険的な考えが本来あったと思いますが、次第に変化してしまった。もっと英国のように歴史や文化を感じながら、もの作りをしたらいいと思いますね。その点、布袋君はとても不思議で、“和”やオリエンタルなものを音楽のなかにすごく感じますよ。そういう部分がとても理想的ですね。やっていることと、その音楽に存在する何かが、きちんと一致しているんでしょうね。

──菊池先生はそのロンドンで受けた刺激を、ファッションとして日本にもって来られ、「メンズビギ」を立ち上げられましたが、なぜ、ブリティッシュファッションに着眼されたのでしょうか?

菊池 当時は、バーンと殴られたような感覚で、これしかない、と思いましたよ。まず楽しいし。若いときには小さく収まって何かをやるという気持ちはまったくなかったですから。音楽についても、僕は子どものときからモダンジャズが大好きで、わりと生真面目に音楽をだまって聞いているような環境でした。そういう感覚でロンドンに来て、ロックの強烈さや衝撃はすごかった。ファッションも、ものすごくかっこ良かった。

布袋 遊び心もありましたよね。

菊池 本当にそうですね。遊んでますよね。

ブリティッシュロックについて

──布袋さんは、音楽の面では、デビット・ボウイやダンディズムみたいなものに惹かれたとおっしゃっていましたが、そのブリティッシュロックの魅力について、さらに踏み込んでおうかがいできますか?

布袋 ストーンズもビートルズも、菊池先生のおっしゃった反骨精神なんでしょうね。ロックンロールはアメリカで生まれた音楽かもしれないけど、イギリスに渡ってきて本当のロックンロールになったような気もするんですよね。

伝統的なものもありながら、そこを飛び出す反発心が、のちにセックス・ピストルズなどの音楽にも繋がると思うんです。それと、言葉のなかや、ちょっとしたギターのリフ、メロディのなかにも、そういった皮肉や批判的要素が入っていることも、面白い。
それから、演劇的ですよね。演劇文化が根強い影響が音楽にもあるんでしょう。クイーンやロキシー・ミュージックもそうであるように。

それと、やはりファッション。ロンドンにはビクトリア&アルバートミュージアムというファッションや装飾などの伝統の美を展示した博物館がありますが、そこに行くと、昔のファッションにもグラムロック的雰囲気を感じますね。

菊池 そうなんですよ。きっと。

布袋 着飾るというよりは自己主張なのですが、そこに伝統美があるから、とてもシックに感じる。英国の良さをひとことでは言えませんが、スーツの着こなしひとつにしても、遊びがありながらも、しっかり伝統は貫かれているところが素敵だと思います。

──アメリカの文化に比べるとイギリスの文化のほうが、日本人として理解しやすいということかもしれませんね。肌感覚としては日本人に合うような。

布袋 イギリス人と日本人は結構似ているとはよく言われますよね。僕にとっては居心地のいい場所ですね。

──それは、アメリカに移住するのではなくてイギリスに行こうと思った理由にも繋がるんでしょうか?

布袋 アメリカは広いですから、ニューヨークなのかシアトルなのかで随分違いますし。イギリスはロンドンにすべてがありますからね。あまり大きな街ではないけれど、雑多な、いろいろなものがミクスチャーされていて、そのエネルギーはいまだにあると思いますね。

TAKEO KIKUCHI|タケオ キクチ

ブランド 30周年記念「TOMOYASU HOTEI × TAKEO KIKUCHI」コラボアイテム発売!

菊池武夫と布袋寅泰が“英国”をテーマに大いに語る(2)

英国ファッション、メンズビギについて

──イギリスのファッションの話を深めていきますが、菊池先生が「メンズビギ」でブリティッシュスタイルを打ち出され、そして布袋さんは、学生のころにメンズビギの服を着ていらっしゃったとか。

布袋 そうですね。はじめてのメンズビギの服はトレーナーでした。胸に“BIGI”と書いてあって。高校生の初めのころだったと思います。当時はまだブランドという言葉すら使われていなかった。

菊池 その言葉は出てなかったですね。

布袋 そのトレーナーを高崎という小さな街で着ているのが、とても自慢でした。ビギの服は色違いを何枚か買っては、首にいろいろ巻いたりして着ていました。おしゃれするというのは、なんだか大人に近づくようなものでもあるし、自分をかっこよく見せるというよりも、「僕はちょっとひとと違う、こういうのが好きなんだ」といった自己主張する行為のひとつでもあった。当時は「ビギを着てれば間違いない」というような、そんな時代だったんです。

菊池 僕は、タイミングに関しては良かったのかもしれませんね。ひとより少しだけ先に、英国スタイルを感じることはできたから。おそらく音楽が好きでなければ、すんなりとはいかなかったのかもしれない。当時のロンドンのファッションと音楽は表裏一体というか、もはや一体化していたと思いますね。いまでもそうだとは思いますが、最近は多様化し過ぎて絞れない。もう個々に違っていますからね。

当時のロックの人たちは、ファッションの世界的なリーダーだったのだと思うんですよ。はじめてロンドンに行く前にアメリカも見てきましたが、最終的に英国人の考え方にずっと心を惹かれている気がしますね。
ですから、メンズビギはある面で英国文化をモデルにしていたと思います。日本にはない文化ですからね。そのうちにビギはビギなりのスタイルに僕自身が気づきだした。そこから完成していった文化でしょう。

最初は僕自身、やっていながら、なんとなく偽物のような感覚がありました。結局、元は英国のスタイルだと見られるわけじゃないですか? 当初は日本のスタイルだと言われることはあまりなかった。だから余計にオリジナリティ、自分のスタイルが出ないとだめだと感じて。

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 03

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 04

自分のオリジナリティ

──オリジナリティを出していくというのは、やはり難しいですか?

菊池 でも、布袋君は完全にオリジナリティをおもちでしょ? 100パーセント。

布袋 はじめは自分の好きな音楽への憧れが、ある種、英国流をなぞり、それを日本の音楽ファンに伝えたいと思っていた部分もありましたよ。ただ、こうしてロンドンに移り、ワールドワイドを目指して活動をはじめると、英国で日本人が英国人ぶっても仕方がないですしね。

菊池 そうですよね。

布袋 やはり、どこかオリエンタルなものは残さざるを得ない。それは僕自身、意識しなかったんですが、僕のギタースタイルのなかにあるみたいなんです。

菊池 ベースにそれがあるのだろうと思いますよ。だからこそ、外国のひとが聴くと、より心に迫るんじゃないですか?

布袋 オリエンタルという話でいうと、イギリスでアジアといえば、まずインドを連想するみたいなんです。まだ日本と韓国、中国はいっしょくたになってますよね。だから向こうのひとが日本音階というと、中国的な音階も入ってしまったりする。僕も、自分のなかに染みついているものではないですが、ギターで沖縄音階を入れていったりもします。「キル・ビル」のイントロのギターソロは、どことなく三味線風だし、自分のなかにある汗や匂いみたいなものが、自然に出るのかなと。それで充分なのかもしれないですね。

菊池 そう。ことさらにやらずに、自然に出てくるほうが、ずっと良いと思いますよ。

布袋 ギターという楽器だからこそ、そうやって自分のなかから出るものが、自然とリズムや音階にあらわれてくるのかもしれないですね。刀みたいに腰にあてがい、バッサバッサとやりたいタイプなので、侍道みたいなものなのかな……。

菊池 それはあるかもしれない。強さみたいなものが出てますもん。

──憧れから、今度は自分のスタイルを確立していくというのは、簡単なようで非常に難しいんでしょうね。それは、繰り返しであったり、肩の力を抜いていくなかで確立されるんですか?

菊池 自然になるのかわかりませんが、意識はあるのかもしれません。僕はバッファローという英国のスタイリング集団とずっといっしょに仕事をしていて、英国のひとの考え方との違いをはっきりと感じます。
僕はこういうふうに思う、と言っても、彼らはあまりよく理解できない。そういうなかで、自分の思っていることを自然にやると、「日本人としての何か」が出てくるんです。すごく意識的に出すのもいいですが、無意識に出てくる日本的な良さというのも、僕は肯定したいんです。いろんなタイプがあっていいと思う。

たとえば、山本寛斎君の洋服はボウイ的。きちんと日本的文化をイメージしてできたものだから、すごく強烈な訴える力があると思うんです。僕はどちらかというとストリート感覚なんですよ。リアリティがないと洋服は楽しくない。だから、自分がそのなかに入れるほどの範囲のリアリティはつねに欲しいと思ってるんです。それぞれ生き方が違うから、どちらのスタイルもよいと思う。

──布袋さんは、そのリアリティという側面は、どう感じますか?

布袋 僕らの場合は、出た音が答えですからね。ギターと自分の距離感みたいなものは、ようやく最近、コツがつかめてきた気がします。最近はアウェーでの活動が多いですが、そのアウェー感が気持ちよくなってきています。どちらかというと、日本で活動していたときは、自分で自分の枠を決めてしまい、そのなかに自分を閉じ込めていたところもあると思うんです。最近は、自分自身をすごく解放できた感覚があって。音がとても伸び伸びとしているようにも感じます。

菊池 それは僕も聴いていて、広がりをすごく感じますね。

布袋 以前は、みんなが欲しているのはこれだと勝手に決めつけてしまっていたのだと思います。僕はいろんなミュージシャンとジャムするのも、そういう道場破りみたいなことも大好きだし、ときには打ちのめされる自分も好き。そうやって楽しみながら、自分を鍛え、自分の音を探して、いまやっと、自分のスタイルに辿り着いたと思うんです。いまは、何も考えずにストーンズならストーンズに、ジャズならジャズに向き合う。それでも自分は変わらないですもんね。

国境を越えた布袋さんの音楽

──一般的に、音楽には国境はないとか、ファッションの世界にもきっと国境もなく、皆さん世界を股にかけている。実際に、国境を飛び越えて行けるものなのでしょうか?

菊池 僕は、布袋君だから行けたと思うんですよ。これまでも行こうとしたひとはたくさんいるけれど、布袋君みたいな入り方ができたひとは、おそらくいないんじゃないですか? 世界で公演をするひとはいますが、向こうのひとのなかに音楽がそのままの形で入り込んでいくような、そういう面では布袋君はナンバーワンだと思いますよ。だからはっきりオリジナリティがある。

おそらく布袋君は外国人も理解できる何かをもっているんでしょう。布袋君の音楽は、なぜだかどこの国にも入っていける不思議な魔力がありますよ。メロディでも演奏でもそうですけど、ワクワクするような感覚がそこにある。それは国を問わず、おなじような感覚だと思うんです。だから、理屈抜きで音だけでひとの心へ、ぐーっと入る。海外へ出た日本のミュージシャンでは、そういった部分ではじめての存在のように思いますね。

布袋 恐縮です、本当に。ありがとうございます。

──先ほど解放という言葉も出ましたが、布袋さんは自分の音楽をどういうふうに捉えていらっしゃいますか? 菊池先生の大絶賛のあとだと、話しづらいかと思いますが……。

布袋 クリエイティブの大先輩にそんなふうに感じていただけて、とても光栄です。でも、おっしゃる通り、ギターという楽器自体が、言葉を越えた部分が非常にある。ボーカリスト同士だとマイクを分かち合って伝え合うというのは、なかなか難しいところがあります。ギターはメロディ楽器でもあり、リズム楽器でもある。さらにはアグレッシブでもロマンティックでもある。非常に奥行きのある楽器だからかもしれないですね。

それから、僕らの時代はジャズやプログレ、アメリカンロック……と多様な音楽をすべて自分の身体に取り入れることができた時代。それは大きいと思いますね。
少し遅いスタートでしたけど、50歳にしてイギリスに移りました。日本はとても豊かだから、音楽も日本のマーケットのためだけの活動でも充分かもしれない。でも世界は広い。僕らは、もっと世界を感じるべきだと思いますよ。「日本と世界」という意識ではなく「世界の中の日本」という意識。それをもってやれば、それだけで表現って少し変わると思うんです。だからいまは、僕のホームはどこなのか? と考えると、イギリスがホームのような気もします。ただ、アウェー感をずっと楽しむという意味ではホームをもたずに、どこもアウェーという感覚でいたい。

菊池 いいね。それは。

布袋 そういう緊張感をもちつづけることは大切だと思いますね。

菊池 すごい勇気だよね。日本でも完全に自分の位置を確立していて、それを全部、一度白紙にして、英国で活動するというのは。

布袋 確立したわけでもないですよ。ただ、このままでは自分が大きくなれない、という危機感は感じていて。自分が自分に飽きているというか。作品を作っても、このラインをずっと超えられないというような感覚ですね。それが自分のなかでも少しストレスになっていて……。
これは自分で解放しないと、何かを一回捨てるとか、大きなことをしないといけないと思ったんです。バンドは解散できるけど、「自分」は、なかなか解散できないと思っていたんですが、できましたね。

菊池 見ていると、完全にできていますよ。

布袋 今回出したアルバムで、僕は「再デビュー」だという気がしています。25年前にソロでデビューして、そこではじめて歌も歌い、それ以来25年間歌ってきたんですが、今回から歌をやめて25年ぶりにギターだけになった。すごく自由になりましたよ。勇気もいりましたが、なにより楽しい。苦しく感じない。充実しているときのほうが苦しかったような気がします。

菊池 僕は、そこまでではないけれど、やはりプレッシャーはありますよ。一種の守りというか、あたらしいものができると、つぎに、それをどうにか打ち破るほどパワーが出つづけてはこない。そうしたプレッシャーはつねにありますね。

僕が音楽のひとをうらやましいと思うのは、演奏しているときもそうですが、音楽特有の開放感ですよね。やっていること自体に自分を発散するエネルギーがあるんだろうと。僕らはないですよ。いつも中途半端。やりきっても、すぐに反省する。いろんな要素が、あまりにも複雑に絡み合うので難しいですね。だから外国で仕事をすると、よりストレートになります。「良いか悪いかだけ」というような感覚かな。

日本にいると、良いか悪いかも、どこに答えがあるのかすらもわからないような状況がありますよね。

コラボレーション企画

──今回おふたりは、コラボレーション作品で夢の共演を果たしました。

布袋 これはもう、不思議な気持ちですよ。昔、メンズビギのトレーナーを着ていた僕としては。僕のトレードマークの柄に菊池先生の名前が入っているなんて、本当に不思議でうれしいですね。

菊池 今回、僕たちから提案したんですよ。僕のブランドのスタッフには、布袋君のファンはすごく多い。熱狂的なひともいて。だから、コラボレーションをやるなら、絶対に布袋さんしかいない! と盛り上がった。

布袋 ロンドンでお会いしたときにも、僕のほうから、何かごいっしょできることがあったら、ぜひよろしくお願いします、なんてお話をさせていただいていたんです。でも、こんなに早い時期に、こんなふうにごいっしょできるとは、うれしいですよね。

TAKEO KIKUCHI|タケオ キクチ

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菊池武夫と布袋寅泰が“英国”をテーマに大いに語る(3)

布袋寅泰から見た菊池武夫

──僕(司会進行のジョー横溝氏)は1968年生まれで、20代からメンズビギを知っています。いち早くメンズファッションでパリコレに出られたりと、世界で活躍された“先駆け”というイメージが強い。栄枯盛衰が激しい業界で10年20年とつづくブランドも少ない。そのなかで、ここまでぶれずにやってこられた「菊池武夫」というデザイナーの魅力について、布袋さんは、どのように感じていますか?

布袋 僕は、ミュージシャンになっていなかったらファッションデザイナーになれたらいいな、とも思っていたりしてましたし、憧れのひとですよ。洋服は、日常をより一層日常として、そのひとを、さらにそのひとらしくする魔力をもっていると思います。ただ、デザインだけでは収まらない細かな部分も含めて、厳しく、大変な世界なのだろうとお察しします。

菊池先生は、お会いするたび、なにより先生自身がおしゃれで、それを楽しんでいらっしゃる。ロンドンでお会いしても、旅を楽しんでいらして。それと、いつもニュートラル。こうありたい、という理想の大人像でもあり、ダンディズムをもっている方ですよ。

緊張感はもちろんありますが、すごくチャーミングな方でもある。デザイナーとして、というよりも男として、先輩として、菊池先生のおおらかさや、優しさ、張り詰めていながらもいっしょにいるひとをリラックスさせるオーラーみたいなものに憧れますよ。

菊池 ありがとうございます。うれしいですね。

先人たちの冒険

菊池 僕は、仕事が終わって、食事やお酒を飲んでいるときには、仕事の話はしたくない。普段から楽しいものは楽しみたいと思って、ずっとこの75年間生きてきたんですよ。だから誰かといっしょにいたときに、相手に緊張してもらっては困る。それを努めながら、自然に自分も楽しむことだけを考えていたから、どこに行っても楽しい。

布袋 先日、とても光栄なことに、菊池先生と高田賢三さん(KENZOデザイナー)と三宅一生さん(ISSEY MIYAKEデザイナー)とお会いして……。三人でお会いするのは、ひょっとしたらはじめてですか?

菊池 そう。はじめて。

布袋 そんなお席に僕も招いていただき、その場にいたんですが、それはもう、モーツァルトとベートーヴェンと……みんな一緒にいるような状態。そこでも、菊池先生がその場をリラックスさせていらした。賢三さんも一生さんも、まるで昨日会ったかのように自然に打ちとけていらっしゃって。あのときも菊池先生のマジックだと思いましたね。あの夜はすごかったです!

菊池 楽しかったね。本当に。みんな勝手に、いろんなこと言って。面白かった。

布袋 皆さん、すごくたくさんの冒険をなさってきたんだと思います。何もないところから、電車に乗り、スーツケースを持って何かを探しに行ったような……。僕らは、そういった先生たちの冒険の成果をこうして纏ったり、フィロソフィーを感じたりすることができた。先人たちが勇気をもってアドベンチャーしてくれたおかげだと思うんです。僕らも負けてらんないなー、と思いますよね。

菊池 その言葉、ものすごくうれしい。僕らは年上だから、人生を先に生きて、先に経験して、ここまでやってきた。布袋君が言ってくれたように、先人たちがいろいろやり、それが受け継がれながら、時代が変わっていく。それは、素晴らしいと思う。
日本にいると、先人たちを尊敬しているように、あまり感じないことが、なんとなく寂しい。いつもそのときの現実だけというか。一部のひとには尊敬の念も強くあると思うんだけど、一般的にはそういう目で見ていない。

布袋 いまが一番、のような。

菊池 そう、いまが一番という感覚。外国に行くと、時代のなかで活躍したひとを、若い人もみんな知っています。

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 06

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 07

伝統の継承

菊池 さっき、布袋君が言われたようなことが、いろいろなところで言われるようになると、日本は、より成熟した文化になっていく気がしますね。

布袋 英国は本当に伝統を大事にしていて、素晴らしい。ずっと継承をつづけてきていますよね。

菊池 進歩や変化をするときはする、どんどんやっていますけど、海外のひとはペースをもっていますよね。英国だと、いまでも若い人たちに泡を立てて髭を剃る人、結構いますもん。

布袋 そういうことも継承していくのは大事ですよね。たとえば、スーツにしても、日本ではネクタイをするのは、締め付ける、苦しい、といったイメージがあって、サラリーマンの方がたのユニフォームのようなイメージもあるかもしれない。英国で、フォーマルの席に招かれると、蝶タイをして燕尾服を着る。それは、“かしこまる”ということだけじゃないんですよね。その文化のなかで自分を存在させるのに必須のこととでもいいますか。

スーツを着ることは苦しいことではなく、逆にスーツの語源からくるように、スーツをしっかりスーツできないと(ぴったり似合わせられないと)と思うんです。ドレスダウンは誰でもできますが、ドレスアップもできなきゃ、ちゃんとダウンもできないでしょ。

とくに、ロックの人たちはスーツを着る機会があまりなくて、結婚式で、とても場違いな感じになってしまいがち。でも、やっぱりブラックスーツはロックスターが一番かっこよく着なきゃいけない、と思いますね。

菊池 そうですね。

布袋 たとえば、僕の格好なんてブライアン・フェリーからの影響ですが、その格好良さを継承していく、自分を通じて伝えていかないと、と思います。僕ももう立派な大人の年齢ですから、格好いい大人じゃないと。

菊池 その面では、布袋君はすごいですよ。

The Rolling Stonesとの共演

──今年の3月にあのストーンズの来日公演で、布袋さんが、まさに憧れの人たちと共演されましたね。
ストーンズは、1962年に結成されて、バンド名もマディ・ウォーターズの“Rollin' Stone”っていう曲から取っている。そのマディ・ウォーターズが曲のなかで「ブルースが子どもを産んだ。ロックンロールという名の子どもだ」といった意味を歌ってるんですね。まさに、ストーンズはブルースから生まれたような存在。そして、いわばイギリスのロックを継承している布袋さんがストーンズと共演するというのは、まさに伝統が継承されていくような瞬間だったと思います。憧れの先人たちと共演するというのは、どんな感覚だったのでしょうか?

布袋 それはもう、説明できないですよ。ミック・ジャガーが、そこにいる。それは、それは、シュールな出来事でしたね。せっかくお誘いいただいたのだから、彼らには「ゲストに呼んで良かった」と思ってほしい。
これはラリーみたいなものですからね。ジャム(即興的な演奏)の礼儀というのも、わきまえてるつもりですし。皆さん、楽しんでいただいたみたいでよかったです。

僕は、大好きなデビット・ボウイ、ブライアン・フェリー、ロキシー・ミュージック、そしてローリング・ストーンズ、新作アルバムではイギー・ポップとも共演できた。こんなギタリストはいないですからね。
なぜなのかと皆さんが不思議に思う気持ちも、もちろんわかります。おそらく、僕のギターは相手を解放する何かがあるんだと思うんです。ひとが気持ちよくなるのを見るのも好き。ボーカリストの横でボーカリストを高めるのも好きだし、ジャムをやっていても、自分よりも周りを楽しませることの方が楽しい。そういうホスピタリティというのも変ですが、ギターでのコミュニケーションを、僕はいろんな場面から学んできたんだと思うんです。

──僕も、あのとき会場にいて、もう興奮しました。うれしかったですよ。

布袋 終わったあとに、かまやつひろしさんからメールをいただいて。一文だけだったんですが、「僕たちの夢を叶えてくれて、ありがとう」という言葉をいただいたんです。それは、とってもうれしかったですよ。僕の夢でもあるけれど。

菊池 たしかに、みんなの夢でもあるね。

布袋 はい。緊張感をもって、良いプレーをし、いい音を出さないと、みっともないですからね。

憧れの人たちと仕事をすること

──菊池先生はどうですか? 憧れの人たちと仕事をしてきた瞬間はたくさんあると思いますが、どういう感覚でしたか?

菊池 うれしいですよ。以前、パリでショーをやったときに、僕のアシストをしてくれたのが、ドクロのモチーフで有名になったルシアン・ペラフィネ。彼が一緒にショーの進行を全部やってくれて。彼は、いろんなショーのアクセサリーを作ったりしていたひとなんですが、一緒に仕事をして、こいつは面白いぞと思っていたら、時を経て、彼のスタイルがはっきりしてきたといいますか。
僕は、そういう一緒にやった仲間が、のちにこんなひとだったんだ!という驚きがいくつもあったことがすごくうれしかったですよ。

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菊池武夫と布袋寅泰が“英国”をテーマに大いに語る(4)

夢を実現する力

──布袋さんは、ソロ活動25周年の今年、そのアニバーサリーイヤーにリリースされたアルバム『New Beginnings』(2014年10月1日発売)で、イギー・ポップと共演されたんですよね。イギー・ポップは、デビット・ボウイのプロデュースなどもしていますし、自身のザ・ストゥージズのプロデュースなどもしているという面では、布袋さんのルーツにも近い方との共演だと思います。

いっぽう、菊池先生もTAKEO KIKUCHIの30周年記念の企画で、イギリスの「MONTGOMERY(モンゴメリー)」とのコラボレーションをされたり。
その道のファンからすると夢のような体験をなさっていらっしゃいますよね。どうやったら実現するのかと誰しもが考えると思うのですが、夢に近づく、叶えるためになさっていることは、何かあるのでしょうか?

菊池 僕の場合は、運かなと思っちゃいますね(笑)。

布袋 運を引き寄せるのも実力とはいえ、待っていても来ないですしね。当たって砕けろという言葉は、的を得ていて、やはり向かっていかないとはじまらない。そういう勇気は必要じゃないでしょうか。
それから、僕の場合も自信がなければイギーには頼めないとか、ストーンズの公演では弾けないというのもあったと思う。自分が自分らしくあれば、いろんなチャンスをものにできると思うんですよね。

菊池 それは正しい。自信がないと。恥ずかしいと思ってばかりでは困ってしまう。

布袋 せっかくのチャンスに、自分を引っ込めてしまうのは、もったいないですよね。

──おふたりがおっしゃるように、自信があると言えるには、自分との戦いのような部分も強いんですか? 僕自身、好きな言葉に「才能とは、夢を見つづける力だ」というのがあって、それをすごく信じているんです。もしかしたら、そういうことが大事なんでしょうか?

菊池 それは、よくわからないけどね。ずっと子どものときからあった、やりたいこと、まだ実現していないものも、いくらでもありますよ。夢は実現したい、という思いはありますから、いまでもずっと夢としてもっていますよ。この歳になって言うのもおかしいですけどね。

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 09

TAKEO KIKUCHI|TOMOYASU HOTEI 10

これからの夢

布袋 そのなかのひとつでも聞かせてもらえますか?

菊池 僕、クルマのデザインがとっても好きなんですよ。古いクルマを見るのも大好き。ただ、この10年間くらいを見ていると、良いと思うデザインが、あまりない。
技術的にも、いろんな意味でも、ものすごく発達しているけど、クルマが本来もっているワクワクするようなものを感じないんですよ。そこのところをデザインをしたいと、ずっと前から思っているんです。
一度、模型を作ったりして、実際に作ろうと思ったこともありましたが、クルマを作るだけで、ものすごくお金がかかる。そういう面でまだ夢でもあるんです。

それと、自分で脚本を書いて、ドラマや映画を撮りたい、という夢もある。以前も一度、ショーケン(萩原健一さん)といたときに、作る話をいっしょにしたものの、やろうとして彼から止められてやめました。そういう夢も最終的には、やっぱり洋服と関係してきますけどね。実現できないだろうけれど、やりたいことは、未だにいくらでも残っているんです。

布袋 でも、両方とも実現しそうな気がしますね。

菊池 いや、なかなかしないですよ。

布袋 その際は、カーステの音楽は僕に。映画音楽も僕に任せてください。そこでもコラボレーションしていただいて。
僕のほうは、ようやく海外で何らかの扉が開きそうな状態ですから、まだスタートポイント。長い長い滑走路を経て、いまやっと飛び始めたあたりですから、ここからが勝負。でも、飛躍するだけでなく、地道にコツコツという部分も必要だと思っています。僕の音楽のファンを、ひとりひとり掴んでいかないと。

菊池 それは僕も、ものすごく感じます。ひとりひとりに、ちゃんと理解してもらう努力は、いつまで経っても絶対に必要ですよね。

布袋 大きなきっかけとして、映画や何かで世界中に広まるということも大事だけれど。

菊池 そう。理解を深めてもらう努力のほうが、ずっと大事だと思う。

布袋 世界中を演奏旅行したいという夢であれば、大きな場所でなくてもいいんですよね。誰も僕を知らない所で何度か演奏をすると、はじめはこちらを振り向いてくれなかった方がたでも、終わるころには熱狂してくださっている。その姿を見ると、これからも、そういう瞬間を信じたい。まだまだ世界は広いですからね。

菊池 そうですよね。

布袋 ワールドツアーをやっている人たちの時差との戦いは、ものすごいですよ。体力がないとできないし、好きじゃないとできない。それこそ、そこに夢をもっていないとできない。でも、叶えたいなあ。

菊池 叶いますよ。

──そのときは、菊池先生からの何かプレゼントはないんですか?

菊池 生きていればね。

布袋 菊池先生は、ロックンロールな方ですよ。ロンドンでいっしょにお酒を飲ませていただいたときも、結構、飲まれたんですよね。最後に、ご友人の方が、「お水はいかがなさいますか?」って言ったら、「いやー、せっかく酔っ払ってるのに、薄まっちゃうよ」と。

菊池 飲むのは大好きですね。飲んでいるときのコミュニケーションって、いいじゃないですか。その場の雰囲気も大好きですよ。そこから覚ますのはもったいないよね。

世界で活躍するために

──これからもおふたりには、世界で活躍しつづけていってほしいですね。
インターネットの時代になり、より身近に世界を感じられるようになったとはいえ、実際の世界は広い。では、どうやったら世界で活躍することができるのか、何が必要なのか。この対談や映像を見ている方のなかにも、おなじように世界で頑張りたいという方がたがおられると思いますが、そんな皆さんへのヒントとして、おふたりが感じていらっしゃることがあれば、教えていただけますか?

菊池 僕自身の思いは、“共鳴感”のようなものをひとりでも多くのひとに伝えたいということ。デザインでそれが伝えられれば最高ですね。布袋君が言われた、音楽ファンひとりずつに伝えていくこととも通じるかもしれない。洋服も、音楽とおなじだと思う。
僕はその共鳴感のために、やってるような気がします。ひとりひとりに共鳴してもらうために、伝えられる力を、いつまでももちつづけたいと思ってます。

布袋 僕は、「世界で」という意味合いでは、日本にいても世界にいるのだという意識でいることが大事だと思います。世界ではない日本にいるのだと思っていてはいけない。ここも世界の一部なんだという意識でいるだけでも、ものの見方や聞こえ方、感じ方は結構変わるものだと思うんです。僕も、いきなりイギリス人になったわけではありませんし。(笑)

ただ、こうやって、あっちこっちを飛び回ったりしながら、どこでもアウェーであり、ホームだという感覚を少しずつ感じると、日本の良さも見えてくる。人生は旅であるという醍醐味も感じられる。毎日がエキサイティングですよ。そういう、ちょっとした自分のなかの意識だと思いますね。

──おふたりを見ていると、キース・リチャーズの「ロックもいいけど、ロールはどうした?」という言葉に応えるように、ロックもローリングもしているように感じます。これからも、どこまで転がってくれるのか、非常に楽しみです。もしかしたら、菊池先生の作る映画のサントラを、本当に布袋さんが作っている。そんなことが数年後に実現するかもしれないですよね。

布袋 ぜひぜひ。今日はどうもありがとうございました。 これからもよろしくおねがいします。

菊池 ありがとうございます。

布袋寅泰|HOTEI Tomoyasu
日本を代表するギタリスト。日本のロックシーンへ大きな影響を与えた伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍し、1988年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。プロデューサー、作詞・作曲家としても才能を高く評価されている。クエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより、「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)」が映画『KILL BILL』のテーマ曲となり世界的にも大きな評価を受け、今もなお、世界で愛されている。2012年よりイギリスへ移住し、二度のロンドン公演を成功させた。2014年、The Rolling Stonesと東京ドームで共演を果たし、さらにニューアルバム『New Beginnings』ではIggy Popが共作で参加している。
http://www.hotei.com/index2.html

菊池武夫|KIKUCHI Takeo
1939年、東京都千代田区生まれ。1964年からオーダーメード服を手がける。海外遊学を経て、1971年にレディースブランド「BIGI」を設立。1975年には「MEN'S BIGI」を設立。パリへ進出し、日本人として初めてメンズショップをオープン。日本テレビ『傷だらけの天使』の萩原健一氏の衣装デザインを手がけ、爆発的な人気に。1984年にワールドへ移籍、「TAKEO KIKUCHI」ブランドを発表。2003年に同ブランドのクリエイティブディレクターを退任。2005年、同世代向けの新ブランド「40CARATS&525」を立ち上げる。2012年「タケオキクチ」クリエイティブディレクターに再就任。

TAKEO KIKUCHI
Tel. 03-6324-2642
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