ALFA ROMEO MiTo|アルファロメオ・ミト 試乗(後編)
Car
2015年4月17日

ALFA ROMEO MiTo|アルファロメオ・ミト 試乗(後編)

ALFA ROMEO MiTo|アルファロメオ・ミト 試乗(後編)

スポーティさを追求したのがわかる

小動物を思わせるキュートなデザインで話題を呼んでいるアルファロメオのコンパクト2ドアハッチバック「MiTo(ミト)」。後編は、自動車ジャーナリスト、小川フミオ氏によるインプレッションを中心にお送りする。

文=小川フミオ写真=荒川正幸

戦闘機ぐらいの加速感

はたしてMiToを運転すると、たしかにスポーティさを追求したのがわかる。まずハンドリングの正確さと、車体の軽快な動きに感心。エンジンはさすがに1.4リッターなので、ロケットのように飛び出すパワーはないな、と思うが、ここで「アルファロメオD.N.A.システム」のD(ダイナミック)モードを選べば、ロケットでなければ戦闘機ぐらいの加速感が味わえる。

MiToは、かつてのレーシングカー、8Cコンペティツィオーネのイメージを盛り込んだといい、ルックスが無骨なのだけれど、どこかクルマ好きの心を騒がせるものがある。サイドウィンドウのグラフィックも、尻上がりの軽やかさを感じさせるもので、アルファロメオは市場が求めるものをよく理解しているといえる。

多少はげしく走っても身体が横揺れしないように、側面のサポート部分を大きくしたスポーツシートに身をあずける運転席は居心地がいい。計器やスイッチ類の並べ方が多少ごちゃっとしているものの、それも若さあるベイビーアルファの味だと思うといいかもしれない。

独特な乗り心地

乗り心地はけっして悪くないが、しかし独特。路面からのショックはよく吸収する一方で、足まわりは硬い。乗り心地を犠牲にせずにスポーティなコーナリング性能を実現するため、前後サスペンションにリバウンドスプリング内蔵ダンパー7を採用しているため、とアルファロメオでは説明する。

印象としては、スプリングが固めで、ダンパーはしなやか。ハンドルを切り込んだときに車体が前輪外側が一瞬ぐっと沈む、個性的な身のこなしだ。クルマに慣れるのもアルファロメオのオーナーには喜びかもしれないので、これはこれでよしとしよう。

車体色は3色で、写真のアルファレッド、ビアンコスピノという白、そしてメタリックとしてエトナブラックだ。シートは標準でファブリック張りとなり、カラーは黒/赤の組み合わせ。オプションでレザー張りが用意されている。色はナチュラル、それに黒いボディには赤も設定されている。メタリックカラーは5万円高、レザーシートは20万円高。

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ALFA ROMEO MiTo
ボディ|全長4070×全幅1720×全高1475mm
エンジン|1.4ℓ 直列4気筒 DOCH 16バルブ
最高出力|114kW[155ps] / 5,500rpm
最大トルク|201Nm[20.5kgm]/ 5,000rpm (Normal)  230Nm[23.5kgm] / 3,000rpm (Dynamic)
駆動方式|FF
トランスミッション|6段マニュアルトランスミッション
ハンドル|右
価格|285万円

Alfa Contact
0120-779-159

BRAND HISTORY
セダンからオープンスポーツまで、洒落たイタリアンデザインとスポーティな走りにより、日本でも圧倒的な人気を誇るALFA ROMEO(アルファ ロメオ)。1910年、イタリアの企業家たちが、ミラノにあったフランスのダラック社の自動車組立工場を買い取り、設立したのがA.L.F.A社である。A.L.F.Aは“Anonima Lombarda Fabbrica Automobil”の頭文字からなる名前であり、“ロンバルディア自動車製造会社”を意味する。

すぐに独自モデルの「24HP」を投入したA.L.F.Aは、レースへの参戦も果たし、スポーツカーメーカーとしての頭角を表しはじめるが、財務状況は芳しくなく、1915年には経営陣が大きく変わることに。このとき主導権を握るのが、実業家であるニコラ・ロメオであった。1918年には社名をニコラ・ロメオ有限会社と改め、第一次大戦後の1920年にはアルファ ロメオのエンブレムを掲げた初のモデル「Torpedo 20-30」が発売されている。

1922年には本格的なスポーツモデルである「RL」を投入。23年のタルガフローリオでは1-2フィニッシュを飾り、アルファ ロメオの名を世に知らしめる結果となる。そして同じ1923年にはレーシングカーの「P1」を開発、搭載される1990ccの6気筒にはすでにDOHCが採用され、以後、DOHCはアルファ ロメオを特徴づける技術となった。しかし、P1そのものは失敗。そこでアルファ ロメオは天才技術者のヴィットリオ・ヤーノをフィアットから引き抜き、グランプリカーの「P2」を開発、レースの歴史に輝かしい足跡を残すことになる。

第二次大戦後は量産車メーカーに転身し、1954年の「ジュリエッタ・スプリント」、1962年の「ジュリア」など、アルファ ロメオを代表するモデルを発売。1986年にフィアット傘下に収まったあとは、「アルファ156」や「アルファ145」「アルファ147」といったモデルが日本でもヒットし、アルファ ロメオの人気はますます高まりを見せている。

           
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