第2回目は僕の本業、靴の話を少ししたいと思います
Fashion
2015年5月21日

第2回目は僕の本業、靴の話を少ししたいと思います

「CAUSE」を始めたのは1996年、僕は特別に靴の学校にいっているわけでもなく独学で、 靴好きが高じて靴の分野に入っていきました。

きっかけは僕が、若い時代(80年代初頭)にバイヤーをしていたことがあって、当時ロンドンの郊外にあるノースサンプトンという場所に「パトリックコックス」や「ジョンムーア」といったシューズブランドを買い付けに行ったりしていて、その時にデザイナーや職人に工場で作る工程を見せてもらえたタイミングがありました。
その時の工場の独特の革の匂いや縫製するミシンの音がとても印象にあって、今でもよく覚えています。今思うとその時の体験があったから靴の分野にすんなり入れたんだと思う。

ジョンムーアが当時、開いていた「ハウス オブ ビューティー カルチャー」というお店があって凄くかっこよかった。いつも閉まっていてインターホンを押すと2階から降りてきてお店を開けてくれる。ドアに大きな錠前がかかっていて、床に世界中のコインが埋まっていて良い店だった。大切そうに靴を取り出して説明してくれて。
80年代初頭のロンドンは僕にとってファッションや音楽など新しいものが常に生まれていて本当に影響を受けました。友人たちとB&Bの安宿に泊まって毎日カムデンロックやクラブに行ったり、ライブを見たり、見るものすべてが新鮮で、僕の原点がその時にあると思っています。

当初はどんな靴をリリースしようかと考えていて最初に思いついたのは、僕がその時に立ち寄っていたシューズファクトリーに問い合わせをして、僕の思う靴を作って欲しいと思い、96年にヨーロッパに準備として向かいました。

1年間くらい靴の構造や製法や素材を見て回ったりしていて、とにかく自分のイメージした靴をより明確に作ってもらえる工場を探すために、いろいろな国 (イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、日本)を見て歩き回りました、ほんとに良く歩いたな。

2007S/S CAUSE 展示会より

それから11年! 今の僕がいます。最近になってやっと自分に馴染んできたような感があります。

初めて靴を作成したのはイギリスのローク社とフランスのパラブーツ社にお願いして僕が思うアイデアを伝えて、タッセルローファータイプとデッキシューズタイプが出来上がりました。今でも、できた時は本当に嬉しかった。その時の靴はずっとこれからも大切にします。

その時に思っていたことは、日本人はちょうど、アメリカの文化やヨーロッパの文化があってスニーカーとレザーシューズをモノごころついた頃から履き馴染んでいて、その感覚をうまく海外のシューズファクトリーの伝統や歴史とあわせて「CAUSE」のフィルターに通して新しい靴が、生まれたらいいなと思い、国内外問わず、その工場の特性を生かしてシューズを作り続けてきました。
例えばイタリアだと革の加工が優れていたり、スニーカーだと手先の器用な日本の技術が優れていて、その時のデザインを一番良い状態で当てはめて作っていくのが「CAUSE」の特徴だと思います。

やり続けていくうちに気がついたことですが、靴の歴史や伝統を知りました。
400年という伝統があって、職人はそれを何代にも渡って守り続けている。

それはどんなことがあっても継続していく長い歴史の中での信念の強さを受け止めていきました。それをリスペクトした状態で、新しいものを作り込んでいきたいと模索していきます。靴の作成だけではなく本当にいろんな意味を教えてもらえました。

ミラノのSHOEVENT MICAM

ヨーロッパには独特の間や生活の中でのゆとりの大切さや、当たり前のことだけど、仕事で例えば、忙しい時に中々できないけど、お茶をしながら音楽をゆっくり聞いてる時間を大切にしていたりする環境だったり。
実際に履いた時にきれいに足が見えることを計算したり、革の風合いを研究したり、機能的であるディテールを考えたり、そこがとても面白く、気がつくと長い歳月が経っていました。
また工場の職人との掛け合いが面白く、靴の構造を把握しておいた上で、構成していく作業工程がとても楽しいのです。
誇張していえば、まるでバイクや車をデザインしていくようです。

靴づくりデザインは平面ではなく立体なので、歩行する上でデザインをする前に機能的で、履き心地が快適でなければいけません。
また目にはなかなか捕らえることのできないラスト(木型)やステッチの微妙な位置で表情が変化していきます。

靴を通じて色々な人と巡り会えたし、また色んな事を教えてもらったり影響も受けました。
やればやる程、またまだやることがあって終わりがないですね。

           
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