西洋紋章画家、山下一根氏の仕事(その1)
FASHION / NEWS
2015年3月19日

西洋紋章画家、山下一根氏の仕事(その1)

IKKON YAMASHITA THE HERALDIST

西洋紋章画家、山下一根氏の仕事(その1)

名だたる西欧貴族や名家をはじめ、多くのローマ教皇庁(ヴァチカン市国)の枢機卿や司教の紋章デザインを手がけ、ローマ教皇の紋章作成にも参加した山下一根氏。中世から連綿と続く紋章学を学び、その歴史を現代に継承する唯一のアジア人である山下氏の仕事をとおし、日本ではまだ馴染みの薄い西洋紋章の世界を紐解く。(全2回)

構成と文=竹石安宏(シティライツ)写真=奥山光洋(奥山写真事務所)撮影協力=カトリック潮見教会(旧「蟻の町」、カトリック東京大司教区)下窄英知師(カトリック中央協議会・司教協議会秘書室広報)

西洋の歴史が封印された紋章学の世界

山下一根氏

西洋の歴史が封印された紋章学の世界

特定の国や地域に脈々と受け継がれてきた伝統的な文化に、異国の人間が入り込むことにはえてしてさまざまな障壁がつきまとう。ましてやそのなかで評価を得るとなれば、それはなおさらのことだろう。山下一根氏はそんな障壁を乗り越え、西洋紋章画家として活動する人物である。

ヨーロッパでもっとも権威あるスイス紋章学会や英国ケンブリッジ大学紋章系図学学会の学士員である山下氏は、イタリア国内における紋章画集の出版や、スペインの紋章院よりアワードを授与された経験もある。そうした学会に所属し、ヨーロッパ各国の紋章院に登録される、いわば正式な紋章を手がける紋章画家のなかでは唯一のアジア人だ。

日本人である私たちでも、西洋紋章を目にしたことは少なからずあるだろう。欧米の老舗ブランドのロゴやクルマのエンブレム、ワインなどのラベル、または英国のロイヤルワラント(英国王室御用達)などにも紋章が使用されている。だが、その意味や歴史については、日本ではあまり知られていないのではないだろうか。

西洋の歴史が封印された紋章学の世界

マルタ騎士団の第78代団長アンドリュー・バーティー公の紋章。マルタ騎士団は正式名を「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」といい、第一回十字軍の時代より続く修道会。団員の紋章には有名なマルタ十字があしらわれる

そんな紋章の発祥は、ヨーロッパの中世にまで遡(さかのぼ)る。戦乱の時代、甲冑を纏(まと)い剣と盾を持って戦った騎士たちが敵と味方を判別するため、盾に描いた印が紋章の発端とされている。日本における戦国武将の兜飾りとおなじ目的である。英語で紋章が“Coat of arm”(武具の塗装)や“Herald”(軍隊の使者/味方であることを示すために盾を見せる)と表現されるのはこのためだ。それがやがて王侯貴族の家紋的役目を果たすようになり、12世紀ごろに形式化され、氏族の証しとして代々受け継がれるようになった。

日本の家紋に近いが大きく異なる点は、紋章が氏族とともに所有する個人を証明するものでもあることだ。そのため、代々変わらず受け継ぐ家紋にたいし、紋章は受け継がれた個人によってデザインが変わることもあり、現在もそうした紋章を新たに描く紋章画家がヨーロッパにはいるのだ。

偉大なる恩師、ブルーノ・ベルナルド・ハイム大司教との出会い

「紋章をはじめて知ったのは福岡での中学時代、図書館で見た本のなかでした。とてもカラフルで、なんてキレイなんだろうと思ったことを憶えています。そののち東京の大学に進んだのですが、大学の図書館でも紋章の本を見つけた。それが私の師である、ブルーノ・ベルナルド・ハイム大司教の著作でした。本に感銘を受けた私は、スイスの大司教に手紙を書いたのですが、すぐにご返事をいただいた。そして夏休みを利用し、紋章の教えを請うために、お会いしに行ったのです」

前教皇のヨハネ=パウロ二世をはじめとした歴代ローマ教皇や、ヨーロッパ中の名家の紋章をデザインした山下氏の恩師、ブルーノ・ベルナルド・ハイム大司教(Archbishop-Nuncio Bruno Bernard Heim)。あるとき山下氏がなぜ自分を弟子にしたのですかと訪ねると、師は「それは神のみぞ知る」と答えたという。右の写真はスイスにて修行時代の山下氏と大司教。

山下氏は紋章との出合いをこのように語る。山下氏が師事した故ブルーノ・ベルナルド・ハイム大司教は、歴代のローマ教皇をはじめ、ヨーロッパの王族や貴族の紋章を数多く手がけた紋章の大家である。紋章はかつて戸籍とともに教会が管理していたものであり、ほとんどの紋章画家は聖職者だった。山下氏もふだんは日本におけるカトリック教会の本部である、カトリック中央協議会(東京都江東区潮見)に携わっている。

ハイム大司教は駐英ローマ教皇庁大使という外交職を果たすかたわら多くの紋章を描き、ケンブリッジ大学紋章系図学学会総裁として紋章学の発展に尽くしていた。そんなハイム大司教は山下氏と出会う89歳まで弟子を取らなかったが、山下氏が大学を卒業した1997年にスイスの自宅へ招き、最初で最後の弟子としたのだ。こうして山下氏は約2年間、ハイム大司教のもとで西洋紋章を学んだ。

西洋の歴史が封印された紋章学の世界

「私はそれまで絵やデザインの勉強などはしたことがなかったのですが、ハイム大司教からは具体的な描き方のテクニックから伝統的なモチーフの意味、描くさいのルールなど、紋章にかんするすべてを手ほどきしていただきました。またそればかりか、ヨーロッパ中の貴族院や名家をクルマで一緒に訪ね、私を紹介していただいたのです」

西洋紋章画家、山下一根の仕事(その2)につづく

現スペイン国王ファン・カルロス一世の従兄弟宮である、カラブリア公ドン・カルロス殿下の威厳漂う紋章。こうしたクラウン(王冠)のモチーフは王家の血筋を引いた家柄の紋章にしか用いることができないが、一般的にも使えるクラウンのデザインもあるという


山下一根氏への紋章制作は(株)デュアルクルーズにて受け付けています。詳細は下記までお問い合わせください

デュアルクルーズ
お問い合わせ先|03-6382-7785

西洋の歴史が封印された紋章学の世界


山下一根(YAMASHITA Ikkon)

1974年大分県生まれ。上智大学卒業後にスイスへ渡り、紋章学を修得。恩師から学んだドイツ語をはじめ、イタリア語、フランス語、英語、そして紋章には不可欠なラテン語を操り、現在は日本で世界中からの紋章デザインを手がけている。昨年は六本木ヒルズのハートランド・ギャラリーにて個展を開催した

           
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